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シンポジウム「動物のいのち」 レポート

2015/02/03

2014年11月29日(土)、明治大学中野キャンパスにてシンポジウム「動物のいのち」が開催されました。作家・華道家・画家・彫刻家・映画監督・文化人類学者など多彩な顔ぶれの総勢14名に及ぶ発表者が、自身の職業や個別の体験を足掛かりに「動物のいのち」の核心に迫りました。以下、それを受けて展開された後半のディスカッションまでの一部の議論を紹介していきます。尚、野生の科学研究所員でもある管啓次郎先生(明治大学教授)が総合司会として、石倉敏明さん(秋田公立美術大学講師)がディスカッサントとして、それぞれ本シンポジウムに参加しています。

 

開会宣言(管啓次郎さん)

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管さんには、シンポジウムを開くにあたってもうずいぶん前から頭の中に鳴り響いている言葉があったといいます。それは「動物たちが身を捧げてくれたおかげで、人は人になった」という、ドイツの芸術家ヨーゼフ・ボイスの言葉です。このボイスの言葉を踏まえて、本シンポジウムの持つ問題意識を管さんは以下のように語られました。

改めて言うまでもなく、私たちヒトは動物の一員です。しかし他の動物たちとの連続性を意識しつつも、自分たちだけを他の動物たちの生きる平面から離陸したものとして特別扱いもしてきました。アフリカに始まって世界中に分散していったわれわれ人は、衣・食・住の全てにわたって、土地ごとに、実に多様な仕方で、他の動物たちを利用してきました。その命を奪い、ひどい扱いもしてきました。もちろん感謝の気持ちを捧げることもありましたが、その命を何かに役立てるどころか、まったく無駄に破壊してしまうこともしばしばあります。そしてそれは、今も続いています。

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地質学的な部分で提唱された「人新生(アントロポセン)」という言葉を、しばしば耳にします。要するに地球環境が人間の活動によって激変した、近代の産業革命以後の200年ほどの時代を指しています。地球上に人間の介入しない場所はなくなり、ヒトは自らの利益のために恐ろしい勢いで地表を作り変えています。その陰で、植物にせよ、動物にせよ、住む場所を奪われ、絶滅していく種の数が激増しています。アメリカのエッセイストであるダイアン・アッカーマンによると、人とその家畜が、世界の哺乳動物のバイオマス(生物全体の重さの総体)の90%を占めているそうです。ところが西暦1000年の段階では、この数字はわずか2%でした。このように極端に人間化された、徹底的に人間中心の社会に私たちは生きています。

そんな世界にあって時折、人にいのちの在り方を考えさせる出来事が起こります。人間の命だけではなく、動物たち、植物たちを含めた、地球上のすべての命についてです。2011年3月11日の東日本大震災は、まさにそんな出来事であり、それに続く状況は今も変わりません。

 

「動物のいのち」をテーマにした発表

続いて総勢12名による発表が行われました。多様な視点から「動物のいのち」にせまる大変興味深い発表ばかりでしたが、今回は「殺し」と「距離」というシンポジウム全体を貫いた一本の線を辿りながら、レポートしていきます。

 

「写真とナチュラル・ディスタンス」

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写真家の赤阪友昭さんは、アラスカで撮ったカリブーやヘラジカの写真をスライドで見せながらの発表となりました。中心となったテーマは「ナチュラル・ディスタンス」という言葉です。これは人と動物、命と命の適正な距離感を表すアラスカの言葉で、写真撮影にとって重要なものとなります。この「ナチュラル・ディスタンス」というものが分からずに不用意に獣に近付いてしまうと、彼らは一斉に逃げ出してしまい写真はとれません。動物の動きや習性を観察して、間合いを測ることで、少しずつナチュラル・ディスタンスを知っていく必要があるといいます。図らずもこの赤阪さんの提唱した動物との適切な「距離」というものが、本シンポジウムの通奏低音として最後まで響くことになります。

