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2012/03/17

民藝美術館設立趣意書 「趣旨」

時充ちて、志を同じくする者集り、茲に「日本民藝美術館」の設立を計る。
自然から産みなされた健康な素朴な活々した美を求めるなら、民藝 Folk Art の世界に来ねばならぬ。私達は長らく美の本流がそこを貫いているのを見守って来た。併し不思議にも此世界は余りに日常の生活に交わる為、却って普通なもの貧しいものとして、顧みを受けないでいる。誰も今日迄その美を歴史に刻もうとは試みない。私達は埋もれたそれ等のものに対する私達の尽きない情愛を記念するために茲に此美術館を建設する。

必然蒐集せられる作は、主として工藝 Craft の領域に属する。それは親しく人の手によって作られ、実生活の用具となったものを指すのである。わけても民衆に用いられた日常の雑具である。それ故恐らく誰の目にも触れている品々である。併し今日迄その驚くべき価値を反省した人は殆んどない。人はかかるものに如何なる美があるかをさえ訝るであろう。併し此美術館の成就に於いて、凡ての危惧は一掃せられるにちがいない。それは新しき美の世界の示現として、予期し得ない驚きを贈るであろう。

私達の選択は全く美を目標とする。私達が解して最も自然な健全な、それ故最も生命に充ちると信ずるもののみを蒐集する。私達はかかる世界に美の本質があることを疑わない。従って此美術館は雑多なる聚集ではなく、新しき美の標的の具体的提示である。

私達はかかる美が、寧ろ美術品と見做されているものに少なく、却って雑具として考えられる所謂「下手(げて)」のものに多いのを看逃す事が出来ない。もとより美は至る所の世界に潜む。併し概して「上手(じょうて)」のものは繊弱に流れ、技巧に陥り、病疫に悩む。之に反し名無き工人によって作られた下手のものに醜いものは甚だ少ない。そこには殆ど作為の傷がない。自然であり無心であり、健康であり自由である。私達は必然私達の愛と驚きとを「下手のもの」に見出さないわけにはゆかぬ。

のみならずそこにこそ純日本の世界がある。外来の手法に陥らず他国の模倣に終わらず、凡ての美を故国の自然と血とから汲んで、民族の存在を鮮やかに示した。恐らく美の世界に於いて、日本が独創的日本たる事を最も著しく示しているのは、此「下手もの」の領域に於いてであろう。私達は此美術館を日本に残す事に栄誉を感じないわけにはいかぬ。

幸いにも私達はそれ等の美を認識し得る時代に達した。又それ等の美を要求する時代に活きる。彼等は愛せられる為に、長い間私達を待っていた様にさえ考えられる。若し私達が今それ等のものを集めずば、凡てのものは注意される事なく失われてい行くであろう。何故ならそれらは今日迄一般からも鑑賞家からも歴史家からも、省みを受けていないからである。同時に価値なく考えられている為、今尚巷間に散在し、その市価はまだ極めて低廉である。而も日常の用具であったから、数に於いても乏しくはない。私達は今此絶好の機会を捕えて、それ等のものを蒐集しようとするのである。

民藝の美には自然の美が活き国民の生命が映える。而も工藝の美は親しさの美であり潤いの美である、凡ての作為に傷つき病弱に流れ情愛が涸死してきた今日、吾々は再び是等の正しい美を味わう事に、感激を覚えないであろうか。美が自然から発する時、美が民衆に交わる時、そうしてそれが日常の友となる時、それを正しい時代であると誰か云い得ないであろう。私達は過去に於いてそれらが あった事を示し、未来に於いてもあり得べき事を示す為に、此「日本民藝美術館」の仕事を出発させる。

大正十五年四月一日

富本憲吉
河合寛次郎
濱田庄司
柳宗悦

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