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公開講座:南方熊楠の新次元 第一回「南方熊楠の夢と思想」レポート

2014/01/12

明治大学野生の科学研究所 公開講座
南方熊楠の新次元 第一回「南方熊楠の夢と思想」

2013年11月30日、野生の科学研究所にて公開講座「南方熊楠の新次元」が開催されました。第一回目となる今回は、「南方熊楠の夢と思想」と題し、唐澤太輔さんの発表と、唐澤さん、中沢新一所長による対談。その様子をレポートします。

「南方熊楠の新次元」

南方熊楠という人とその学問ついて、研究が始まったのは今から約30年前です。全集や伝記が出始め、ようやくどんな人か少しずつ分かってきたのが初期ですが、中沢所長の『森のバロック』もこの時期後半執筆されました。その後、資料的に詳細な事実研究がなされ始め、英語論文なども含め難解な項目が次々に明らかになっていきました。田辺の熊楠顕彰館ができ、そこを拠点にして若い研究者たちが集まり、未発見の資料(真言宗の傑物僧土宜法龍との往復書簡など)も見つかり(2005年)活字化されました。様々な研究材料が出揃ってきたおかげで、熊楠の書いたものやしゃべったこと、その人生の軌跡がほぼわかるようになってきたのが、ここ2、3年です。

そしてこれからは、蓄積された彼の思想の未来性、可能性を掘り起こしていく、新しい次元に突入します。この「南方熊楠の新次元」4回シリーズで、野生の科学研究所は「熊楠の中にいまだに手つかずで残されているとても未来的で豊かな思想や、これまで理解が行き届いていないものの意味を、もう一度大きく取り出していこう」(中沢所長)としています。

シリーズ第1回目の講演は唐澤太輔さんです。唐澤さんは博士論文『「中間」と〈中間〉―南方熊楠 夢の記述に関する研究/「やりあて」と関連させながら―』(2012年)で熊楠を夢や超常現象、「やりあて」といった、今までになかった視点からとりあげ、生命や精神、哲学の新しい光を当てようとしています。

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「南方熊楠の夢と思想」講演:唐澤太輔さん

鶴見和子の本から興味を抱き、中沢所長の本を読んで本格的な熊楠研究を始めたという唐澤さん、講演では明解なレジュメとパワーポイントを交え、「夢」、「やりあて」、「南方曼荼羅」に焦点を当てました。

熊楠は夢に大変関心を持ちました。まるで粘菌やキノコのように夢を採集して、いろんな角度から検証しようとしたのです。一つには 夢と現実の区別をつけるため。彼は自分の現実と夢を区切る境界の壁がもろいことを自覚しており、現実のポジションをはっきりさせるために、常に夢からの退路を確保しておく必要があったのです。二つめには早世した葉山兄弟(同性の大変親密な友人・死者)との交感のため。三つめには、夢による偶然の域を超えた領域への関心のためでした。覚醒時と夢の関係、夢の出所、関連性について多くの詳しい記録を残しています。

熊楠は夢の世界に深く入り込んで、人知の極みまで到達できる人でした。ロンドン時代の友人知人は、「熊楠には詩的熱中、情熱がある」「人間世界と物質世界の率直で公平でしかも私心のない観察者である」また一時期神社合祀反対運動で協働した柳田國男も「書物の世界の同化していくことができる人」などと熊楠を評しています。膨大な知識を持ちながら対象に無私無欲の没入ができる人、体全体で対象をつかみとり不思議を開く人、熊楠の姿が浮かんできます。

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「やりあて」(おそらく熊楠の造語)とは、偶然の域を超えた発見や的中により、創造的な事柄を成し遂げることをいいます。熊楠は夢で知らされた粘菌(例えばナギラン)を実際に見つけるなど、何百という粘菌、隠花植物発見の例を日記、書簡、論考に記しています。彼は予知を「理不思議」の領域とし、人間の知の極限と考えていました。

