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明治大学リバティアカデミー講座「日本人の魂の古層を探る」レポート(3):「石原莞爾から宮沢賢治へ ー古層をめぐって」(岩野卓司教授)

2015/10/30

野生の科学研究所に関わりの深い先生方が登壇する、2015年度明治大学リバティアカデミー講座「日本人の魂の古層を探る」。その中から、特に研究所に関わりの深い先生方の登壇回レポートをお届けしています。今回は、7月1日に開催された、明治大学法学部教授 岩野卓司先生の講義「石原莞爾から宮沢賢治へ」をレポートします。岩野さんは、フランス現代思想、精神分析、現象学、宗教哲学などを幅広く研究対象にされています。一昨年に野生の科学研究所で開催された「ジャン=リュック・マリオン贈与の哲学」の講義も、記憶に新しいところです。

 

石原莞爾と宮沢賢治

今回の講義で岩野さんは、軍人だった石原莞爾(1889-1949)と詩人で童話作家の宮沢賢治(1896-1933)という対極的な二人を比較し、共通点と相違点を明らかにしていきます。石原莞爾の背景とともに、宮沢賢治の世界が、今までとは違う面から深く掘り下げられました。

石原莞爾と宮沢賢治はどちらも東北出身です。日蓮宗の宗徒であり、同時に日蓮宗の在家団体「国柱会」の会員でした。同じ1920年に入会し、日蓮を信奉する会の理念に大きな影響を受けています。二人は平和を希求する非常に強いユートピア思想を持ち、それぞれの立場で理想の世界を追求していきます。石原は関東軍参謀として満州事変首謀者として満州に王道楽土を求め、賢治は作品中に岩手のドリームランドともいえる「イーハトヴ」を構想します。王道楽土とイーハトヴは、「魂の古層」とどのような関係があるのでしょうか。岩野さんはまず、二人の理解に欠かせない人物、田中智学について説明します。

岩野先生

 

田中智学と国柱会

賢治と石原の二人に大きな影響を与えた国柱会の創始者、田中智学(1861-1939)は10歳で日蓮宗の宗門に入っています。

鎌倉時代に誕生した日蓮宗の始祖日蓮は、法華経を末法の衆生を救済する唯一の教えとし、時間と空間を超越する絶対の真理を掲げました。仏法と王法が一致する王仏冥合を理想にして、正しい法に基づかねば正しい政治は行われないと主張、宗教上は天皇の権威をも一切認めない、仏法絶対の立場にたちます。日蓮は戦闘的でした。相手を徹底的に論破して説得改宗させる折伏(しゃくぶく)を用い、教義を主張し幕府や諸宗に対抗し、佐渡に流罪になることさえありました。そんな日蓮の教学を受け継ぎ、日蓮宗はその後も時の政権と激しく対立していきます。しかし、やがて分派も増え、時代の流れの中でだんだんと温和になり、明治初期までには葬式仏教的体制に組み込まれるようになります。1870年ごろに天皇制の強化のもと神道が中心となり、廃仏毀釈が始まると、仏教教団は民衆からも迫害を受けるような状況に陥りました。仏教界は生き残りをかけて、天皇制と自らをどう結びつけるかに苦慮するようになります。多くの宗派が天皇制と親和的になっていく状況下、宗派の現状に田中智学は疑問を持ちます。

田中は還俗(1880)して独自の宗門改革を目指し、日蓮宗の激しさを取り戻そうとしました。折伏もそのひとつでした。悪い奴は論破して懲らしめるという教義実践は後に、武力を使ってでも宗旨の世界統一を目指すという、石原莞爾の理想につながっていきます。田中はまた、日蓮の教義に基づく強いユートピア思想を背景に、「天下国家のための宗門」、「日本を中心とした世界統一の天業」、「天皇による国立戒壇(僧の免許を国が発行)」などを主張します。プロパガンダ1914年に諸団体を結合して結成した国柱会は、日蓮聖人の三大誓願のひとつ「我れ日本の柱とならん」(開目抄)に言葉を借り、日蓮主義と国体論(日本を天皇中心の神国とする国粋主義的考え)を結合させたものでした。その中に「法国冥合」「王仏冥合」を入れ込み、日蓮の終末論(今が末法の世である)を援用し、仏法による日本の世界統一が、絶対的な平和に繋がると強引に理論づけたのです。また、『古事記』『日本書紀』と日蓮の考えを関連させるために、日蓮の理想「一天四海皆帰妙法(全て世界は法華経のもとに治まる意)」と神武天皇の「八紘一宇(はっこういちう=世界は一つの屋根に統一する意、田中の造語)」を結びつけました。戦時ナショナリズムが高揚する中で、法華経の世界統一は古来より日本の使命であるという解釈が前面に出され、思想的に侵略戦争を助長することにもなったのです。

元を正せば、天皇崇拝と繋げた八紘一宇の理想も、田中個人が考えた人工的な組み立てでした。田中が日蓮の教えに結び付けたのは近代の天皇制であり、そこに関連付けた『日本書紀』『古事記』の解釈には整合性はありません。田中が普遍的だと主張した日本の古層は、真理の実証には繋がらないのだと岩野さんは解説しました。