 

「動植物のありように、人のありようを重ね合わせる」

華道家の片桐功敦さんの発表は「動物の・・・いのち」というテーマに対して、「植物の・・・いのち」からアプローチしてみるという点で、非常に印象的です。

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花を器に挿すことを「活ける」という動詞として持っているのは、日本だけではないかと片桐さんはいいます。しかしここには不思議な矛盾があるのです。なぜなら実際に花を活けるには、一度自然の中から花を切って、いわば殺してから持ってこなければならないからです。それなのになぜ日本人はそれを「活ける」と呼び、そこに美を感じるのか。しかしこれとは異なるもう一つの問題が、今回の発表の核となりました。「植物の移り変わりと人間の人生の移り変わりを重ね合わせる表現は世界中にありますが、どうすれば花を自分の現し身のように感じられるか」、これこそ片桐さんが仕事を続けていく中で、ある種問い続けていかなければいけない究極の問いであるといいます。

そうして色々と模索する中で、その問いに答えが見出せるようなある場所に片桐さんは辿り着きます。そこは福島県南相馬市でした。片桐さんは震災後、この地に咲き乱れたミズアオイという植物を活け始めたのです。というのも、このミズアオイという植物は環境省のレッドリストで「準絶滅危惧種」に指定されている植物で、かれこれ40年以上この地で咲くことがなかったものでした。しかし震災から3年後、突如群れて咲きだしました。ミズアオイは元々縄文時代にはこのあたりに多数繁茂していた植物でしたが、その上に人間がアスファルトを敷いたり、田畑を作って農薬を捲き散らしたりしたせいで育たない環境になってしまいました。それを津波がすべて洗い流し、土をかきまぜ、土の下で休眠状態にあった種が表面化して、潮が引いたタイミングで一気に咲きだしたというのです。このミズアオイを、敢えて片桐さんは活けてみようと思ったのです。ミズアオイにとどまらず、片桐さんはいわゆる「20km圏内」と呼ばれるところに生えている植物を自分で取ってきて、そして場合によっては地元の博物館でかつてそのエリアに暮らしていた人達の使っていた道具を借りて、それらを活けているそうです。またその花を差し込む器として、震災後餓死してしまった動物の頭骨を使っているといいます。花の滅びのありようを自分のそれと重ね合わせる努力は、動物の滅びのありようと人間のそれを重ね合わせる感性を養うものだと片桐さんは語ります。動植物の死が、我々のいま立っている大地となる。いわば滅びの上に我々は成り立っているということを忘れないことが、「動物のいのち」を考える上で重要であるということを片桐さんは話しました。

 

「猫の眼差し」

小説家の木村友佑さんの著書『聖地Cs』(新潮社)には、猫と牛の二つの小説が収められていますが、もともと動物に強い思い入れがあるわけではなく、単純に「動く生物」のように考えていたそうです。しかし動物に対する思い入れがなかったにもかかわらず、いつの間にか人を見るのと同じ視線で見つめるようになりました。その視点の変化は、彼らを「動物」という枠組みで見なくなったからだと言います。「猫」だ「犬」だ「動物」だとか、そういう名前のイメージを通して見ることなく、プレートから外れてそのものを見ることができるようになったというのでツシマヤマネコす。

なぜ木村さんがそのような見方ができるようになったかというと、家で猫を飼い、溺愛し始めたことに由来します。その溺愛ぶりは「猫の香箱を死守する党」という小説に直接的に現れています。またその飼猫はオスで、木村さんも男性であるにも関わらず、猫がなにやら恋人のように感じられる時もあるといいます。いわば猫に対して、性別や種族を越えた感情移入をするようになったのです。すると彼らの視線が気になりだしたといいます。「彼らの目から見て僕はどう映っているのだろう? 彼らは彼らで、僕には計り知れない世界に住んでいる気がする」、この木村さんの素朴な感情を、後にディスカッサントの石倉敏明さんがレヴィナスからデリダにまで及ぶ大きな哲学的問題へ発展させていきます。