「やりあて」に至るには、まず、「直入(じきにゅう)」する。「直入」とは直接入ること、頭であれこれ考えるのではなく、いわば了解(了簡)することです。そして鋭い五感と膨大な知によって編まれた偏見のない「密なる網」で対象をとらえ「暗黙的」に「総攬」(あまねく学ぶ)することによって包括理解をし、そこから「ひらめき」(神来・行為の自動化)が生まれる。その「ひらめき」を「will」(得られた直観を信じて行動する強い意志)によって具体的に行動に移したとき、そこに独創的・創造的な発見「やりあて」が生まれるというのです。この創造的プロセスには少なくとも二通りあるのではないかと、唐澤さんは「発見的創造」と「芸術的創造」を提示説明されました。詳細は省きますが、熊楠はこの両方ができたのではないかということです。

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「南方曼荼羅」(仏教の曼荼羅とは異なる、土宜法龍宛ての書簡に書かれた熊楠独創の図、法龍によれば至上の宝物)で熊楠は私たちの生きるこの世界を「物不思議」、「心不思議」、「事不思議」と分けていますが、この図の中にはさらに、推論予知第六感で知ることのできるような領域「理不思議」と、人知を超えもはや知ることも不可能な「大不思議」の領域があります。南方曼荼羅には熊楠の自然観、世界観が示されていますが、なかでもこの「理不思議」と「大不思議」は熊楠思想の真髄といえる部分です。しかし、今までほとんど無視され、哲学的には顧みられてきませんでした。唐澤さんは今ここに注目しています。

もう少し説明を付け加えると、「大不思議」とは、そこからすべてが生まれ、そこへすべてが帰還する「根源的な場所」、あるいは「生命そのもの」、それはいわば「統一」であり「(自他が)融合した場」です。人はこれを完全に知り得ることはできません。一方、「理不思議」とは、推論・予知によって知られる領域です。直接的「推理」・第六感が働く場。私たちの「普通」の日常世界(心・物・事不思議)と、全てが完全に統一され欠けるところのない世界(=大不思議)との間にあり、両世界をつなぐ微妙な場です。「可知の領域」と「不可知の領域」の中間に位置するところ、この世(生)とあの世(死)の通路といえば、ベンヤミンの言う「通路(パサージュ)」とも重なります。予知夢、偶然の域を超えた発見=「やりあて」が起こり得るのはここです。熊楠にとっては「夢」がまさに「理不思議」の領域でした。

「大不思議」は自他融合してしまい考えることさえできない生命そのもの(ゾーエー)、大日如来の場所で、分析的視覚的には捉えられないのですが、それをかすかにでも感知するのはやはり個的生命(ビオス)人間です。普通の人間は熊楠のようには容易に「理不思議」に入りこめませんが、考えることは可能です。知ろうとすることが大事で、そうすることで「大不思議」を感じ取ることはできるのではないか、と唐澤さんは指摘しました。

対談:唐澤太輔さん×中沢新一

独創を生む

唐澤さんの研究からも明らかなように、熊楠は「他の人と違う学問の構造を持つ」と中沢所長はいいます。この連続講座開始に先立ち、雑誌群像(2014年1月号)で「南方熊楠のシントム」と題し、中沢所長は熊楠の病跡と学問の関係を論じています。熊楠は「自分が心に病を抱えているとよく知っていた。学問をやっていたおかげで発病しないで済んだと自ら記しています。粘菌を中心として、民俗学や生命、思想、心についてなど『物、事、心不思議』を自在に動く彼独自の学問に熱中することで、外れそうになっている精神の輪をつないだ」(中沢)のです。熊楠の並外れた独創性は、彼の精神的な症候と深い関係がありそうです。

