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公開講座
:「社会と暮らしのインティマシー:いまなぜ民藝か」 第3回「mission&practices」レポート

2015/02/23

2014年12月20日(土)、野生の科学研究所にて、公開講座「社会と暮らしのインティマシー:いまなぜ民藝か」(全三回)の第3回目が開催されました。講師は、明治大学理工学部の鞍田崇准教授。最終回のこの講座では、もう一度、民藝の“いま”を捉え直し、民藝が持っている可能性について考えました。民藝を通して、これからの社会と暮らしを生き抜いていく術を探る、最終回のレポートです。

 

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「30」というキーワードから見える、生活工芸の変遷

奈良市郊外にある雑貨店「くるみの木」がオープンしたのは、いまから30年前の1984年。「暮らし」を提案する先駆けともいえるこのお店は、いまなお、同じようなフォロワーを生み、全国各地でお店が増えています。また、長野県松本市で毎年5月の最終週末に開催される「クラフトフェアまつもと」も2014年で30回目を迎えました。全国で「クラフトフェア」が開催されるきっかけともなったこのイベントには、いまでは全国から人が集まります。それぞれ、30年前に端を発した小さな動きが、いまでは全国に飛び火し、大きなうねりとなっています。これらの象徴的な2つの動きから見えてくるのは、生活意識の高まりでした。

とはいえ、こうした広がりが全国に波及していくなかで、一種ブーム化してしまった、クラフトや生活工芸といったものへの反発がいま生まれています。暮らしに根づいたモノづくりを行うはずの作り手が、“売る”ことを目的に自己主張しはじめたり、開催地である地元へのお仕着せ感や、現場との齟齬などが生まれたり。そうしたなか、季刊誌『住む。』で、漆器作家の赤木明登さんが、連載「クラフトフェアはいらない?」という記事を書いて話題となりました。生活意識の高まりと同時に、身の回りの道具に寄せられた思い。そうしたものから民藝というものへの再評価があったわけですが、全国のクラフトフェアの濫立をふまえ、飽和状態にあるいま、これからの民藝との関わり方を見直す時期に来たのではないかと鞍田さん自身も考えています。

 

ゼロ年代が終わり、新たな時代へ

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第1回に引き続き、再び、内閣府の「社会意識に関する世論調査」のグラフを提示しました。毎年行われているこの調査は、2000年以降、利他的で、個人志向よりも社会志向の高まりが見てとれます。その右肩あがりのグラフと、民藝のブームはたしかにリンクしていると鞍田さんは分析。ピークを迎えたのは2009年、しかしながら、2010年にガクンと下がり、そのまま下がり続け、社会志向が低くなっています。景気の動向に左右されているのか、もはやゼロ年代の時代の空気は、確実に次のステージへと変わってきています。第1回目の講座での話にあったとおり、社会意識と生活意識の高まりから、民藝がそれと連動するかたちでブームが生まれましたが、2010年以降は違う時代状況になりつつあるといわなければなりません。社会意識の低下と、生活工芸の時代の終わり。そうしたなかで、再度、なぜいま民藝なのかという問いを改めて立て直さなければいけないと鞍田さんは考えています。

 

民藝の持つ両義性とは

第2回目の講座で紹介した、堀口捨巳が1928年に建築誌に発表したエッセイを再び紹介しました。堀口は、近代建築を代表する建築家でした。ヨーロッパへ留学し、モダニズム建築の動きを体感して後に帰国。そして、日本の土着的なものへの美と、合理的なモダニズムの融合した数奇屋建築を手がけた堀口からすれば、近代的なまなざしを持ちながらも、土着的なものをもう一度顧みようとする民藝運動の目指す方向性と思想は同じだったのではないでしょうか。

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けれども堀口は、民藝館を見て「何かしら不快な淋しさ」を感じるとエッセイに記しました。それと同時に、「反時代的であるにもかかわらず尚私には何か心牽かれるものがある。それはその郷土的な情緒や懐旧的雰囲気に囚われるのみでなしに、何かそこに真実なものが隠されている様に思われるのである」(『大令記念国産振興東京博覧会を観て感想二題』)とも表現し、アンビバレントな評価をしています。

