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第3回「哲学の夕べ」-生きた貨幣-

2015/05/15 - Tag:

アンスティチュ・フランセ東京にて毎年開催されているイベント「哲学の夕べ」に、中沢所長が講演者として登壇します。

 

第3回「哲学の夕べ」 -生きた貨幣-

「哲学の夕べ」は、アートと哲学、感覚と思索の刺激的な対話を通し、哲学にアプローチする一夜です。第3回となる2015年は「生きた貨幣」がメインテーマです。経済、価値の評価や価値の交換、お金という存在について、フランスや日本のアーティストや思想家と一緒に、アートを通じて思考を巡らせます。  アンスティチュ・フ ランセ東京の敷地内を回遊するようにお楽しみいただけるよう、講演会、アトリエ、映画上映、パフォーマンス、コンサートなど、多様な企画を盛りだくさんご用意しています。普段、哲学に触れる機会が少ない方も、少し見る目が変わるきっかけになるかも知れません。このイベントで哲学を(再)発見しましょう!

日時:2015年5月30日(土)14時~23時
会場:アンスティチュ・フランセ東京
入場無料

 

中沢新一による講演「増殖的理性批判序説」(使用言語日本語)
15:30 – 16:30 / エスパス・イマージュ

人類の脳は増殖的理性の獲得をめざして進化をとげてきた。この進化は現生人類において決定的な飛躍を実現した。脳のニューロン組織の内部に、異なる領域のパルス同士を「同じもの」と認識して、重ね合わせる能力が発生した。これによって、それまでにすでに実現されていた言語のシンタグマ軸にパラディグマ軸が交わるようになり、喩的な構造がつくられた。これによって、意味増殖が可能になった。こうして、増殖を本質とする現生人類の心的構造が生まれた。この瞬間から、人類は芸術と宗教をもつこととなった。脳にはたえまなく増殖的な意味発生が起こり、価値そのものが増殖性を含むものとなる。現生人類の理性は増殖性を本性とする。この増殖的理性から増殖する貨幣価値である資本が生まれる。この資本と連動して、増殖的イメージが無際限に生産される。二十一世紀に求められる「理性批判」は、この理性の増殖性をめぐるものとなる。

ペーター・サンディによる講演「アイコノミーと視線」(同時通訳付)
17:00 – 18:00 / エスパス・イマージュ

私たちの必要に答えて、遠隔地から私たちの住まいに供給される水やガス、電気のように(中略)、映像が供給される日がくるだろう。」ポール・ヴァレリーのこの言葉は、大量の「アイコノミー(iconomie)」に私たちの視線を釘づけにする現代の映像市場を予告しているといえます。ヴァレリーのこの言葉を引きながら、ヴァルター・ベンヤミンは、映画を出発点に、映像に囚われた私たちの視線の系統学に着手しました。その思想を踏襲し、エスカレーターからアイ・トラッキング技術まで、映画を観る時のような視線の動きをさせる下部構造に注目します。

中沢新一、ペーター・サンディと廣瀬純による鼎談「生きた貨幣」(同時通訳付)
18:30 – 20:00 / エスパス・イマージュ

「カネはどこだ!」――ロベール・ブレッソン『ラルジャン』の少年が発するこの叫びに答えるかのように、ピエール・クロソウスキーは『生きた貨幣』(1970)を次の一文で結んでいる。「産業奴隷は自分の身体的存在とそれが生むカネとを密接に関係づける、あるいは、自分自身がカネとなり、カネの機能にとって代わる」。ジル・ドゥルーズが『時間イメージ』(1985)で次のように書くときに問題となっていたのも、身体のこの同じ二重性ではなかったか。「映画がその表面で映像を示しモンタージュしているのだとすれば、カネこそがそうしたすべての映像の裏面をなしている」。映像=カネ。中沢新一、ペーター・サンディ、廣瀬純とともに考える。

 

その他のプログラムや、詳しくはこちらをご覧ください。

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ペーター・サンディ パリ第10=ナンテール大学の哲学科の助教授。音楽学専門家として音楽博物館のプログラムの顧問も務める。プリンストン大学とブラウン大学の客員教授を務め、1998年から2005年まで、ストラスブール第2=マルク・ブロック大学の音楽学科でも教鞭をとった。また、1996年から2001年まで、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)の出版物の主任編集者も務めた。

廣瀬純  1971年、東京生まれ。映画批評、現代思想。龍谷大学経営学部准教授。アンスティチュ・フランセ東京にて映画の授業を担当。

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