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野生の科学とは何か

2012/06/12

2011年3月11日の大震災の後、日本は非常に大きな変化を体験し、今なお体験しつつある。なかでも、サイエンス/科学の問題が非常に大きくクローズアップされ、これが国民的な問題にすらなっている。はたして、われわれの科学技術は今までの形のままでいいのだろうか? そこには何か、取り返しのつかない欠陥があるのではないか? そんなことを本当に普通の人たちまでが深く考えるようになった現在、これまでの科学とは違う科学――人文科学も自然科学も含め、そのすべてを大きく作り替えていくような研究の場を開かなくてはならない。「野生の科学」という名前には、そんな思いが込められている。

私たちにとっての「野生」という言葉、まずそこから始めよう。「野生の科学研究所」という名称は、日本語で聞いたときにすんなり耳に入ってくるかもしれない。が、これを英語にしたり、フランス語にした場合、微妙な問題が発生する。というのも、これを「Institut pour la Science Sauvage」とし、フランス語の達者な人たちに見せたところ、否定的な声ばかりが返ってきたのである。その表現では「卑猥な科学」という意味になってしまうというのだ(ラブレー的な意味でなら大歓迎だが)。英語の場合もほぼ同様、「野卑な科学」「下品な科学」であるから、この名前は考え直した方がいい、としきりに勧められる。それを聞いて心中ひそかに快哉を叫んだのは、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースが『La Pensée sauvage(野生の思考)』(1962年)を上梓した際の世評を連想したから、と言えば、いささか気負いすぎになるだろうか。すなわち、なぜ思考(Pensée)に「野卑な」あるいは「野蛮な」という形容詞を付けなければならないのか、と……実際「野蛮な心」を意味する英語訳のタイトル『Savage Mind』を見た人々の驚きは相当なものだったらしい。もちろん、レヴィ=ストロースというのは非常にスマートな人だったので、表紙に野生の3色スミレの絵を何げなくおくことで、『La Pensée sauvage』に「野生の3色スミレ」という意味があり「野生の思考」という意味もある、という洒落たダブルミーニングを持たせたのであるが、私たちの「La Science Sauvage」あるいは「Savage Science」の場合、もっと剥き出しな意味になってきてしまう。が、言葉こそが現実に立ち向かう唯一の武器であるとすれば、このような時代にはそれにふさわしい程度に剥き出しにしなければならないのではないか。今の私たちの気持ちとしては、これ以上にふさわしい言葉はない。「pour la Science Sauvage」すなわち「卑猥な科学」「下品な科学」「野蛮な科学」そういう意味もすべて含めた、新しい人間についての学問を考える、そのための研究所にしたいと思う。

「Science」という言葉は、もともと広く「知識」という意味を持った言葉である。その歴史は非常に長く、しかも人類の「知識」ということについての構造が時代ごとに変わってきている以上、現代人が「Science」として理解しているものと、かつての人々の理解が違うのはごく当然のことだろう。今「Science」と言った場合、真っ先に頭にうかぶのは自然科学であるが、これは自然科学がルネサンス以後のヨーロッパで、ある特殊な構造に変化を遂げ、「Science」というものの唯一絶対のあり方だと広く受け入れられるようになったからにほかならない。つまり、知識というのは(のちのち「自然科学」と呼ばれるような)厳密なやり方を通して得られたものしか信用することはできない、という考え方の蔓延である。出発点をガリレオ・ガリレイに求められる、この構造は、やがてルネ・デカルトへとつながり、現在にいたる「Science」の考え方が決定的な重要性を持っていく。具体的には、自然界のさまざまなふるまいは数式にでき、計算可能であるという考え。そして、人間の外にある世界は人間からは切り離されている客観的な対象=オブジェの世界であるという思考法を、数学的に確立したのがガリレオであり、哲学で表現したのがデカルトだったのである。

