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講演「症例クマクス」中沢新一

2013/10/10

第60回 日本病跡学会総会 特別講演「症例クマクス」

2013年7月27日(土)、大阪国際会議場で行われた第60回日本病跡学会総会にて中沢新一所長が特別講演を行いました。偉人たちの病理と創造性の関係を論じるこの学会で、特別講演の題材として取り上げられたのは、紀州が生んだ大博物学者・南方熊楠。天才とも奇人とも呼ばれた熊楠の創造性がどのような精神構造から生まれているのか、「症例」という観点から探ります。

本講演は大幅に加筆修正の上、講談社「群像」2014年新年号(12月7日発売)に掲載されます。

さらに!
11月30日(土)から明治大学野生の科学研究所 公開講座「南方熊楠の新次元」(全4回)が始まります。熊楠の思想の展開。ぜひ若い方(もちろん若くない方も)に、いま、伝えていきたい。どうぞご関心くださいませ。

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 ―特異な記憶力と雄大な発想力

まずは熊楠の生い立ちを辿りながら、その奇人ぶりと突出した才能を見ていきましょう。和歌山県和歌山市で商家の息子として生まれた熊楠少年は、近所の蔵書家の家に通っては和漢三才図会(当時の大辞典)を読み、家に帰って一字一句正確に、図までも書き写したと言われています。このカメラのような記憶力・描写能力は、後に博物学、人類学、考古学など様々な研究に生かされ、大英博物館勤務中にも熊楠は斬新な研究を発表していきます。中でも有名なのが9世紀の中国におけるシンデレラ研究でしょう。これは、ペローの伝承で知られるようになったシンデレラ物語の類型フォークロアが、ユーラシア大陸の東端・西端に見られることから、その最古の原型が旧石器にまでさかのぼれるのではないか、と考察する大胆な神話研究です。熊楠の奇才ぶりは特異な記憶力だけでなく、そこで得た知識を柔軟に結びつける雄大な発想力にもあったのです。このように熊楠は田辺に帰り住んだ後も生物学、とりわけ粘菌研究に没頭し、その成果と発見を民俗学雑誌に発表し続けました。生物学、民俗学など従来の学問の枠にとどまることなく、人類出現以後全ての精神構造の研究を進めようとした熊楠。中沢所長はそんな彼の学問に若い時から惹かれ、「今もその後を追っていると感じます」、と話します。

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写筆『和漢三才図会』(展覧会図録『エコロジーの先駆者南方熊楠の世界』より)

 

―現実界・想像界・象徴界と、その補完構造Le sinthome

奇人と言われつつ 並はずれた量と質の業績を残した熊楠の創造の源になったものは何なのでしょうか。その秘密に迫るために、中沢所長はジャック・ラカンのジェームズ・ジョイス研究を援用します。

ジョイスは1882年生まれのアイルランドの作家で、「ユリシーズ」「フィネガンズ・ウェイク」など20世紀文学を代表する斬新な作品を遺しています。特に「フィネガンズ・ウェイク」では、言葉の圧縮・置き換え・語呂合わせなどが連続して起こり、まるで不条理な夢のように流れていくため「読み終わった後も何が描かれていたのか、誰も言うことができない」(中沢)のです。しかし音読をしていくと、テキストの一語一語が互いに反響するように波打ちながら展開し、意味が無限にずれていくため、読者はとてつもない快感に襲われます。

この創造性の秘密を解き明かそうとしたラカンは、人間の心を形成する現実界、想像界、象徴界からなる三界の理論を軸に、ジョイスの精神構造の研究をはじめます。

わかりやすく捉えるならば、現実界とは世界の客体的な現実、想像界はイメージの世界、象徴界は言語の構造そのものを指します。この三界はボロメオの輪のように結びつき、一つが外れれば三つの輪はバラバラになります。しかしラカンはそこに、ほどけそうになる結び目を結びつける疑似的な補完構造があると考え、「症例Le sinthome」という概念を作り出しました。