この民藝が持っている“アンビレントさ”が、実はとても大事なものなのではないかと鞍田さん。民藝の持っているブレ、振れ幅は、逆にいえば、のびしろでもある。不快でありながら、真実なものが隠されているという“両義性”そのものが、民藝が持っている側面なのではないか。この両義性を見失うことなく、民藝の本質を探ることこそ、大事なのことではないかと鞍田さんは考えています。

 

「愛おしさ=インティマシー」をデザインする

第2回を通して考えてきたのは、1928年の“機械の時代”へのアンチテーゼ、オルタナティブとしての“自然への回帰”という動きでした。民藝もそうした流れのひとつ動きとしてあったわけですが、そんな民藝がリバイバルしているいまの時代において、一体どこへ回帰するのか。それはもはや自然ではなく、人間らしさに帰るべきなのではないか。生き抜いていく術そのものが脆弱している現代において、人間らしさを取り戻す、そのきっかけが民藝にあるのではないかと、鞍田さんは考えてきました。

そこで、問われている「人間らしさ」というものについて、講座のテーマにもある「インティマシー」という言葉から考えてみます。「親密さ」「愛おしさ」と訳されるこの言葉。「愛おしさをデザインする」という営みについて、ずっと考え続けているという鞍田さんは、あるとき、山陰に足を延ばした際に、思いがけない出会いがあったといいます。

島根県の海沿いにある「森山窯」を訪ねたときのこと。家主である森山雅夫さんは、河井寛次郎の最後の内弟子です。そこで見た一枚の写真には、昭和35年頃、晩年の河井寛次郎と森山さんが海水浴で楽しそうに過ごしている様子が収められていました。河井寛次郎70歳、森山さん20歳。家族同様につきあい、内弟子として暮らしていた、その親密な様子が見て取れました。

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その時、「民藝は人なのだ」ということに改めて思い至ったという鞍田さん。森山さんの窯に入った時に感じた身震いが起きるような感覚、それと同時に居心地のいい落ち着きを感じたといいます。河井寛次郎の技法を取り入れ、いまも奥さんと2人で制作する森山さんは、河井寛次郎のやろうとしていたことを、いまも継承しています。師匠と弟子というつきあいでありながら、また人間同士のつきあいもあった。そうした“つくる人たちの系譜”のなかで、彼らがなにを受け継ぎ、なにを継承していったのかが大事だと考えています。

民藝には「美」を伴います。審美性、それこそが民具との違いです。また、骨董的なものだけでなく、いまの暮らしに合う現代性も持っています。自らつくり出し、創造するという現代性は、人間が生み出すものだからこそ。その人間性、人間らしさこそ、「愛おしさ」をデザインするということにほかならないと、鞍田さんは考えています。

 

新しい民藝の可能性

「愛おしさをデザインする」ということは、民藝のなかのクリエイティブな部分、現代性を体現した部分であり、つくる人への共感、人がものをつくるということへの共感から生まれるもの。しかし、つくる人は言葉を持たない人たちだからこそ、その思いやその活動や意味をくみ取りながら、継承していかなければなりません。

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ある建築家が、20世紀と21世紀をわかりやすく図で表記したものを鞍田さんは紹介しました。20世紀は大きな矢印の時代。ひとつの大きな矢印に対応し、乗っかっていればよかった時代でした。21世紀は、無数の小さな矢印の時代であり、色も大きさも形も向きもさまざまな矢印に耳を傾ける時代であると指摘しました。

とするならば、現代の民藝の可能性として問われている「愛おしさ」は、なによりも、この無数の小さな矢印に応じたものでなければなりません。この小さな矢印をどう考えればいいのか。

第2回の講座では、ハイデッガーを紹介し、「住まうことの学び直し」という彼の言葉を手がかりにしながら、民藝の現代的な可能性を問いました。そして、ハイデッガーと柳宗悦のさまざまな共通点を上げ、さらに、もうひとつ重なる部分を今回新たに指摘しました。

