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公開講座:南方熊楠の新次元 第四回「アクティビスト南方熊楠」レポート

2014/05/15

公開講座:南方熊楠の新次元 第四回「アクティビスト南方熊楠」

南方熊楠の新次元第4回は、神社合祀反対運動を展開したアクティビストとしての南方熊楠に焦点が当てられました。江戸から明治にかけて歴史が大きく転換し、近代の波がおしよせてくる当時の状況の中で、海外に長く身を置いた熊楠が見る「日本」とは、神社とは何なのか。熊楠が見つめたもの、守ろうとしたものはなんだったのか。中沢所長の講演、哲学者國分功一郎さんをお招きしての対談をレポートします。

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「アクティビスト南方熊楠」 講演:中沢新一

 明治33年(1900年)、熊楠は14年に及ぶ海外生活を終え帰国しました。那智や田辺の森で植物採集にいそしみ粘菌研究に没頭していた明治39年ころに、神社統廃合、いわゆる神社合祀(ごうし)が猛然と敢行されていく実情を目の当たりにし、奮然と抵抗運動を始めます。以来6年間の長きにわたり徹底的に闘い続けました。この神社合祀反対運動における熊楠のエコロジーの視点は、近代文明に起因する多くの問題を考える時、私たちに明確な視点を与えてくれます。熊楠が力を尽くして守ろうとした神社とその森とは、日本人にとって何なのでしょうか。講演はまず明治神宮の森から始まります。

 

神社本来の生命を作る森

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明治神宮は、カシ、シイ、ブナといった照葉樹や落葉広葉樹を中心にして作られた人工の森です。明治天皇崩御(1912年)に際し、墓陵が京都と知り落胆した都民の意を受けて、政府は東京に記念の神社創建を決めます。森の計画を請け負ったのは当時の帝国大学林学科の設計者たちでした。彼らはドイツ林学の豊富な知識を持つとともに、日本古来の神社の特性である「森が神社をつくる」本質をよく見抜いていました。東京の植生に合わない針葉樹を中心にしたのでは、生育の悪い貧相な森になってしまう。荘厳な針葉樹の神社林を主張する大隈重信らの意見をいなし、全国からの献木にも配慮しつつ、彼らは土地本来の樹種を生かす構想を進めます。1921年に林苑計画に着手、100年後には循環する自然の森になることをめざして植樹が開始されました。90余年後の今、神宮は豊かに生い茂る木々を湛えています。

「古代日本人が神と出会う空間は建物ではなく森の中のおそらくは祖霊などを祭る特別な場所、ぽっかりと空いた小さな場所だった」と中沢所長はいいます。豊かな森の中に仮の祭壇をつくり、供え物をして祝詞を唱え、神を迎えたのです。今なお沖縄の重要な聖地である「御嶽(うたき)」も、多くは木々に覆われた空間です。日本の神社の原形は森にあるのでした。

 

明治のジレンマ

明治神宮がつくられるわずか十数年前、日本各地ではこの森が伐採され、神社そのものが解体させられていた事態が起こっていました。いわゆる神社合祀です。その背景には当時の日本の置かれた状況が色濃く浮かび上がります。

幕末から明治にかけて、日本は非常なジレンマを抱えていました。アジアに資本主義の波が押し寄せていたのです。この資本主義は軍国主義と植民地主義を伴い、中国さえもその波に飲まれてしまった。この危機を目の当たりにし、日本は自分たちが植民地にならないためにはどうしたらいいのかという大きな問題を突きつけられます。そうして明治維新が起こり、資本主義を社会に移植して社会は急速に発展。軍備を拡張し、欧米に対抗し植民地化されないだけの力をつけていきました。しかし、一方で国内からは日本の独自性、精神性を保持したいという強烈な欲求が高まります。これは国学の隆興や神仏分離という形で現れました。日本の自生の思想である「神道」を保持し、外来思想である「仏教(これはインドで成立し6Cに日本に入ってきました)」を排除しよう。国学者たちはそれまで自然発生的に生成し受容されていた神仏習合から仏教を切り離し、教義化したものを「神道」として確立しようとしたのでした。

 