 

思想家としての石原莞爾

この田中智学の理論を信奉し、それを現実のものにしようとしたのが、石原莞爾でした。昭和陸軍随一の鬼才といわれた石原は、関東軍参謀として、満州事変(1931)を立案、その作戦は計算を尽くした見事なものであった、と評価されています。しかし一方でこの事変は、その後の日本が無謀な戦争に突入していく原因を作ったという批判もあります。石原は参謀本部作戦部長として抜擢された後、日中戦争の処理に失敗、東條英機との対立が原因で出世コースからはずれます。現役を退いて以降は、教育、思想活動に勤め、第二次世界大戦には軍人としてほとんど関わらなかったため、A級戦犯を免れています。

石原の行動は、道義的には田中智学の「世界の統一」理論を青写真として、武力でその統一を実現しようとしたものでした。武力の背後に田中と同じユートピア志向があり、満州国に王道楽土、五族協和といった、徳を信じるスローガンを実現しようとしたのです。満州国をアメリカ合衆国のシステムのように、日本から独立させる構想も持ちました。しかし、東條や岸たち軍人政治家は、満州国を従属国とのみ考えていたため、この構想は誰からも相手にされなかったといいます。

石原は満州事変当時すでに、対米決戦「最終戦争」の構想を抱いていました。『最終戦争論』(1931)『戦争史大観』(1941)に記されている彼の計画では、「最終戦争」に備えるために満蒙を領有し、ソ連にならって5か年計画をたて日本の工業化を推進し、最終的に対米に勝つことを目指しています。石原にとって「最終戦争」が必然性を持つ理由は、二つありました。

東京大空襲

一つは〈軍事上の理由〉です。ヨーロッパの軍事史では、一回で勝敗を決める「決戦戦争」と、傭兵を目減りさせないためにうまく逃げながら戦う「持久戦争」が、交互に繰り返されました。しかし、フランス革命以後国民皆兵となり兵士の補充がいくらでもできるようになったため、次に起こる戦争(第二次世界大戦)は最終決戦になる。そこで戦争は終焉し、絶対平和が到来するというのです。推論の根拠に合理性は欠けるものの、一瞬にして首都を廃墟にしてしまう兵器の開発(超音速の航空兵器、核兵器、大陸間弾道弾)や、兵器を搭載した空中戦の必要性など、未来に対する石原の予測は鋭いものがありました。

二つ目は〈宗教上の理由〉です。日蓮の予言(実際はモンゴルに対するもの)をもとに、末法の世(現在)における、上行菩薩(いわば救世主)による世界統一の救済があると石原は考え、それを最終戦争と結びつけたのです。日蓮の「一天四海皆既妙法」が、日本を中心とした世界統一であるという解釈や、1919年から48年後に日蓮の言葉は成就するという田中智学の予言を、石原は無批判に受け入れています。全く非合理なこの宗教的理由を、なぜ石原は近代の軍事バックボーンにしたのか、問題になるところです。

石原は日蓮宗の折伏を道義とし、武力の方面を強く打ち出して世界統一を構想し、田中智学の教えをもとに、ユートピアとしての東亜連盟を実現しようとしました。しかし、その信念は、近代になって作られた天皇制信奉とその枠組に囚われたままでした。彼の魂の古層は「八紘一宇」にとどまっていました。上からしつらえた解釈に立脚した天皇制を擁護する彼の思想とその理論には、限界があります。当時の軍人や政治家、思想家たちよりはるかに未来志向とはいえ、石原は根本にさかのぼって、田中智学の理想を検証することはなかったのです。

 

宮沢賢治の古層

宮沢賢治も、最後まで国柱会の会員であり、石原と同じように強い信仰を持っていました。しかし、賢治は国柱会にいながら不思議なことに、天皇崇拝や国体論にも侵略戦争にも、ほとんど関心を示していません。彼は日蓮の教えそのものを強く信奉していたので、後から付け加えられた理屈に対しては、本能的になにか違うと感じていたのではないか、この賢治の感覚が、魂の古層と結びついているのではないかと岩野さんはいいます。

雨ニモマケズ

賢治も大変ユートピア志向の強い人でした。「イーハトヴ」は賢治の心象風景にある、ドリームランド(ユートピア)としての岩手県です。幼少時から東北地方での冷害や貧しさを見聞きした体験は、例えば「グスコーブドリの伝記」に見えるように、自分が犠牲になって災害に立ち向かうといった精神を生み出しました。彼の作品には高い霊的能力を感じさせる世界がたびたび登場します。死んだ妹と魂を交流する『春と修羅』、子どもたちが神の子の幻想界と交錯する「風の又三郎」、死出の旅路を行く「銀河鉄道の夜」など、生と死の交流がいたるところに出現します。自然についての描写も、よくいわれるような自然との共生というよりは、植物も動物もすべてを巻き込んだ自然との一体感として現されています。「山川草木悉皆成仏」とは、すべてに仏が宿るという、日本的な民間信仰の原点にあたる言葉ですが、仏典の中にはこれは似た記述はあるものの、言葉そのものはみあたりません。賢治の精神世界は、この「山川草木悉皆成仏」に近いものが感じられ、それは仏教以前にも民間にあった、根源的な古層の自然観、アニミズムともいえる感覚と結びつくのではないか、と岩野さんは述べます。