 

「彫るために殺す」

彫刻家の橋本雅也さんは最近、主に鹿の骨や角といった素材を彫刻で扱っています。なぜ骨を扱うようになったかといえば、それは山の中でたまたま見つけたアナグマの頭骨の「白」にはっとさせられ、骨に漂っている気配に魅せられたからだといいます。橋本さんはこの骨の中に内在する何かを直観し、彫ることで表出できないかと考えました。しかし彫り始めてみると、中々素材の核心に迫れない。なぜかと不思議に思っていたそうですが、あるとき「鹿の骨を、スーパーでパック詰めされた肉を無意識にカゴの中に入れているのと何ら変わらない気持で扱っている自分」にふと気づいたといいます。この骨が山を駆け巡っていたかつての生命であったことなど、すっかり忘れていたのです。

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こうして悩んでいる折、橋本さんは猟銃の免許を取って狩猟を始めた親しい友人の猟に同行させてもらいました。それは4年前の2月ころの非常に寒い時期でした。山に入って2日目に、ようやく鹿の群れに出遭って、一番近くにいたメス鹿を猟師が撃ちました。それを2人で川原に運んで血抜きをしましたが、その頃になるとあたりは真っ暗で、ヘッドライトを点けながらの作業となりました。シカの体内に手を突っ込んで内蔵を取るのですが、その時のシカの体温が温かかったのを橋本さんは記憶しているといいます。すると猟師の手が、突然止まりました。子供を宿していたのです。もうシカの姿をしている胎児でしたが、それが出て来たとき頭の中が真っ暗になったといいます。家に戻り、朝になると、狩ったばかりのシカの心臓や肝臓を猟師が調理してくれました。目をつぶって焼いた心臓を食べていくと、すごく暖かくて力強い流れが自分の中にも流れ込んでくる気がしたと橋本さんは語ります。「その食事は本当に喜びに満ちていて、人が食べる喜びというのは、その動物のいのちに触れると同時に、自分のいのちに触れるということなんだと分かった」、橋本さんは狩猟という命を奪う行為を通して、逆説的に命を知ったのです。

そうして木村さんは狩ったシカの骨を持ち帰り、ふたたび彫り始めました。一頭分のシカの骨がアトリエの片隅に山積みになっている状態で2週間くらいいると、何か命の残り香のようなものが常に感じられたといいます。こうして実際に狩猟に参加することで、橋本さんは骨に生命を宿すことができるようになったといいます。

 

「殺しの価格」

服部文祥さんは「サバイバル登山」という、装備と食糧を出来るだけ持たない山登りを実践している方で、今回の発表ではその中でも狩猟という部分を抽出して「動物のいのち」というテーマに繋げてくれました。

服部さんによればこのサバイバル登山によって、自然の恐怖を直に感じることができるといいます。中でも自分で獲物を殺し、処理し、食べるというある種の恐怖体験は、登山を始めるまでしたことがなかったので、色々考えさせられたといいます。とりわけ印象的だったのが、登山を終えて都市に戻った服部さんが、スーパーで買った肉を食べたときに抱いた「俺はこの動物を殺していないし、捕まえていない」という感情です。つまりサバイバル登山において、動物を食べるときに払わなければいけない「殺しの代償」がそこになかったのです。「イワナを釣ったときは嬉しいのに、殺すときそこにやはり喜びはないんですよね。黒い影がふっと走るような感覚。いわばその嫌な感覚、マイナスな感覚を、肉を食べるときには忘れてしまうんですよ。果たしてこれでいいのか」と自分が手をかけていない肉を食べるたびに考えるようになったといいます。「豚の細切れ100gだったら100円ほどで売ってると思うんですけど、そこに殺しの値段(・・・・・)は含まれているのかなとも考えてしまう」。確かに「殺し」を体験しないで肉を食べるのはアンフェアであるかもしれません。大型哺乳類を自分で殺すことなくそれを食べることは果たしてどうなのだろう、そうした大きな問題を提示してくれた発表でした。また狩猟という殺しを経験することでしか、「動物のいのち」に肉薄できないという見方は先の橋本さんの発表とも重なる部分がありました。