「神道」の成立と道徳化

国学者たちはそれまで教義もかたまっていないそこに自然にあったものを「神道」として成形し、西洋のキリスト教に対峙させて国家の宗教としようとします。しかしこの目論みはすぐに崩れました。西欧列強による鎖国撤廃の圧力はキリスト教布教の自由と相まって「信仰の自由」を要求したからです。日本は幕末の不平等条約改正を目指す政治的配慮から、「神道」は宗教ではなく「道徳」であるとしてその浸透に務めることとなったのでした。

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道徳とは価値観の体系です。あらゆる宗教には道徳の側面もあり、神道もまたそうだといえます。たしかにそれまで日本人の生活を守ってきた様式は神道の中に集まっており、その人たちが神社をお参りすることはありましたが、神社が日本人の生活のありかたを規定していたわけではありません。しかし、ここで「神道」はその価値付けの逆転を行います。神社を国民精神の礎、崇敬対象として規定し、神官はそのために最善をつくさねばならない、という体系をつくりあげたのでした。「神道」を道徳の礎として「教育勅語」や「第日本帝国憲法」の発布が敢行され、近代日本の国家が築かれていきました。

 

神社界の状況

一方それにふりまわされていたのが神社界です。道徳義務を負い仕事が激増した神官たちが合祀を願い出るなどの事態が起こりました。また、国家の宗教であれば賄われる補助金は、道徳化にともない縮小、限定されることになりました。それにともなう生活の困窮や社会的地位の不安定さ(当時氏子総代による推薦により神職についていました)に加え、国庫の補助が打ち切られる事態に備え、神社界からは俸禄制度、任用の改善要求が高まっていったのです。その結果、数ある小さな祠や社を管理していた神職たちは、統合整理や森の伐採、売却という手段で、神社の経営地盤を固めようとしていきます。こうして神社界自ら神社合祀を積極的に敢行していく事態がおこります。

 

淫祠邪教と「道徳」

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日本の神々の多くは生命力や自然の生成に関わる神です。時には男性器や女性器に象徴されますが、この時に問題になってくるのが神道の「道徳化」でもありました。日本に一番多い稲荷神は、もとはインドのダキニ天で、墓地にいって死体を食べてしまうようなおそろしい神さまです。しかし、それが道徳とどう関係するのでしょうか。これらの神さまは道徳を遥かに超えています。道徳を超えた生命力や、宇宙の生産力に触れている。

しかし、「神道」が「道徳」となり、神社が郷土の中心となる「神社中心説」によって一つの有力な神社を村の中心に置くようになると、これらの淫祠邪教とよばれるような神さまたちは隅においやられ破壊されていきました。神官さんたちにとっては、小さな祠の神事に煩わされることなく村の中心の神社で国民生活の価値を守り、そこに給付される補助金を受けた方がはるかに効率的で合理的だったからです。こういう動きの中で神社合祀は敢行されていきました。こんもりとした森の中に古代的なたたずまいで鎮座していた小さな神々は急速に合祀され、神社運営の経費増大のために森が伐採されて売り払われていったのです。

 

日本神道の神さま

しかし、元来神道というのは人間の価値や道徳に留まるものではありません。道徳はたしかに神道の一部ではありましたが、神道は人間の価値をはるかに超えて、人を取り囲む自然、生命、宇宙的な諸力を包含している体系でした。日本の神さまには柳田國男、折口信夫のいうようにふたつの塑型があるといえます。ひとつは柳田のいう祖霊神、先祖の霊を中心とする神さまで村の中心部におりいつも人間界の価値を律しています。もうひとつは折口信夫のいう彼方からやってくる来訪神(マレビト)で、彼らは外のより強大な生死根源の世界から境界を越えて人間の世界に訪れる神さまです。

神社合祀反対意見

例えば村のはずれにある道祖神は、自然界や宇宙の力を村の境界で受け止め作り変えて、人間の中に送る変換装置となっているような神さまです。その元になっているのは兄妹相姦の神話です。この神話類型は世界中に見受けられますが、それは人間道徳を超えた生命の起源を高らかに謳っているともいえるでしょう。人間の生命、自然の根源は人の道徳をはるかに超えた力によって動いています。「道徳」の世界はこの全体の動きの中で、境界の神さまたちの変換装置の活動に守られて生成されるのであって、そこから切り離され自律して営まれることは決してできるものではないのです。

 

