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書籍紹介『ピープスの日記と新科学』

2014/07/24

野生の科学研究所研究員の浜口稔先生が翻訳した『ピープスの日記と新科学』(白水社)をご紹介します。

本書は、「高山宏セレクション〈異貌の人文学〉」シリーズの第4冊目として刊行されました。研究所にもゆかりの深い一冊です。

 

肖像

英語に「ヴァーチュオーソ」(Virtuoso)という伊語由来の言葉がある。現在では「名人、達人」ほどの意味だが、王政復古期のイギリスでは全く別の意味であった。仏語でいえば「コノワスール」(connoisseur)、日本語で言えば「数寄者」といった言葉に近く、つまり研究家ではあっても専門の学者ではない人(「アマチュア学者」あるいは「コレクター」といってもよい)を指していた。この意味でのヴァーチュオーソを代表する人物が、海軍書記官から王立協会会長にまで上り詰めたアマチュア科学者サミュエル・ピープス(1633年-1703年)であり、〈異貌の人文学〉シリーズの一冊である本書はこのピープスの日記を通して当時の新科学を俯瞰する内容となっている。

まず注目すべきは、ピープスが日記を書いていた時期(1660年‐1669年)が王政復古期の最初の10年、及び王立協会創設から最初の10年とほぼ重なっている点である。これは、「王立協会員であったピープスの日記を通じて、我々は伝統的な理論科学へのアンチとして現れた王立協会主導の実験科学(新科学)の当時の趨勢を窺い知ることができる」ということを意味している。著者のM・H・ニコルソンは、本書において当時の新科学についての何かまとまった観念的な一般論を提示するのではなく、ひたすらにピープスの日記から拾った新科学関連のエピソードの羅列に終始する。しかしここで単調に陥らないのが、エラノスやウォーバーグ研究所と並ぶ20世紀最高の文化コロニーである「観念史派」で啓蒙教育を担当したニコルソン女史の妙技である。「特に専門的な知識のない読み手にもスッと入っていける着眼と語り口の巧みさ」(高山宏)があるため、決して飽きさせない。輸血実験

例えば「輸血」をテーマとする第2章でその手妻はいかんなく発揮されていて、中でも羊の血を人間に輸血する英国初の実験を描いたエピソードは格段に面白い。羊の血を何オンスも人間に輸血するだけでも驚きなのだが、さらに驚くべきことにその輸血によって被験者の健康状態が生まれ変わったかのように良くなる。またこの輸血された神学部の貧乏学生アーサー・コウガもなかなかの快(怪?)男児で、報酬欲しさにモルモットになっただけであるはずなのに、実験後には「羊ノ血ハキリストノ血ノミシルシデアル」などとラテン語で偉そうに吹聴するのだ。

こうしたツボを心得たエピソード・トークで、ニコルソンは新科学を象徴する人物像であった「ヴァーチュオーソ」を見事に活写していく。ニコルソンによれば、まともに九九の計算もできないにも関わらず協会員に選出されたピープスを筆頭に、王立協会は聖職者、思想家、文人など、ほとんどが「ヴァーチュオーソ」から構成された素人集団であって、むしろ専門家としての科学者は少数グループであったという。ちなみに女性版ヴァーチュオーソである「ヴァーチュオーサ」も、王立協会の公開実験に足を踏み入れている。それがマーガレット・キャヴェンディッシュこと「狂女マッジ」であり、本書第三章のタイトルにも冠せられた女性だ。「破天荒なファッションリーダー」(浜口稔)かつ「百科全書派的乱読者」(ニコルソン)でもあったマッジに魅せられたミーハーなピープスは、なんと彼女の追っかけまでやっていた。尚マッジのヴァーチュオーサぶりについては『ユートピア旅行記叢書2』(岩波書店)所収の「新世界誌 光り輝く世界」を参照されたい。フックからガリレイまで引用する彼女のアマチュア科学者ぶりを窺い知ることができる唯一の邦訳文献である。

最後に、「王立協会」を主たるテーマに据えた本作から抜け落ちた点を敢えて挙げるならば、それはやはり協会の推進した「普遍言語計画」に対する言及がほとんど皆無である点であろう。これが分からなければ、ピープスの日記になぜあれほど様々な暗号が飛び出してくるのかも分からない。しかしそこは『言語機械の普遍幻想』(ひつじ書房)の著者である浜口稔氏である、解説でうまくカバーしてくれていて抜け目がない(「一.ピープスの言語感覚」参照)。浜口氏の訳業および、この人選を決定したシリーズ監修者・高山宏氏の慧眼の双方にも敬意が払われるべきだろう。

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