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「屠場の熱気」

纐纈あやさんは、監督として2本の映画を制作していますが、それらは「人々の日々の暮らしぶり」というテーマにこだわって作られたドキュメンタリーでした。二作目の『ある精肉店のはなし』という映画は、大阪府貝塚市にある北出精肉店の四人家族の暮らしを撮影したものです。映画を撮る上で見学した屠場の様子を通して、纐纈さんは「動物のいのち」について語ってくれました。

屠場に興味を持ったのはあるモノクロ写真との出会いが始まりでした。具体的には本橋成一という写真家の、屠場の作業を映している写真でした。纐纈さんはその写真の前で石のように固まってしまい、しばらく動けなくなってしまったそうです。それから運よく、大阪のとある屠場を見学する機会を得ることになります。纐纈さんは屠場の現場にある限定されたイメージを持っていました。一言で言えば、とっても無機質なものを想定していたのです。以前ニコラウス・ゲイハルター監督の『いのちの食べかた』というドキュメンタリー映画を見たことから、屠場は「命あるものが機械的に肉になっていく、そして合理的に量産されていく場所」と考えるようになったといいます。さらに、「無機質からの連想で、とても冷たくて、暗くて、哀しくて、働いている方々も悲壮感漂っているんじゃないかみたいな、ほんとに勝手なイメージを抱いていた」とまでいいます。しかし、実際に屠場に入ってみて纐纈さんが感じたのは、「熱気」でした。まず働いてる方々が全身から大汗をかいている。そして殺菌したり脂を落とすために大量にお湯をつかっている。そして牛はノッキングすると体温が2度ほど上昇するらしく、牛も熱を放出している。movie屠場というと死というグレーな冷たいイメージを想像していたにも関わらず、本当は生と生が対決するような、有機的な命と命がぶつかっている場所だったというのです。この経験を経て、纐纈さんは屠場を映像化したいと考えるようになりました。

そうしてやっと北出精肉店の皆さんに出会います。見た目は小さな肉屋、でもその裏には牛舎があって、そこでずっと仔牛から飼育して、歩いて数分のところにある屠場で家族四人で解体する。機械化されていないのでナイフ一本で行う。内臓も皮も肉も、全部持ち帰って売る。正に生産から直販まで自分たちで行うスタイルです。纐纈さんは「この映画を撮りながら、自分は『動物性の回復』を行っていたんだと思う」と思い返し、発表を終えました。

 

「先住民カスカと初源的同一性」

山口未花子さんは文化人類学者です。今回は、自身の研究対象であるカナダ先住民・カスカの人たちの動物観、そしてそこから自分が感じ取ったことを踏まえつつ、「動物のいのち」の核心に迫ろうとしました。まず山口さんは、自身の研究が「人と動物の関係」というテーマに向かった経緯から話し始めてくれました。物心ついたときから動物が好きで、大学に入って動物生態学を専攻しますが、そこで違和感を感じ始めました。なぜなら動物生態学は動物の残した痕跡を野外で採集するのですが、そこで得られた客観的データや数値をもとに動物を描こうとするからです。山口さんはこの数値化で削ぎ落されたものこそが、動物のより面白い部分ではないかと考えたのです。

そうした数値化への懐疑を解消してくれたのが人類学でした。人類学は人間と動物の関係について、動物生態学では等閑視されたあの数値化できない部分をカバーできると感じた山口さんは、大学院からは文化人類学を専攻することになります。動物と人間を繋ぐ最大のテーマは「狩猟」であるという考えのもと、アイヌ民族や捕鯨の研究を経て、カナダの狩猟採集民カスカの研究へと至ります。人類というのは根本的に狩猟採集民ですから、カスカのような人々を研究することは、決して単なる過去の研究ではなくて、今現在の私たちを知る手がかりでもあるといいます。