神社合祀のもたらしたもの

明治以後、この神社合祀の運動の中で起こっていたことは、人間の世界を人間の世界のみで完結させ、共同体の価値を近代的な合理性や国家の価値に結びつけるということでした。それまで共同体の外から来る活力を取り入れ、共同体そのものを豊かにしていた淫祠邪教のような神さまは道徳によって価値付けられ、破壊されて、活力の通路を失わせることになったのです。この時、日本人の精神の中に起こった変化は未だに痕跡を残し、現代の諸問題の根源ともなっています。

神社合祀の実施はその地域地域に任されていたため、中には政府の発令を聞き流し、小さな祠はそのままに保存して後世に繋いだ地域も多かったようです。しかし中には真面目な人もいるのですね(笑)。真面目さや野心が政治に結び付いた場所では大変な破壊が行われました。結果として神社合祀は、これら膨大な数の神々を消失させてしまったのです。地方によって格差はありましたが、西園寺内閣が一町村一社を原則とする神社合祀令を励行した明治39年、強制威圧的推進のあった三重県では90%、熊楠のいる和歌山県でも87%の神社数が減少しています。

 

熊楠の闘い

南方熊楠は、田辺に居を構え研究生活を送っていたちょうどその頃、神社合祀の急速な断行に気がつきます。そしてそこでなにが行われているのかをはっきりとつかみ取っていました。つまり、神社合祀の名の下に行われているのは、人間の社会と人間の個的精神と自然の生態系の大破壊だというのですね。熊楠は矢継ぎ早に強い反論を新聞に寄稿します。そして問題の及ぼす深さや広さを全方向的に分析しました。富国強兵のため人民の生活を犠牲にして軍部拡張、財閥肥太り、といった資本主義のシステム自体の問題にも言及し、村民の敬神や融和を妨げ、慰安を奪い、郷土愛を損し、史蹟古伝を滅却し、天然風景を滅亡させ、地方衰退の原因にもなるといった具体的な根拠をあげて反論しました(「神社合祀に関する意見」など)。また、このころ柳田國男と出会い、書簡をやり取りし協力を仰ぎ、『南方二書(松村任三宛書簡)』を発行。この本の有識者への配布は、神社合祀の実態を知識人たちに知れ渡らせる効果を生みました。時同じくして神社界からも神社合祀の弊害や反対意見も出はじめます。各方面の反対の機運も高まり、明治45年ごろには不合理な合祀は次第に影をひそめていくことになったのでした。

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(『エコロジーの先駆者 南方熊楠の世界』展図録より)

 

エコロジーのあり方をめぐって

神社合祀反対で熊楠の表した思想は、約百年後に近代フランスで活躍した、哲学者フェリックス・ガタリの『三つのエコロジー』を先取りするようなものでした。環境のエコロジー、社会のエコロジー、精神のエコロジー、これら三つを連関的に考えて、初めてエコロジーの問題は解決の糸口に向かうというのです。自然を人間界の外に置いて内部に閉じこもった人間は、その中心に道徳的価値を持った神を据え、危機に陥ると外の自然を守るためのエコロジー運動をする。しかし、それでは不十分だと両者は考えています。熊楠は、人間が作る社会の外には自然の理法で動く世界があり、人間界とは違うシステムで動いている、それを変換して取り入れ自己変容していくというのが、本来のエコロジーの基本と考えたのです。

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熊楠は、自然は曼陀羅のようなものだといいます。曼陀羅とはなにかというと、人間の言語的知性とは異なるメカニズムで動いている全体的知性作用です。自然の曼陀羅に身を置くことで、なにものかを感得することができるとまで熊楠はいっている。膨大な森をいうものの中に入っていき、その深玄さに打たれて個の精神の構造を変えていった時、自ずと開かれていくもの、それと人間の知性が結びつくことで真の豊かさが見えてくる。人間の社会も、人間自身もそれだけで完結しているものではありません。外からくるもの、内部からやってくるものに己を開いて、境界の神さまや、(前回の講演でも触れられたように)夢、瞑想のような回路を通じながら変容を遂げているものなのです。

 

