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日仏会館講演会「自然の人類学」フィリップ・デスコラ、中沢新一

2014/12/26

2014年10月28日(火)、日仏会館にてコレージュ・ド・フランス教授フィリップ・デスコラ氏と中沢所長が登壇した講演会が開催されました。「自然の人類学」と題された本講演会では、野生の科学研究所研究員の矢田部和彦氏もコメンテーターとして加わり、デスコラ氏の著作を中心に、個から普遍へと向かうこれからの人類学の見通しが示されました。デスコラ氏と所長の講演の模様をあわせてレポートします。

 

フィリップ・デスコラ氏講演「人類学と哲学」

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人類学と哲学

デスコラ氏は、構造主義という1960年代の主要思想の一翼を担った人類学者クロード・レヴィ=ストロースのもとで学びました。1976年から1979年にかけてアマゾンの密林で実地調査を行い、その成果を「象徴と実践」と題した博士論文にまとめました。一連の研究の集大成として著されたPar-delà nature et culture(『自然と文化を超えて』)は、人類学がどのように普遍というものを捉えることができるかということについて論じる意欲的な著作であり、構造主義、レヴィ=ストロース以後の人類学のあり方について研究する第一人者であるといえます。

デスコラ氏の思想の基盤となっているのは、あらゆる現象が全体的で有機的な構造のもとにあると捉え、その構造の解明を目指す構造主義という考え方です。デスコラ氏は、現象だけにとどまらず、私たちを取り巻く自然というものそれ自体が、構造をはらみ込んだものなのではないかと考えます。

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そもそも人類学とは、ある土地固有の現象というものに着目することから始まります。しかし、人類学者が「土着の思想」について語ったり理解するとき、人類学者自らの思想的背景が入り込んでしまうことが往々にしてあるのではないでしょうか。高等師範学校で哲学を専攻し、大学院から人類学を専攻した自らの経歴を振り返りつつ、デスコラ氏はフランスの人類学のそのような欠点を指摘します。つまり、人類学者が哲学の素養を身につけた上で「土着の思想」に向き合うために、その土地固有の現象について、普遍性や絶対的なものを求める西欧の哲学的な視点をもとに理解してしまい、見落とす要素が多々あるのではないかというのです。このような危険を回避するために、デスコラ氏は人類学の方法における「概念の対称化」(「概念の分岐化」)というものを提示します。

 

三つの「対称化」

人類学において、「概念の対称化」(「概念の分岐化」)には3つのパターンがあります。一つ目の「対称化」は、人類学の分野において最も一般的な方法であるといえます。すなわち、西欧的な理解の範疇には入らないある現象をひとつのまとまりとしてとらえ、そこからある文化固有の概念というものを一般化していくという方法です。例えば、「トーテム」や「マナ」、「シャーマン」という概念が挙げられます。最近の研究で言うならば、ヴィヴェイロス・デ・カストロの「パースペクティヴィズム」というのもこのパターンに入るだろうとデスコラ氏は述べます。このような方法においては、相対的な立場に基づく一般化というものが基本原則となっています。

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二つ目の「対称化」は、「宣教師の人類学」とも形容され、主にアフリカで行われている方法です。「土着の思考」というものを、哲学の教義にも類似した、ある体系化されたコーパスに変容させて理解するというもので、この方法はたいてい哲学的な色合いが強くなり、その者自身の思想的背景の影響を色濃く受けることとなります。例えばフランスでは、フッサールの現象学に裏打ちされた民俗学というのが主流となった時がありました。このような場合、援用する哲学以上の成果を民俗学や人類学が出すことは難しく、さらには「土着の思考」が援用する思考のもとに組み込まれてしまうことで、ありのままではなくなってしまう危険性があります。以上のような点で、第二の「対称化」はいまだ十分なものであるとは言えないとデスコラ氏は述べます。