 

日常のかけがえのなさに対する共感=愛しさ

それは、柳宗悦が民藝というコンセプトに至るまでの思想として、前史的に「死」があるのではないかということでした。

『柳宗悦コレクション3 こころ』(ちくま文庫)に収められている3つのエッセイのテーマは、すべて「死」であり、それぞれ、妹、息子、関東大震災について書かれています。そしてこのあとに、民藝という言葉で、自分の思想を収斂させていくわけですが、柳宗悦にとっての「死」というテーマとはどういうものなのか。

ハイデッガーは『存在と時間』のなかで、人間の存在の意味を「死」と表現しました。ハイデッガーは、死の問題から逆説的に、存在の意味、可能性を問うているのです。ハイデッガーと死について書かれた本はたくさんありますが、柳宗悦や民藝と死については誰も言及していません。

人はなぜつくり、生み出すのか、なぜ現代的な新しいものをつくるのか。日々変遷していく時間という営みのなかで、人は常に終わりを生きています。だからこそ、「愛おしさ」というのは、そうした「死」を抜きにして語れないのではないか。終わってしまうもの、限りがあるもの、はかなく弱々しいもの。そのような終わり(究極の終わりとしての死)から、「愛おしい」という感情が芽生えるのではないかと鞍田さんは考えています。

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21世紀の無数の小さな矢印は、無数の小さな死と言い換えてもいいかもしれません。無数の小さな一つひとつの死が意味を持つ、そういう時代であるということ。どこまでも平凡な日常のかけがえのなさに対する共感というものが、「愛おしさをデザインする」ということの根っこの部分にあるのではないか。中世の宗教用語である「メメント・モリ」とは、「死を想う」「死を忘れない」という意味のラテン語ですが、まさにその「メメント・モリ」こそ、「愛おしさをデザインする」ということだと鞍田さんは考えています。

 

「いかに生きるか」と「なぜ生きるのか」という問い

「愛おしい」という言葉には、ただかわいいだけでなく、哀れや不憫といった意味があり、白川静さんの『字訓』によれば、労働の「労」という字を当て、「いとわしい」と同じ語源から、相手がつらく、苦しいであろうと思いやって、見かねる気持ちを表すのが「愛おしさ」であると記されています。

日々の営みそのものが、まさに労働であり、働くこと、ひいてはつくることにつながる。そうしたことの苦しさ、終わることへの共感が「愛おしさをデザインする」ことであり、「民藝」を考えるときの手がかりになるのではないでしょうか。

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また、「デザインする」という言葉についても鞍田さんは次のように説明します。そもそも「民藝」と「デザイン」という言葉自体が相容れないという指摘もあるかもしれません。しかし、デザインそのものが、いまいろいろな意味で曲がり角に来ていると鞍田さんは指摘します。

プロダクトデザイナーの深澤直人さんが日本民藝館の館長になったことにも触れ、かつての工業製品か手仕事かということではなく、両方の根っこにある共通性を問い直すことで、新しいもののあり方、つくり方、あるいはものとの関わり方を問い直すべきなのではないか。

そこで、鞍田さんはメディアクリエイターの佐藤雅彦さんのインタビューを紹介しました。デザインとは、「いかに」を問う。いかに人生をよく生きるか、生活しやすいようにするかを決めるもの。反対にアートは「なぜ」ではじまる。なぜ生きるのか。「美しく」というのは「いかに」のひとつであり、生き方の表し方のひとつである、といった内容でした。

社会意識と生活意識がうまくブリッジせず、現実の実感がうすれてしまい、社会変革に一歩踏み出す機会を失ってしまっている現状のなかで、いかに生きるかということは、より社会に貢献するように生きること、より自らの生活を豊かにするという方向へ意識を向けることでした。けれど、社会志向の低下と、ブーム化した生活工芸という流れのなかで、「いかに生きるか」という問い自体が消えつつあるのではないか。「愛おしさをデザインする」ということは、実は発想の転換であり、いままでが「How」の世界だとしたら、「Why」という問いに対して、目を向けていくこと。いかに美しいものをつくるかということだけではなく、それ以上に、なぜ生きるのか、なぜつくるか、という問いかけが生まれてもいいのではないか。rsそれがつまり、民藝と死というテーマであり、小さな死のなかで生まれる共感から見出だされるものがあるのではないかと鞍田さんは話しました。