熊楠を萃点として

振り返ってみれば神社合祀は、資本主義経済システムの初期の波に重なります。自然を対象物として資源を取り出し、閉ざされた人間の生活を発達させていくことで人間は便利と幸福を追求してきました。合理と経済を優先した結果、神社を合祀し、自然を破壊し、人間精神の外部との通路を遮断し、人間同士が作り上げる共同体の交感関係を破壊するという事態に私たちは直面しています。熊楠はそのいずれに対しても思想的な深みにまで達する広大なエコロジー思想を持って闘いました。現代の私たちはこれからどういう運動を作っていけばいいのか。現代にあってその糸口となりえるゆるぎない拠点を、熊楠という人の中に見出すことができるのです、と中沢所長は結びました。

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対談:國分功一郎さん×中沢新一所長

対談ゲストには、哲学者の國分功一郎さんをお招きしました。國分さんと中沢所長は、小平市の道路建設問題をめぐって共に闘った間柄で、その活動を含む共著『哲学の自然』などもあります。

 

土地に住まう古層の神々

父親が民俗学者という環境で育った中沢所長は、意味も分からぬ幼いうちから、淫祠邪教といわれる神々の像や印に常に取り囲まれていたといいます。成長するにつれ、空間は均質ではなくいたるところに穴が穿たれており、そこに様々な祠や神様の像があることがわかってきたといいます(この感覚はその後『アースダイバー』という仕事に展開します)。かつてのアジアはどこへ行っても、沖縄、バリ島など、ひとつの村にちょっとした冥界への入り口や小さい精霊が寄ってくる場所が百ヶ所近くもありました。西欧の思想が力を持ち世界を圧倒し始めた近代になると、それら異界への入り口は見えなくなり、おびただしい数の神々が壊され消滅していきました。

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根こぎ(デラシネ)の感覚は、関東の都市近郊のニュータウンに育った國分さんも持ったといいます。しかし大人になり、父親の話などを通じて自分がニュータウンだと思っていた土地にも古い爪痕が残されていることを知ったといいます。言葉や体験で知るということによって、暮らしている土地の歴史や場所は蘇るということを学び、今住んでいる小平でもそういう土地との繋がりを大切にしたいと思うようになったそうです。

 

「住むことを学ぶ」

ドイツの哲学者ハイデッガーはヨーロッパ人としては、比較的アジアに近い感覚の持ち主でした。彼の一見難しい哲学表現の中に、熊楠に近い思索を感じると國分さんはいいます。ハイデッガーは講演『建てる、住む、思考する』で、住むことは単に宿泊所を所有するということだけではないといいます。そこに根づく、生きるということはその土地を学ぶことによってなされます。ハイデッガーはそれを「住むことを学ばねばならない」と表現します。あたりまえのはずの「住む」ということが、例えば神社合祀のような形で破壊されて土地に穿たれた通路が見えなくなってしまう事態を考えると、ハイデッガーの言葉は改めてわたしたちが考えねばならない重要性を持つのではないでしょうか(國分)。

熊楠は若いころキューバ、アメリカ、イギリスと自由自在に動く大旅行家でした。一方で帰国してからは那智や田辺に根を下ろしそこからほとんど動かなかった。このふたつは実は同じことの別の現れなのではないかと中沢所長は語ります。世界のどこにいても自分が拠るべき地点を忘れていない、土着性を持った生き方は可能だということを熊楠は示します。自然との関係を完璧に失いどこにも繋がらない根無し草になってしまえば精神の荒廃が始まります。土地の土着性を通して「住むこと」を学び、人間や共同体を育む普遍的精神のありかに自分をつなぐことは可能なのです。

 

光と闇を分けない場所

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ハイデッガーは技術を批判する一方で、人間は技術と自然がないと生きていけない、両方活かすという発想を持っています。この考えを文学としてうまく表現したのは谷崎潤一郎でした。『陰翳礼讃』という作品において谷崎は、中間的な空間造形の美しさについて語っています。光と闇を分離しない中間を作り、間に障子を立てそこに人間が生きる空間を置く。自然環境と人間が住むべき空間の間に立ち、光を変換し内へ取り込む絶妙な装置をおき、そこを人間が生きる空間としたとして深く感じ入っています。

西洋思想のように光と闇を分けるのではなく、ビジブルとアンビジブルの中間を敬うという考えはユダヤ思想にもあります。こういう考えを科学に取込むとどういうものが生まれてくるのか。科学が誕生してからの300年、ある部分はものすごく発達したけれども、多くの部分は取り残され、世界は矮小化されてしまっている。その残された部分を育み、発展させていくことが、これからの課題なのではないでしょうか。

 