それでは、ガリレオ以前の「Science」はどういう形をしていたのか。 その典型的なあり方を、われわれは映画や小説にもしばしば登場する錬金術に見ることができる。物質を対象とする点では今日の自然科学に通じるものの、最大の特徴は「人間の行為が物質の世界に影響を与え、変えていく」という考え方にこそある。その前提となるのは、人間の心と物質の世界は分離されていない、という思考法だ。物質の世界が人間の心の中に影響を与える一方、人間の心も物質に影響を与えることができ、それによって自然界の元素を自由に変えることができるというのが、錬金術の基本にはある。これは、ガリレオ、デカルト以後の科学が人間と自然を分離し、客観的に外の世界においた自然を数値によって計算したうえで、その相互関係を論理的な言葉(最終的には数式)によって表現できるという考え方と大きく違っている。それは、錬金術において一番重要なのは人間と自然の「入れ子」状態になっている関係であり、人間の心が自然の中に影響を及ぼし、自然が人間に影響を及ぼす、両者の中間にあるインターフェース=媒介的な空間をどう扱うかという実践そのものだからだ。古い形の「Science」においては人間が世界になにか「実践する」ということが意味を持つのであり、その実践とは人間が自分を自然の中に投げ込むという意味で、ひとつのアンガージュマン(engagement)にほかならない。人生そのものを巨大な謎につくりかえようとすれば、人はいつの時代にも実存主義者たらざるをえないのである。アンガージェすることで心と物質の間に相互作用が生まれ、そして世界が変わって行く――こうした錬金術の考え方の芽生えは非常に古く、最も初期の段階で組織化されたのは今からおよそ3万年前の中石器時代だったとされる。それが新石器時代に入りひとつの体系をつくるようになって、他の知識と同様、人間の自然についての知識もまた新石器型の古い思考の過程で完成されていった。そこには人間と自然の間に媒介的なつながりがあり、人間と人間の間にもインターフェースとしてのつながりが存在するため、これを客観的、論理的に表現するのははなはだ難しい。つまり、自然の中になにかを見出した瞬間、当の人間の意識はそこに否応なく影響を及ぼし、客観的に数式で書いたり、数に直したりできないということになってしまう。ウロボロス(錬金術のシンボルでもある)に象徴される、自己言及のパラドックスと言ってもいい。そこでは人間と自然、人間と人間は一体となって動いており、そのダイナミックな動きの中に発生するものから抽出され体系化された思考法こそが、ガリレオ以前の「Science」なのだ。

ガリレオ、デカルトに始まり、今の原子核物理に至る近現代の「大きな科学」は、先に述べたとおり客観科学そのものだ。この科学は、自然を人間の外にあるものとして当然のようにコントロールしようとし、レヴィ=ストロースはそれを「家畜化」と名付けている。動物の家畜化が始まるのは、定住農業の発生とほぼ同時であり、それ以前は人間と動物はほとんどの時間を一緒に動いていた。遊牧のスタイルをとり、動物の囲い込みをしないのはもちろん、彼らが自然勝手に動くのに人間たちが合わせて共に歩き、動物からミルクなどの生産物を得ながら生活していたのが、やがて、この動物を完全に家畜化するようになる。人間と動物のあいだには違いがあるとして、分離をし、囲い込み、動物の生活を完全にコントロールしたのである。これが家畜動物の起源で、それまでの野生動物のあり方とは根本的に異なるものが生まれてしまった。科学の世界で起こったのも、これとまったく同じである。自然をまるで家畜のように実験室やある体系の中に囲い込み、観察を行い、コントロールするやり方である。これに対し、私たちがめざす、いわば「野生型」の学問では、知性はつねに世界・自然と一緒に動いていく。たとえば狩猟民が森の中を動きながら動物に接近していくとき、彼らは動物をコントロールすることができない。野生型の学問もまた、対象と同調して深められていくのである。野生型の科学と、家畜型の科学を考えた場合、現在私たちが知っている自然科学は基本的に家畜型の科学ということになるだろう。家畜型の科学は自然を管理しコントロールするなかで、それを自分たちに必要な資源を取り出すための対象としか見ないようになる。その欲望は最終的に、生態圏の外にある原子核にまで手を伸ばすこととなった。原子核に中性子を当てて分裂させ、そこからエネルギーを取り出すという科学、今日の原子力発電を支える技術は、いわば家畜型の学問による自然の捉え方の最終段階として登場してきたのである。その一方で、野生型の学問はルネサンス以降、今に至る長い歴史の中でつねに虐げられてきた。それは未開人の考え方であるとか、前近代的な考え方であるとか、インディアンの考え方であるという烙印を押され、不当に低い価値付けしか与えられない。日本でも、西田哲学ほどの思考の高みが、日本型の哲学によっているという点で、前近代的な考え方であるとの低い評価しかされなかったのだ。そういう状況の中で、人類学あるいは民俗学といった学問だけが、これに細々と抗い、野生型の知識の豊かさ――家畜型の知識の世界で失われてしまった豊かなものが無尽蔵にあることを、明らかにしようとしてきたのである。