そこで提示されるのが第三の「対称化」です。この「対称化」においては、第一の「対称化」のように、ある文化固有の原則というものを一般化していくのでも、第二の「対称化」のように「土着の思考」を援用して哲学を語るのでもありません。様々に異なっているようにみえるあらゆる現象を、ひとつの総体としてとらえていこうとする試みであり、じつは、これこそが構造主義の根幹にある思考であるといえます。構造主義は、あらゆる物事を全体化しようとする超越的な観点に立った思考なのではなく、あらゆる差異が生まれてくる源泉というべきものを解明し、それらを理解しようとする試みです。要するにこの第三の「対称化」とは、様々な差異をはらんだあらゆる現象を、ひとつの総体としてとらえていく試みであるといえます。

 

人類学は「特別な科学」

ヨーロッパ中心の思考においては、自然と人間の文化とは二元的に対立するものであると考え方が主でした。しかし、デスコラ氏はアマゾンでの実地調査を経て、自然と文化とがそのように相対立するのではなく、じつはお互いに嵌入しあいながら協働しているのではないかとの考えに至ります。先ほど挙げた第三の「対称化」の観点に立った上で、デスコラ氏は人間が世界と関わる上での方法を4つに分類します。これは「同一化の4種」と呼ばれ、アニミズム・自然主義・トーテミスム・類推主義がそれにあたります。デスコラ氏によれば、これら4つの組み合わせから、人間と自然とのあいだにおける連続性と非連続性が世界の中でどのように配置されているのかを見てとることができるといいます。

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人類学は、あるひとつのモデルだけを通して土着の文化を理解しようと試みたり、それを他のものに変容させたりしようとする学問なのではありません。ある文化を本質的に理解するためには、様々なモデルをブリコラージュする必要があります。このような考え方に基づいて、西欧が培ってきたのとは異なるかたちで普遍的な知というものが構築されるべきであるとデスコラ氏は考えます。そしてこれこそが、人類学が「特別な科学」たる所以なのであると述べ、デスコラ氏は講演をしめくくりました。

 

 

中沢新一所長講演「ふたつの『自然』」

日本文化に通底する思考

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デスコラ氏と中沢所長のあいだには、レヴィ=ストロースを通して深いつながりがあります。所長はレヴィ=ストロースの論文を初めて読んだ時、とても感銘を受けたといいます。それは、自分のなかで論理化できないで動いていた思考の流れというものが、レヴィ=ストロースの分析のなかで、まるで自動機械のように動いているということに気づいたからです。それ以来、所長はレヴィ=ストロースの研究に多大な影響を受けてきました。デスコラ氏はそのレヴィ=ストロースによってひとつの頂点を極めたフランス人類学の伝統を受け継ぎ、さらには、自然と人間との関係をめぐって西欧がつくりあげてきた思考法を根本から問い直す画期的な研究を展開しています。

このようなデスコラ氏の研究は、とりわけ日本人にとって大きな意味があるだろうと所長は述べます。デスコラ氏が取り組んでいる研究は、西欧文明の基礎に組み込まれている「自然と文化の大分割」という大前提を揺るがし、自然と人間とのあいだに新たな関係をつくりだそうという試みですが、これはまさに、日本人が近代化の過程を通じて常に抱え続けてきた内的な葛藤に直結していると思われるからです。たとえば、文学者の夏目漱石、哲学者の西田幾多郎が突き当たったのも同じような問題だということができます。彼らにとって、「自然と文化の大分割」という西欧的思考の原則は、西欧文化が日本文化に突きつけた最大の思想的挑戦とも思われるものでした。

それはなぜなら、日本文化が「自然に包摂された人間」という根本的な思想に基礎付けられてきたからだと所長は述べます。そのような思考法においては、自然と文化とは分割されるのではなく、相互に通底しあっています。この思想は、作家や知識人や芸術家によって表立って表されてきたばかりではなく、庶民の生活や環境世界の造形のなかに深く息づいています。それは日本人の無意識の構造そのものを形づくっているとも言うことができるかもしれません。農業や神道、仏教、能、俳句、庭づくり、果ては会社や資本主義のシステムに至るまで、あらゆる領域にそれは容易に見てとることができます。いずれの場合においても、「人間」と「人間ならざるもの」とを分離するのではなく、この二つが重なりあういわば「のりしろ」のような中間領域を豊かに造形しようという思考が働いています。このようにして練り上げられてきた日本文化であるために、近代化の過程で西欧の世界観の土台をなす「自然と文化の大分割」の思想を前にしたとき、多くの日本人が当惑したのではないでしょうか。