いま求められているのは、人ごと、よそごとになってしまっているものを、もう一度自分ごととして取り戻すこと。民藝には確実にそのための手がかりになるものが潜んでいます。あるいはそれは民藝を継承してきた人たちのなかにも生きていて、その作品のなかに託されています。それをもう一度紐解き、考えること。つたなくとも、手探りであろうとも、自分たちの手で、自分たちの暮らしや社会を生き抜いていく術を回復していく。それが民藝の可能性であり、いまなぜ民藝かという問いに対する答えだと鞍田さんは締めくくりました。

 

 

対談:鞍田さん×中沢所長

生活工芸の30年と社会変化

以上の話をふまえて、中沢所長と鞍田さんの対談が行われました。

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生活工芸が30年という節目を迎えた2014年、中沢所長自身もデビューして30年であり、同じ時代の歩みのなか、時代の変遷を感じてきたと話します。70年代の激烈な思想的運動から、それに対するカウンターカルチャーが生まれました。そうした流れから、日常の暮らしをどうやってつくっていくのか、生きた思想をどうやってつくっていくか、という動きが浮上してきたのが80年代でした。

中沢所長自身も、70年代ぐらいから続いていたものが終わったという“終わりの感覚”があり、そしてまた、80年代には、世界の変容とズレが生じているという激しい意識を持っていました。とはいえ、社会はもっとゆっくりしたペースで変化が訪れ、だいぶ遅れて社会意識に変化が生まれはじめます。民主党政権とその反転を経て、現在社会はその混迷を極めているといえるでしょう。その中で生活工芸や民藝は、次のあたらしい形態のふつうの暮らしを模索しているのではないでしょうか。左派右派両方から、乖離が起こっていて、その真ん中に対して、新たな言語をどうつくっていくべきなのか。鞍田さんが掲げる「インティマシー」もまさに、この空洞化された真ん中にあるものなのです。

民藝や民俗学は、ふつうの人が何百年ずっとやってきた生活のかたちに潜んでるものを探ろうとする運動や学問であり、本来は保守的なものであると同時に、革新的でもあり、アンビバレントなものだと中沢所長は指摘します。民藝が置かれている状況や抱えている問題こそ、現代が抱えている問題そのものであると話しました。

 

民藝の生まれるところ

鞍田さんによる「インティマシー」という言葉から、社会学における「親密圏」について話はおよびました。いわゆる伝統的な家族に限定せず、それに代わるものとしての親密圏という考えが90年代に生まれましたが、現代は、TwitterやFacebookに代表されるSNSによって、さらに横への広がりが目覚ましく進みました。出会ったことがなくても、国が違ってもどんどんつながり、水平方向へと広がっていく時代であり、インターネットはまさにその象徴といえるでしょう。しかし、鞍田さんは人間の思考というのは横だけでなく、縦軸への広がりもあるのではないかと話します。横に広がって行くのでは飽き足らない、高めるのか深めるのか、いずれにしても、インターネットによる水平方向への拡張、拡大とは異なる原理というものを、もう一度考え直さないといけないタイミングなのではないかと考えています。

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中沢所長もまさにそうした思いから『アースダイバー』を執筆しました。東京という都市空間を、建築家のいう空間論とは違った視点で捉え直そうという新たなこの試みは、見えない空間への“根”のようなものを掘り出すことで、東京の空間が変容してくると考え生まれたものでした。そうした、もっと深いところに、つながりの経路を探るため、この思索を「アースダイバー」と名づけ、現在、神社編に取り組んでいます。日本の根源はどこにあるのか探っていくなかで、いま出雲大社をはじめ、日本海側をまわっているとのこと。鞍田さんの講義のなかの、河井寛次郎の話でも島根が出てきましたが、民藝運動も富山や福井など日本海側が中心であることも、こうしたことと関係があるのではないかと話します。