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「やりあて」この素晴らしい日本語

唐澤さんが解説したように、熊楠は客観的事実というよりは「不思議」に関心がありました。そこで使う「やりあて」の語は、意味の中に「熊楠らしいエロティックな響きの日本語」(中沢)だといいます。この言葉は「『創造とは何か』に繋がっていくものすごく広い領域を示していて、『人間の可能性とは何か』に直結する」というのです。さらに「独創的な熊楠の学問は、唐澤さんのように、未知の方へ出ようとする、それ自体が未知をはらんだ研究でないと面白くならない」と所長は力説しました。病により自分の脳に生ずる過剰を、この世界の「不思議」を発見する一つの可能性の場所、と熊楠は考えていたようです。現代は、あらゆる「不思議」を剥奪されそうな社会(中沢)です。そこにあってそれを超えていこうとする熊楠の姿勢の現代的な意義を示し、唐澤さんは、「熊楠の『不思議』はワンダー、それは驚嘆に値するような場所、人知が及ばないような場所に立ち向かうという謙虚さを表す言葉なのではないか」と述べました。じっくり熊楠の「不思議」を追求しようとする、若き研究者の頼もしい姿が印象的でした。

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ヒントは華厳経にある

話題は河合隼雄さんが研究した明恵の夢に進みます。「明恵と熊楠をつなぐのは華厳経」と中沢所長。華厳経はインドで編まれ、東洋に最も影響を与えた経典で、大日如来が法界で特別な言葉を使い「大不思議」を説きます。普通の言葉、ロジックでは説明のつかないことや、縦横無尽にありとあらゆるものが瞬時につながりその共鳴が宇宙を作っているさまが、かなり精密に表されている経典です。「熊楠も土宣法龍も華厳経の漢訳を読んでおり、理論のベースに据えていることが言葉の使い方からわかる」(中沢)と聞くと、なにか奥深い暗黙知の世界を覗いているように感じます。生命や仏性について話した後、「熊楠は、この融通無碍(ゆうずうむげ)の深い世界と近代科学をどう結び付けるかを、自分に課していた」と指摘しました。「唐澤さんの抱いている疑問は、華厳経の研究をしていけばいくつかは解けるのではないか」という中沢所長。難解といわれる経典の奥深く、一体何が発見されるのでしょうか、これからが楽しみです。

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自然と共にある庶民の神道

唐澤さんの熊楠研究では、神道がもう一つの関心事です。「神道も対立するものをつなぐところがあり、人間と神をつなぐ道(例えば鎮守の森で)を非常に重視している宗教です。そこに熊楠は注目し、神社合祀反対運動で守ろうとしたのではないか」といいます。中沢所長が強調したのは、「熊楠が注目し絶対的信頼を置いていたのは、明治になってできた神社神道ではなく、古神道でさえなく、それは庶民の神道であり、列島の人々が営々と積み上げた直感知の大集積体。柳田、折口の民俗学が明らかにしてきたもの」だという点です。そこでは神は超越しておらず、自然に内在して人間との間を行ったり来たりしている、その通路を演出するために庶民は儀式や祭りを長きにわたって続けてきたのです。熊楠が抱えていたものはこの広大な世界であり、これは熊楠研究の中核に据わるものですが、その研究方法は新しく探るほかありません。「神道研究で人間と自然のかかわりを本当に取り上げているものは少なく、経典があるわけではなく、体系にまとめてもだめで、まさに鎮守の森に直入して『やりあて』するしかない」のです。「那智で熊楠が考えていた聖地とは、照葉樹と落葉樹の混成の森」ですが、そのような鎮守の森も今では多くは針葉樹に植え替わり、原神道を体感できる場所は希少です。「植物相と日本人のアニミズム的感覚は大変深い関係があり、南方系の感覚が強く残っているのではないか」(中沢)。この古来の感覚を現代に感じ取る場所、自然の中の庶民神道の通路を、慎重に守っていく必要がありそうです。

話題は神道から道教へ、さらには那智のご神体や銅鏡、山にいる神、大和や倭、などに広がり、連想は自在に時空を飛びかい、熊楠の膨大な知識と知恵にリンクするかのようでした。資料研究は深く進んでいるものの、熊楠に関しては次から次へとわからないことがいっぱい出てくるのが今の状況です。ここから熊楠の新次元が開かれるのだ、という新鮮な感動が会場に生まれ、さわやかな雰囲気の中で対談は終了しました。

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