ヘラジカ

山口さんはカスカの老人に導かれて初めてヘラジカを仕留めた時の様子を、スライドで見せてくれました。ヘラジカは解体され、肉は集落に持ち帰るわけですが、印象的なのは残ったヘラジカの器官を枝にぶら下げるという風習でした。なぜこんなことをするかというと、器官には動物の魂(スピリット)が宿っていて、風がそのぶら下げた器官を吹きぬけるとまた息を吹き返して、肉や毛皮を身につけて再び人間のもとに戻って来てくれるという信仰があるためです。つまりカスカの人たちにとって、動物たちは自ら狩猟されにやってくる贈り物のような存在なのです。また、カスカの人たちは動物と会話ができるといいます。日常の生活の中でも、動物の霊と相談しながら物事を決めていくことが多々あります。これらの背景には現代の人類学が「初源的同一性」や「対称性」というキーワードでつかみ取ろうとしている、人類の心の普遍性に関わる思想が存在していることを、山口さんは発見します。それは「人と動物はお互いに入れ替わることができる、それは神話の中などで元々両者が同一の存在であったから」という考え方です。またカスカの人たちは、Part of the Animalという言葉を使います。命は連鎖していて、死んでも消えることはなく、死んだら他の何かになるという考え方です。動物と人間のみならず、植物も、大地も、みなすべて繋がっているというこのカスカの教えは、「人間のいのち」と「動物のいのち」が経済などの社会システムによって完全に分離されてしまった現代にこそ、再考されるべきものかもしれません。

2人のディスカッサントによる発表に対するコメント、及び論点の整理

石倉敏明(ディスカッサント①)

野生の科学の科学研究所員でもある石倉さんは、午前の6人の発表者についてコメントしました。特に印象的であったものをいくつか取り上げます。

まず写真家の赤坂友昭さんの発表に関してのコメントです。石倉さんは、動物との「距離」が写真撮影において重要であったという問題をさらに掘り下げます。写真を撮るということが英語で「シューティング」であることからも分かるように、写真は狩猟に繋がる表現行為です。なぜならどちらも等しく、安全な「距離」を必要とし、撮る/撃つ(ショットする)ことで対象の動きを止めるからです。

徳之島-2続いて作家の木村友佑さんの発表に関して、石倉さんは木村さんのいう「猫の眼差しから見た人間」という発言に、非常に深い哲学的問題が隠されているといいます。都会で生きていて、猫の眼差しをどう受け止めていけばいいのか。ジャック・デリダは晩年に行った講演の中で、彼が風呂場で裸でいるときに猫に見られている、その恥ずかしさについて語っています。(注:この講演は、ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は〈動物で〉ある』(筑摩書房、2014年)に収められています。)デリダはこれが人類にとって、とても大きな問題であると感じるのです。というのは、今まで眼差しというのは、人間の眼差しであったからです。例えばレヴィナスは、人間の意味の基盤となるのは人間の顔であり、人間の眼差しであり、問いを発したら問いに答えてくれるという「応答可能性」であると言っていたのですが、それにしてもやはり人間の問題であったということ。「レヴィナスは動物の顔、動物の眼差しについて考えたことがあるのか」、とデリダは問うたのです。石倉さんは、パーソナルな猫の眼差しから、動物と人間の関係についてもう一度考え直さなければならないのではないかと提言しました。

 

波戸岡景太(ディスカッサント②)