鞍田さんは、出雲の出西窯(しゅっさいがま)が新しい民藝のモデルケースになったことについても触れました。戦後、素人集団で焼き物をはじめ、柳宗悦や河井寛次郎、濱田庄司も親身に指導をし、バーナード・リーチも訪れているこの窯は、特定の作家が活動するのではなく共同運営で営まれ、いまも民藝の地として広く知られています。民藝が生まれる場所は、こうした出雲や日本海側にあるのではないかと鞍田さんも賛同しました。

 

基層文化は“縁”で生まれる

また、鞍田さんは民族文化映像研究所の所長をされていた姫田忠義さんに「基層文化」について尋ねたエピソードを話しました。姫田さんによれば、基層文化とは、少数のなかだけで細々と残り続けているものであるとのこと。けれど鞍田さんは、現代人ならではの基層性や、多数派の基層文化があるのではないかと考え、姫田さんにこの疑問をぶつけたところ、一蹴されてしまったのだとか。「愛おしさをデザインする」ということも、現代の基層性を深めていくことなのではないかと鞍田さんは考えています。

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その話を受けて、中沢所長は、いまに残る基層文化といわれるものは、すべてが基層文化なわけではないと指摘しました。たとえば、神社のお祭り。明治時代に国家神道が組織されて生まれたお祭りのなかにある基層となる部分というのは、よく探してみないとわからないといいます。基層文化というのは、バーチャルな見えない空間=“自然”であり、自然というのは実は見えないもの。そうした見えない世界と現実の世界の境界=縁のような場所で、バーチャルな空間への通路を持つ文化形態こそ、基層文化というのだと中沢所長は考えています。日本海側はそうした基層文化がまだ残っている場所として貴重な場所でもあるのです。

 

境界をつなぐ民藝

『陰影礼賛』で、谷崎潤一郎は日本家屋を絶賛しますが、なかでも、汲み取り式の便所についての記述が興味深いと中沢所長は話します。古い家に行くと来客用の座敷の裏に便所があり、家のなかに自然の営みである“腐敗”という要素が入り混んでいました。それが時代とともに、水洗に変わり、汲み取り便所は姿を消していきます。かといって、谷崎が言う“人間らしい”世界が消えてしまったのかといえば、そうではありません。民藝もまさに同じで、消えいくもののなかに、もう一度、自然世界との新しいつながりや回路をつくり出していくことこそ重要なのです。

たとえば、障子。内と外の境界を隔てつつも、光や空気を通す不思議な通路であり、ガラスにはない特性があるわけです。ガラスや水洗に代わることで、日本人のメンタリティにおよぼしていたものがなくなるかというと、決してなくなりはしません。日本人のメンタリティはずっと変わっておらず、その受け皿となるのが、民藝なんじゃないかと中沢所長は話しました。

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鞍田さんも続いて、パリの街の匂いについて話しました。タバコ、イヌの糞など、すさまじく汚いけれど、町並みは整然と整っていて、文化的にも成熟している。日本はキレイだけど、どこかよそよそしい。日本は、路上は禁煙といったル―ルやシステムが効率よくできていながら、結果的に起こっているのは、ルールのなかで生きてしまうこと。そのことに慣れてしまっていて、そのルールがどこまでほんとうの実効性や意味を持っているかを深く考えることをしなくなってしまっているのではないか。つまり、悪いことはしないけど、よいこともしない。結果的に、自分たちの暮らしにも、社会にも、コミットすることができなくなってしまっているのではないか。秩序を保つことの結果として、自ら動くことを忘れてしまうことを助長しているんだとしたら、それは問題だろうと鞍田さんは話します。民藝の講座のなかでくりかえし語っているのは、「自らの暮らしを生み出す」ということ。そうした暮らしのあり方を取り戻すきっかけに民藝があると考えています。