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―ジョイスとクマクスの症例

ジョイスは、自分の心の内面で動いているものと使っている言語(英語)構造の間に距離感を感じていたと言います。また彼は、頭と身体が分離する感覚をしばしば感じ、日常生活でも自分を失うことがあったと記しています。これは彼の象徴界の輪(頭)が想像界(身体)から外れやすくなっているためだとラカンは考えました。しかしジョイスは、その輪を補強するサプリメントとなるような独自の言語を創造することによって、二界を再び結合させることに成功したのでした。この異常な構造体を持つ言語こそがジョイスの症例であり、読者が感じる「享楽」jouissanceの噴出源でもあるのです。(ちなみに「フィネガンズ・ウェイク」の「ウェイク」とは「お通夜」の意味ですが、古代的な通夜とは、生と死、悲しみと喜びなど矛盾が共存することによって、抑圧された「享楽」が解放される場でもありました。)

熊楠の場合、彼の研究論文はジョイスのような不思議な文章構造はしていませんが、それを読んだ人はやはり皆「悦楽の気持ち」になります。それは、そこに書かれている論理が非線形的で、多次元的かつ重層的に展開していくためです。つまり観念の高い部分と猥談のような低俗な部分がシナプスのように一気に結びつきあらゆる領域に繋がっていく、その瞬間に想像力が炸裂しているからです。(驚くことに、熊楠もまた身体と首が乖離する「首抜け」感覚の体験者でした。)

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首抜け?可所斉雑記よりの抜書き(『超人南方熊楠展』図録より)

前述したようにジョイスは自分の内部に展開する古代ケルト的な言語構造と支配国の言語である英語の間に距離を感じていました。しかし独自の自然観が根付く紀州で育った熊楠もまた、自然と人間を切り離して考える近代科学に違和感を覚えていました。そんな熊楠が拠り所としていたのは、動植物の世界に強く結びついた自身の名前でした。当時の紀州では「熊」「楠」など自然にあやかり名前をつけ、守り神とするトーテミズムの風習が色濃く残っていました。これが熊楠の想像界を現実界・象徴界と再結合させる症例として機能していたと考えられます。

また彼は、生と死が対立的で相容れないとする科学の常識にも異を唱えていました。熊楠は生と死が連続的で不可分であるという根源的な構造を感じ取っており、涅槃経(「この陰滅する時かの陰続いて生ず、灯生じて暗滅し、灯滅して闇生ずるがごとし…」)を引用したり、現世で罪人が死んで地獄の衆生が生まれると言った例え話を記しています。しかし彼はそんな生命観を実証する奇態の生物―粘菌と出会うのです。粘菌は無形の流動体となって動物のように移動・捕食活動を行う形態と、植物のように動かず胞子状の形態をとる形態を繰り返しています。動と不動、生と死を繰り返す粘菌こそ、熊楠にとって生命世界の真理を証明するものであり、彼の現実界を補強する症例になったのでした。

このように西洋近代科学とは違う科学、つまりトーテミズムから出発する科学や、粘菌の生命現象から成長する科学のシステムが存在するはずだと、熊楠は常に考えていました。これが熊楠の象徴界を補てんする最も重要な症例―「野生の科学」であると中沢所長は分析します。

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―「野生の科学」の可能性

これら3つの熊楠の症例―想像界を補強するトーテミズム、現実界を補強する粘菌の発見、象徴界を補強する野生の科学―をラカンの三界の図に当てはめると、症例自体がボロメオの輪になる奇跡的な構造をしていることがわかります。この強力な症例によって熊楠の乖離しかけた三界は再び結びつくことができました。奇人と呼ばれた熊楠は自分の狂人としての可能性に気づき、その危うさを補完するサプリメントとして、故郷の風習や自然観察などを元に自分の学問を発明していったのです。この熊楠の学問は決して過去のものではなく、「まだまだ未来に属する学問」であると中沢所長は語ります。これを究明していき、ヨーロッパ型近代科学とは違う科学、「野生の科学」を形成することで、私たちはたくさんのものを獲得していくことができるのではないでしょうか。

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 熊楠が研究を行った南方邸

 

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