自然を語る「科学」

自然についての議論には未だに確信を持てないところがある、と國分さんはいいます。それは「自然」という言葉が独特のロマンティシズムを誘い、自然と人間の調和を美化するような響きをともなってしまうからです。自然に関わる態度にはナチの前例もあります。かつてのドイツの思想家たちは「主権は自然にある」というナチスドイツ初期の思想に共感し、その後の悲劇が招かれました。

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しかし、それでもあえて誤解を恐れず自然について思索していくことが必要なのではないかと國分さんは考えています。彼らがどこで間違ったかちゃんと腑分けし、その上で、二元論を超えて白黒つかないものの存在を考えてみることが必要なのではないでしょうか。例えば、アーキテクチャという発想があります。「私」でも「公」でもない曖昧な場所、中間地帯、アーキテクチャがあって「近所づきあい」や共同体が支えられていた。そういう存在が確実にあるにもかかわらず、いまの科学や経済学などはまだ十分に発展しておらず、さまざまなファクターをうまくつかみ取れません。

おそらく、今より数百倍も自然について表現できるような科学が、そのうち生まれるのではないかと國分さんも所長も思うといいます。外からくる要因を自分の中に取り込む、実際に自然がやっていることを組み込んだ科学をつくるというのが「野生の科学」です。「若い人の頭脳はそちらに行ってほしい。科学が発展からとり落とした部分の遅れを取り戻し、これから変わっていく方向性は日本人に向いている」と中沢所長。そういった分野が成長すれば、熊楠がやっていたことや、昔の神社の構造が実現していたことなどが再発見されると思われるのです。

 

新しいメカニズムを

熊楠が関心を持った粘菌は動物でも植物でもない中間状態を持ち、環境のストレスによって細胞を初期化します。同様に熊楠が興味をもった対象として両性を持ち合わせた「ふたなり」がありますが、これも分化する前の性の不思議への関心でした。熊楠は宇宙自然に分け入るその存在に惹かれていたのです。國分さんによれば、たしかに性の起源と初期化の話はつながっており、細胞が欠損した際、外からDNAを取り込むことで細胞を初期化したということから性の起源が来ているといいます。人間の場合はそこから雌雄が生じ、他の性を取り込むことで新しい個体を生み出します。

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(『超人南方熊楠展』図録より)

現在の社会で起こっていることは、このような生物の法則に逆らって展開しているといえるでしょう。資本主義は平等な分配を掲げて発展していたはずが、ふと気がつくとさらなる格差を生み出し、ストレスの中で行き詰まりが生じている。気づけば現代は封建主義と同じ構造になってしまっているのではないかと國分さんは語ります。封建主義の時代では、余剰生産物は領主に吸い上げられ、そのお金で君主は軍備を拡張して領土を守ったり、贅沢な暮しをしたりしていた。そこで登場した再分配のシステムである資本主義は大変な説得力を持っていました。しかしその資本主義が、グローバル社会である現代では余剰生産物は株式の構造に回収され、セレブのような一部の成功者たちをますます富ませる構造へと陥っている。そのような状況の中で「初期化」が起こるのか、あるいは新しい形での展開が可能なのかが試されているのではないでしょうか。「そうなった時に今新しいメカニズムが生じる可能性があるのではないかと期待したいですね(中沢)。」

 

熊楠からはじまる自然

熊楠の考えたような自然との関わり。エコロジーの問題は現在のあらゆる諸相につながっています。自然だけでなく、経済、政治、建築土木、法律、歴史、環境、思想。明治期と現在のよく似た状況を鑑みて、神社や神道が関心を持たれるであろう現在、自分たちの拠点を熊楠の神社合祀反対運動に据えていきたいと中沢所長は語ります。これを基準にすることで、ナチスの「自然」とは異なる自然、環境の問題、神社の問題を考えていく礎石ができる。日本にある道を生かすことによって、間違いを犯すことなくこの危険な時代を乗り切ることができるのではないかという呼びかけで、今回の「南方熊楠の新次元」シリーズ4回は幕を閉じました。

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 (『エコロジーの先駆者 南方熊楠の世界』展図録より)

 

今回で「南方熊楠の新次元」全四回は終了です。ご関心、ご参加くださったみなさま、毎回のレポートをお読みくださったみなさま、本当にどうもありがとうございました!

 

 

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