イベント【鶴岡ふうど駅スポ】緑の山伏〜出羽の食から見る未来〜レポート/前編
2013/08/02
2013年6月15日(土)、16日(日)、山形県鶴岡市で、食の祭典「鶴岡ふうど駅スポ」が開催されました。
「食と工芸」「食と祈り」「食を受け継ぐ」などのテーマに合わせて、鶴岡の豊かな「食」の魅力を伝えるこのイベントに、十数年来、鶴岡と関わりのある中沢新一所長も登場。野生の科学研究所の食と農のプロジェクトとも関連して、鶴岡の食の未来について考えるトークショーや展覧会など、盛りだくさんのイベントの様子を、前編・後編にわけてお伝えします。
「緑の山伏」と鶴岡の深い関わり
中沢所長と鶴岡の関わりは、今から15年前にさかのぼります。中沢所長のもとに届いた一通の手紙。その差出人の名は森繁哉氏でした。当時、山形県大蔵村の職員であり、舞踏家だった森氏から「村へ来てほしい」と請われ、その手紙が「あまりにすてきだったから」と山形を訪れることにした中沢所長は、山形の食のあまりの豊かさに感動したといいます。
以来、学生を連れて大蔵村で農業を始めました。そして、山岳信仰の総本山でもある、羽黒山に住む「山伏」の人々との出会いを経て、山形へと通うことになっていったのです。
山の宗教の体現者でもある「山伏」は、山形県の羽黒山を中心とする自然思想をいまに伝える重要な存在です。中沢所長も長年、学生らとともに山へ入り、山伏体験を行いながら、その文化を継承してきました。
そこで昨年より、全国で活躍する山伏たちとともに「緑の山伏」というネットワークを結成し、山伏文化を未来へとつなげる活動を行っています。
その「緑の山伏」の名を冠し、6月16日(日)にTSURUOKA FOOD EXPO2013にて開催されたのが「緑の山伏ー出羽の食から見る未来」というイベントです。
出羽三山の宿坊に古くから伝わる伝統的な精進料理や、重要無形文化財でもある「黒川能」やライブとともに、イタリアンレストラン「アル・ケッチャーノ」オーナーシェフの奥田政行氏と中沢所長のトークショーが開催されました。
「言葉」を介して、物語を紡ぐ料理
2000年のオープン以来、地元・鶴岡や酒田などの庄内食材を活かした“庄内イタリアン”で人気を集める「アル・ケッチャーノ」オーナーシェフの奥田政行氏。
そんな奥田シェフとの出会いは、昨年公開された映画『よみがえりのレシピ』の記者会見が最初でした。その時、奥田シェフの独創的な料理が「言葉」から生まれることに、中沢所長は驚いたといいます。
「ふつう、料理をやる人は食材に“イメージ”を投げかけることはしないんです。けれど、奥田さんは食材に“言葉”を与えて話し合いをさせながら、イメージを重ね合わせて物語を作っていく。“言葉”を使った料理というものが、とても新鮮でした」
たとえば、きゅうりなら、「ぱりんと、水分がはじけて、甘みがあって、苦みもある……」といった具合に、第1印象から第6印象くらいまで言葉で表現。それと合わせる食材は、反対のイメージを想起させる「ふにゅっとやわらかくて、ぱさついていて、やや苦みがある……」という言葉でした。
そうして、今まで自分が食べたことのあるイメージから対する食材を探していき、「強くしぼったツナ」や「口細カレイを焼いたもの」を探し当てるのです。
「そのふたつの手をつなぐのは『塩』なんです。食材同士を “共鳴”させる塩を日本中から探してきます。そうすると、正反対だった食材が、お互いにおしゃべりをはじめてくれる。食材を合わせてどう共鳴させるかを考える。それが料理なんです」(奥田シェフ)
根底に流れるのは東北の人々の自然観
食材を人間のように扱い、人格を与えて組み合わせていく奥田シェフの思いの根底に、東北の人たちの植物や動物に対する自然観に共通するものを感じとったという中沢所長は、大蔵村で出会った東北の人々のエピソードを話してくれました。
「東北の人たちは植物に対して、ものすごく近しい感情を持っているんですね。とりわけ春先になると、大蔵村の人が浮き足立つのがひしひしとわかるんです。みな『山へ入らなきゃ』と気持ちがそぞろ。きっと山菜が芽吹くさまを想像して、いてもたってもらいられない状態なんでしょう(笑)。まるで植物が自分のことを待っていて、自分に取ってもらいたいのだと思っている。おばあさんがカゴをしょって、すごいスピードで山へ入って行くのを見た時に、ここの人たちは縄文の頃から変わらないのだと思いましたね(笑)」
同じく、奥田シェフの料理思想も「東北ならでは」という中沢所長。
「西洋の料理書などに書かれているのは、植物も動物も『素材』だということ。いかにそれを料理して、人間側がおいしく食べるかどうかしか考えていない。けれど、奥田さんの料理は、植物たちが『こうなりたい』ということを想像して料理する。そうした考えは今までなかったんじゃないかと思いますね」
かつて、人間が、植物や動物、死者ら、自然の呼びかけに応対する文化としてあったといわれる山の宗教。「その信仰の場として羽黒山があり、そこを拠点とした山伏らの精神性と、春先のおばあちゃんたちのうきうきした気持ちは根っこでつながっています。それは奥田さんが頭のなかで考えていることにもつながってる。この土地のすごさを物語っていますね」という中沢所長のいう通り、昔から自然と人が近しかった庄内という土地だからこそ生まれ得たのが、山伏であり、奥田シェフなのかもかもしれません。
土地を知り、食材の“声”に耳を傾ける
奥田シェフの料理は、庄内という地域の気候、風土、歴史的背景までをも見据えたもの。
「地元庄内で料理をやろうと思った時、庄内の土のこと、山のことを勉強しました。その森が針葉樹なのか、ブナ林なのかということがわかると、そこから流れる水がわかってくる。そしてそこで採れる食材がどういう味なのかが決まってきます。さらに庄内に住む人たちの歴史を知ることで、どんな料理をつくればいいのかもだんだんとわかってきたんです」(奥田シェフ)
庄内に多く残る在来植物の種や、山伏に代表される日本の古いかたちの文化。そうした土地が持っている、見えない文化や深い歴史が、ほかの地域よりも庄内には色濃く残っています。
「庄内には、何かを未来に生み出す力の源泉が残っているように思います。奥田さんの料理は、そのひとつの象徴ですね」(中沢所長)
土地が持っている記憶。それが連綿と受け継がれてきた庄内。その声に耳を傾け、今に、そしてこれからにつなげていく重要性を、ふたりは感じています。
土地に根ざしながら、そのまなざしは遠く世界や未来をも見据える奥田シェフと、はるか縄文から今に至る人々のさまざまな営みを俯瞰して捉える中沢所長の2人の熱いトークは、鶴岡の食の未来を明るく照らし出していました。
(取材・文/薮下佳代 写真/三浦雄大、野生の科学研究所)