 

ノンヒューマニティの世界へ通路をつくる

民藝をかつてやっていた人たちは、変わり者が多かったと中沢所長は話します。民藝も白樺派も、創造的、破壊的なパワーがあり、悪魔であり天使であるような人たちでした。けれどある時期から、民藝の人たちは、天使を目指してしまい、そこから本来持っていた生命力を失ってしまったのではないか。ヒューマニティから排除され、いまのヒューマニティに組み込まれないノンヒューマニティにこそ、その力を取り戻す鍵があると考えています。昔の人々はノンヒューマニティへの通路を持っていました。それはたとえば、汲み取り便所や、不思議なお祭りや、平凡な飯茶碗といったノンヒューマニティの世界でした。もう一度、その世界への通路を蘇らせるにはどうしたらいいか。それはノンヒューマンに耳を傾けるということ。人間から排除されてしまったものへの通路をつくることが、民藝なのだと中沢所長は対談を締めくくりました。

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質疑応答

最後に質疑応答の時間が設けられました。まず、ひとつめの質問は、民藝運動とはどんな人が集まり、どのようにつながっていたのかについて。

民藝運動の広がりの最初の火がついたのは、浜松の大工たちでした。また、倉敷の実業家が、社会運動や労働環境を整備し、文化活動のひとつとして民藝に加わったりもしました。最初から整った議論ではなかったため、人と人のぶつかり合いや論争もあったといいます。そうしたなかで、『工藝』という雑誌を創刊することで、人々が集う新たなエリアをつくり出しました。『工藝』や、その後の『民藝』という雑誌が持っていたのは、人を繋げるという役割です。思想やコンセプトを届けるためには、言語が必要です。民藝運動の動きのひとつの要として出版というものが持つ役割は大きかったのではないかと答えました。

2つめの質問は、生活工芸と民藝、その違いについて。生活工芸は、民藝とは別物で、同時並行で動いている別の動きだと鞍田さん。ただ同時並行で動いているなかに、社会への問題の関心を持っている作り手や買い手、そして民藝に共感したり関わったりする人たちもいます。生活工芸のなかで試みられてきたいろいろな工夫があり、それは民藝では吸収しきれないものもあるし、逆に、民藝化し得ないものもたくさんある。それが生活工芸の良さであり、悪いところでもあるわけで、その2つを一緒にする必要はありません。また、生活工芸というのは、手仕事に限定しません。民藝は、手仕事や自然との結びつきというのをなによりも重視しているところがあるわけですが、それはしかし、機械がいい悪いとかということではなく、それぞれの役割が違うだけだと鞍田さんは考えています。

生活工芸の作り手である三谷龍二さんや赤木明登さんは、10年前から、雑誌にも取り上げられることなく、誰も見向きもしなかった生活工芸というものを、ずっとひたむきにつくってきました。彼らにはそうした強さが確かにあります。いま生活工芸が問われているのは、彼らが持っているひたむきな強さが、ブーム化してしまって見えなくなってしまっているということ。赤木さんが「クラフトフェアはいらない?」というのも、自分たちがやってきたことと違う方向に行こうとしているいまの生活工芸への問題意識の表れではないかと話しました。

3つめの質問は、民藝の持つ両義性について。民藝はもっと不快で、滑稽なものなのではないかという指摘に対して、鞍田さんは同意し、ヒューマニティを「人間くささ」と日本語に言い換えました。ものづくりや職人の技術によって、美しいものへと昇華しながらも、ただ美しいだけでない、「愛おしさ」を感じるものに、その背景にある作り手の「人間くささ」を感じる。そうしたあり方が民藝の生命力であり、その出し方をいま問われているのではないかと鞍田さんは話しました。

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来月18日には会津若松にて、鞍田さん・中沢所長・野生の科学研究所研究員の石倉さん・成瀬さんの4人による民藝に関するトーク「生活工芸と手わざ」(仮題)が開催されます。
(詳細は決まり次第お伝えします。)

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