賢治は田中智学の「仏法による世界の統一」を、石原のように日本を中心としたものとは考えませんでした。イーハトブの世界は、コスモポリタン(世界市民)の意識が強く、いろんな人が登場します。エスペラント(世界共通言語)を志向し学んだ賢治にとっては、日本人だけという限定された発想はなく、そこには外国人もいて、人間だけでなく植物や動物も含み、異界やお化けまでもすべてが混在する、すべてを包み込む法華経的世界が理想だったのです。人間と動物の交流を描く「セロ弾きのゴーシュ」では、人間と動物の境界は曖昧です。輪廻を信じていた賢治は、人間と動物の入れ替わりも自然な形として考えています。田中智学の言う「世界の統一」を、賢治の場合は自然との一体感という形で、作品中に表したといえるのではないでしょうか。

すべてが仏であるという感覚は、屠殺と肉食を嫌悪し否定する悩みや菜食主義としても描かれます。「なめとこ山の熊」「ビジテリアン大祭」「注文の多い料理店」などは、他の生き物を殺す狩猟に怒りを持ち、食物連鎖についても否定的な主題が現れます。賢治は、「よだかの星」で鳥が虫を食べる罪を描き、食物連鎖のない世界をさえ考えていこうとするのです。

シュタイナー図録

このような賢治の世界を、人間の世界を動物に仮託した、メタファーとして読む研究者もいますが、岩野さんは別の考えを示します。賢治の理想にはどこにも中心がなく、世界全体が対称で、動物も植物も同等で、人間中心という発想がないのです。それは彼独自の法華経の世界観の現れであり、背後に彼の魂の古層があるのではないか、全てに精霊が宿り生き物は聖なるもの、という古層の自然感覚があるのではないかというのです。上から与えられたものではない、いわば縄文時代から民衆の中で息づいているような感覚が、賢治の作品の底に流れているのではないか、それがわれわれの心を打つ部分なのではないか、と岩野さんは重ねて指摘しました。

この古層の感覚を持ちながら、未来へ終末のユートピアを求めて、賢治の精神は旅をしていきました。彼にとっては、伝統や現在に安住せず、常に次へ進み理想に向かい現状を打破していくことが、信仰の教義を折伏するのと同じ行為だったのです。「絶対に平和な世界」「本当の幸福」として、彼は戦争も屠殺もない世界を求めていきます。「カラスの北斗七星」「フランドンの農学校の豚」に読み取れるように、戦争の悲惨と屠殺の悲惨とは、彼の中では同じ重みを持ちます。「みんなの幸」「まことの幸福」の実現とは、嫌いでもない人間を殺すことや憎いわけでもない動物を食べるために殺すことを、忌避する行動(徴兵拒否や菜食主義)とパラレルなのです。

 

賢治の供犠と贈与、他力

賢治が「みんなの幸」「ほんとうのさいわい」といい、最終的に法華経の真実のために選んだ道は、自己犠牲と自己贈与の旅でした。「カラスの北斗七星」「銀河鉄道の夜」には、自己を捧げるサクリファイスの考えが表現されています。ここでは贖罪と無償の贈与がセットになっているのです。賢治は他の生物を殺すという罪を問い詰めていきます。彼の自己犠牲、自己贈与の精神は、「何べん引き裂かれてもかまわない」「何べん焼かれてもかまわない」というように、何度も悩み苦しみを繰り返し、罪の贖罪や自己贈与の形をどこまでも追求していきます。中沢所長は賢治のこの姿を「贈与の霊がとりついている」と岩野さんに話したそうです。月何回殺されても生命の理想に向かっていく、憎むことのできない敵を殺さないでもよい世界を、どうにか実現していこうとする、それが賢治の持つ精神世界でした。

さらにそこに重なるのが、宇宙の盲目的な意思が生物を最後には究極の幸福に導く、という宗教的な進化論です。いわば他者からの贈与です。なにか大きなものが自分に力を貸してくれるという、楽天的ともとれる人間の進化論を賢治は持っていました。能動的な自己犠牲の果てに、受動的な絶対平和が実現する世界が現れ出てきます。このような希望を内包する未来的な思考は、日本の古層に連なってきたものではないか、何か縄文的なものが変容した形ではないか、と岩野さんは改めて指摘します。私達の精神の古層を探る可能性が、またひとつ明らかになるのではないかという予感とともに、盛況のうちに講義は締めくくられました。

 

 

2015年度明治大学リバティアカデミー講座「日本人の魂の古層を探る」は、後期も続きますが、ひとまずレポートは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。 

 

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