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ふたつの「自然」

そもそも「自然」とは何なのかと所長は問います。人間の外にある自然を自立的な実体として客観的にとらえようとするのが、近代以降発達してきた「自然」概念でした。しかし、ギリシア語のピュシス(physis)やラテン語のナトゥーラ(natura)という言葉が示すように、「自然」という言葉には「存在や事物の本性」というもう一つの意味があります。道教の「自然」概念、日本に導入された仏教の「自然」概念も同じような二つの意味を併せもつものです。つまり、「自然」という言葉には、客観的な「外的自然」と「脳内自然(脳内で実現される自由な状態)」との二つの意味があるのです。日本人はそのような「自然」概念を、じつに千年以上ものあいだ保持してきました。日本人にとっての「神」も、このような「自然」概念とあわせて考えることができると所長は述べます。「自然」という言葉は、自然環境と心的過程の両方を表すことができるものとして、西欧近代の原理が流入してくるまで、日本人によって無自覚的に使用されてきました。

19世紀に日本文化が出会った西欧は、産業革命に沸き立つ西欧であり、そこでは「自然と文化の大分割」という原理が科学技術と一体になって新しい強力な意味作用を発揮していました。「外的自然」と「脳内自然」の二つの意味を併せ持っていた「自然」という言葉は、前者の方のみを指し示すようになっていきます。そのような時代にあって、西欧的な自然科学を深く理解しながら近代の「自然」概念の構造に真っ向から挑戦を挑み、後者の「自然」の意味を復活させようとしたのが、南方熊楠でした。

ふだん私たちは、あらゆる物事を因果関係によって結合しながら現象というものを理解しようとしています。しかしこれは、アリストテレス型論理を中心にすえた西欧の思考法であり、熊楠はこのような考え方に基づいた自然科学というものに違和感を抱いていました。なぜなら、彼には仏教(華厳経)についての深い理解があったからです。自然には「脳内自然」のレヴェルがあるということを理解していた熊楠は、物事を区別して考えるのではなく、現実のなかで分離されているように見える事物のあいだには、じつは隠されたつながりがあるのだと考えます。事物はリmandaraアル(現実化されたもの)とヴァーチャル(潜在的な状態にあるもの)という二つの異なる相の間を行き来しており、表面では分離されてあるものも、潜在的な相ではつながっているのだというのです。このように、「脳内自然」のレヴェルは、世界が変化と共鳴を含み込みながらひとつの全体として変化していく様子を脳内に実現していきます。そこではどこにも中心はなく、あらゆるものが「対称性」の関係を保ちながら運動を続けています。これを南方熊楠は「マンダラ」と呼び、因果律にしばられている西欧型の自然科学の思考法に対置させました。

日本文化は「自然」を双対としてとらえてきました。一方には文化や人為というものに対立する「自然」があり、もう一方に人間の脳内活動をとおして出現するもうひとつの「自然」があります。そして日本文化は、この双対である二つの「自然」が人間の文化の領域に相互嵌入している状態を理想とし、それを実現してきました。「自然と文化の大分割」を超えていこうとするデスコラ氏の研究とこのような日本人の思想との出会いこそは、来たるべき人類世界の一筋の光明となりうるだろうと述べ、所長は講演を結びました。

 

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デスコラ氏と所長による本講演の全文と、日をあらためて行われた対談の模様は、
『現代思想』(青土社)2015年1月号(2014年12月27日発売)に掲載されます。

どうぞ、あわせてご覧ください!

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