20世紀後半から21世紀にかけて、インターネットの発達や科学技術の展開によるグローバリズム(世界のアメリカ化)が進むにつれ、ほんらい反グローバリズムの立場にある人類学の価値に対する評価はさらに厳しいものになり、古い時代の学問であるかのように言われることさえあった。日本人もまた、明治維新~戦後を通じ、今日の日本文明をつくる過程で参照してきた西欧型、すなわち家畜型の科学への依存をいよいよ強めていった。とりわけ、ひたすら利潤を追い求める産業界は、合理的なシステムであるがゆえに、家畜型の科学といっそう強く結合するしかない。それを思えば、われわれはこうした家畜型の科学に対し、あまりに疑うということを知らなすぎたのではあるまいか。自分たちの少年期を振り返っても、素朴なまでの科学と原子力への信頼感を土台とする『鉄腕アトム』(妹はウランだ!)に象徴される、そうした感覚がほとんど変わらぬまま今日まで展開してしまっているのを否定できない。しかし、今回の大震災をきっかけに大きく動揺し、崩壊のきざしを見せているのは、まさにその部分である。日本文明はこのまま、従来どおりの思考法を展開していっていいのだろうかということを、多くの人々が自らの肌身に感じ、真剣に考えるようになっている。そして、その道筋を照らす一本の松明になるのが、忘れられた野生型の科学、Science Sauvage、Savage Scienceなのだ、と私たちは今こそ主張しなければならない。それは、とりわけ日本にとって喫緊のものとなるだろう。なぜなら日本人は、日常生活から商習慣のあり方、国家の成り立ちにいたるまで、長くSavage型の知性を元に構築してきたからである。しかし近代以降、それは不可逆的に浸食され、揺り動かされ、ついには「自由」と「自己責任」の美名をまとった新自由主義的改革によって完膚なきまでに解体されてしまった。そこへ襲いかかってきたのが、この大震災だった。

今や、日本人ひとりひとりの眼前に突きつけられた問題はとてつもなく大きい。これを乗り越えて、新しい文明のあり方を構想するには、Science Sauvage、Savage Science、野生の科学という新しい知の形を自らでつくっていかなければならないだろう。さもなければ、この先へは一歩も踏み出せず、また、それはもはや許されるべきことでもない。その意味で、ここ数年開設準備を続けてきたこの研究所がまさに大震災の後に船出する意味というのは、きわめてアクチュアルなことだ。この研究所が今後、何をやっていくかについては、開かれた場所として多くの知恵に刺激されつつ、さらに豊かに、さらに広く、さらに深く、ふくらませていくのは当然として、じつは目標点はすでに明確に設定されている。私たちは、科学というものをもっと豊かで、具体的で、誤解を恐れずに言えば、もっと卑猥なものにつくりかえていかなければいけない。ルネサンス期に始まる、人文科学と自然科学の分離などという障壁も、臆せず乗り越えていかなければいけない。今、この暴風の中を船出する私たちが立ち向かっていかなければならない相手は、大変に大きく手ごわいかもしれない。しかし、それはきっと日本を、世界を豊かにしていく航海になるだろう。Au pas camarade!

野生の科学研究所 所長 中沢 新一

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