明治大学教授でアメリカ文学研究者の波戸岡景太さんは、「距離」をキーワードにコメントをしました。

波戸岡さんによれば、彫刻家の橋本雅也さんの「狩猟してシカの胎児を目の当たりにして視界が真っ暗になった」というエピソードや、映画監督の纐纈あやさんの「本橋成一さんの屠場の写真を見てその場から動けなくなった」といったエピソードに代表されるように、6人の話に共通しているのは、視界が真っ暗になる、体が一瞬動かなくなるなどして、われわれ観察者の立場が遮断される、そういう経験があってから話が動物との「距離」に発展していくということです。そして動物との距離を縮めて一体化を求めようと思うと、ある人は狩猟や屠殺といった「殺し」の現場へ向かうというのです。

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纐纈さんは屠場で動物の温度を感じたと言っていましたが、その命の温度というのは、単に身体と身体が触れあうと言うレベルの話ではなく、どちらの体温か分からなくなっていく「ゼロ距離」で感じられるものではないか、そう波戸岡さんは語ります。しかし同時に、そのゼロ距離にとどまるとかなり危なくて、そこから引きかえして何を表現するかというのが大切だとも言います。一度、ゼロ距離まで動物に接近して、そこから一歩引くことで「動物のいのち」の核心が得られる可能性を波戸岡さんは指摘しました。

 

(総括)いのちを奪う・・ことの大切さ

「私が驚いたのは、動物のいのち・・・を語るのに際して、皆さんが動物のをもって語っていたということです」

これは登壇者の一人としてライブドローイングのパフォーマンスを行った佐々木愛さんが、ディスカッションで発した言葉です。これがシンポジウム全体を通しての最大の特徴であるといえるでしょう。つまり、人は「死」をもってしか「生」を語りえないということです。

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私たちは学校で「動物のいのちを守ることの大切さ」を耳が痛くなるほど学びます。しかし「動物のいのちを奪う・・ことの大切さ」を誰も進んでは教えてくれません。社会は、いのちを奪うといった汚れた作業に対しては蓋をして見えないようにするからです。スーパーで売っている牛肉から、角と角のあいだを撫でてあげれば気持ちよさそうにしてみせる牛が、バラバラに解体されていく様子を想像させないようにしているのです。しかし人間が生きていく上で動物を殺すことが避けられない以上、「動物のいのちを奪うこと」の尊さを学ぶことが、「動物のいのちを守ること」に先行するのではないでしょうか。だからこそ人間は、動物が殺されていく姿に自分自身を重ね合わせ、互いが互いを侵犯し合うような「ゼロ距離」で共感しようとする努力を怠ってはいけないのです。こうして、私たちは管さんが最初に紹介したヨーゼフ・ボイスの言葉に回帰するといえるでしょう。

「動物たちが身を捧げてくれたおかげで、人は人になった」

 

このレポートでは全ての発表を紹介することはできませんでしたが、他の登壇者の方々も大変興味深い発表ばかりでした。様々な表現分野を横断して「動物のいのち」を問う、記念すべき一日となりました。なお、シンポジウムの抄録は雑誌『すばる』2015年4月号に掲載される予定ですので、どうぞご期待下さい。

 

【開催概要】2014年11月29日(土)10:00~17:00 明治大学中野キャンパス5階ホール
主催・明治大学理工学研究科 新領域創造専攻 共催・明治大学 野生の科学研究所

【発表者】*赤阪友昭(写真家)*片桐功敦(華道家)*木村友祐(小説家)*佐川光晴(小説家)*佐々木愛(美術家)*高山明(演出家、Port B)*橋本雅也(彫刻家)*服部文祥(サバイバル登山家)*纐纈あや(映画監督)*古川日出男(小説家)*分藤大翼(映像人類学者、信州大学)*山口未花子(文化人類学者、岐阜大学)
【ディスカッサント】*石倉敏明(芸術人類学者、秋田公立美術大学)*波戸岡景太(アメリカ文学者、明治大学)
【総合司会】*管啓次郎(比較文学者、明治大学)

 

(文:後藤護、写真:野生の科学研究所)

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