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深澤直人×鞍田崇:日本民藝館「愛される民藝のかたち」展記念対談「愛らしい民藝」レポート

2015/08/04

2015年4月3日、日本民藝館にて、「愛される民藝のかたち」特別展の記念イベントとして、日本民藝館館長の深澤直人さんと明治大学理工学部准教授の鞍田崇先生による対談が行われました。鞍田さんは、野生の科学研究所で昨年度開催され、今春書籍化もされた公開講座「民藝のインティマシー」の講師、著者でもあります。今回が2回目の顔合わせとなるお二人。「愛らしい」、「かわいい」をめぐっての対談の模様をレポートします。

 

深澤直人×鞍田崇:「愛らしい民藝」

パンフレットまずは深澤さんより、今回の「愛される民藝のかたち」特別展の趣旨についてお話がありました。深澤さんは、今年の7月で日本民藝館の館長になって3年目となります。プロダクトデザイナーとしても活躍する深澤さんは、ご自身もやはり「ものづくり」に対して興味が深く、その自然の流れとして柳宗悦という人物への関心に行きついたといいます。柳宗悦は、日本民藝館の設立者のひとりです。生涯1万7千点もの民藝品を収集した柳宗悦が、いったい何を考え、どのような気持ちでいたのだろうかということを、深澤さんは常に考えてきました。

そして深澤さんは、柳が収集した民藝品が、ある種偏ったものなのではないかということに思い至ります。柳は、全ての美を集結して美学を語ろうとしていたのではなく、独自の偏った美学をもっていた人なのではないかと考えるのです。そこで今回の展覧会では、このある種偏った柳の美学というものを中心に構成してみることになりました。深澤さんの言葉によるならば、柳の美学は、「理由もないほどに愛くるしい」という言葉で言い表せるのではないかといいます。こうした「愛らしい」民藝を多くの人びとと共有することが、今回の展覧会の趣旨でした。

 

鞍田さんは、以前深澤さんと民藝についての対談をした際に、深澤さんの口から「かわいい」という言葉が出てきたことに驚いたといいます。鞍田さんは、日本民藝館という場所が、単に作品を収蔵するだけの場所ではなく、時代に対して何らかのメッセージ性をもつような場所であると考えていました。深澤さんが館長になってからの民藝館は、まさにそのような場所となりつつあり、そのメッセージ性とは何なのかということを聞いたとき、深澤さんは「かわいい」という言葉を用いたのです。鞍田さんは昨年度、野生の科学研究所の公開講座「民藝のインティマシー」で民藝の「愛おしさ」に向き合ってきました。そのなかで、深澤さんの言おうとしていた民藝の「かわいさ」を改めて理解することができるのではないかと感じたそうです。

パンフレット2

 

民藝は「かわいい」、「愛らしい」、「愛おしい」

深澤さんは以前、雑誌のインタビューで、民藝館のコレクションを目の当たりにした時の感想を次のように述べていました。「ここにあるものは単に美しいもの、役に立つものでもなく、美しさや機能性などという普通のデザインが目指しているものを超えた何かを感じる」。鞍田さんは、この時深澤さんが言っていた「超えた何か」というのが、「かわいい」に通ずるのかと質問を投げかけます。

木彫りのくま深澤さんは作り手として、「かっこいいもの」を目指していた時代がありました。そして、実際に「かっこいいもの」を作ることができるようになった時、突然親しい友人から、自分のデザインについて「おしゃれだ」と言われたそうです。デザインの世界では「おしゃれ」というのはあまり褒められた言葉ではなく、そのことがきっかけで、深澤さんは改めて自分のデザインを見直してみるようになりました。完全に出来上がったデザインがあった上で、さらにもう一歩突き進んだものがないと本当の魅力にはならないのではないか。柳宗悦が収集したコレクションには、そのような「感嘆符」につながる魅力がつきまとっていると深澤さんは答えます。

鞍田さんも、その「感嘆符」という感覚はとてもよくわかるといいます。鞍田さんは、美しいと判断する以前のもっと直感的、感覚的な物との出会いこそが、民藝における物との出会いなのではないかと考えています。鞍田さんはこの感覚を「愛おしい」という言葉で表しましたが、深澤さんは「かわいい」という言葉で表す。「かわいい」という言葉は、ともすれば誤解を生みやすい言葉ですが、「愛おしい」という言葉より、もっと根本的なところに触れている表現なのではないかと思うと鞍田さんはいいます。

縄文くま

柳宗悦は、民藝を通してその社会性に目を向けた人でもありました。デザインをよくすることが社会をよくすることにつながるといった風潮のなかで、民藝のもつある種の「ダサさ」、平凡なものの中にこそ、大切なものが宿っているということを柳は発見したと深澤さんは述べます。日常のなかでほとんど気がつかないほどに普通になってしまっている物のなかに宿る何らかの魅力を、深澤さんは「スーパーノーマル」という言葉で表現しています。「スーパーノーマル」は柳の思想と重なる部分が大きいかもしれません。

 

デザインとは何か

続いて鞍田さんは、日本民藝館で以前開催されたイベントでの深澤さんの言葉について言及します。

すべての美は周囲の環境と調和の中にある。それはちょうどパズル全体と個々のピースの関係のようなものである。デザインとは、パズルの最後の1ピースを探し出す作業に他ならない。

パズル

そして「今なぜ民藝か」といったときに、深澤さんは「そのパズル全体が歪んできているからだ」と答えました。

いま探さなければいけないのは、パズルそのもののあり方であり、そのために「民藝」は重要な参照軸となる。

この歪みとは何なのか、鞍田さんはあらためて深澤さんに問います。

深澤さんがパズルの比喩を用いて言いたかったこととは、パズルの空いた輪郭さえとらえてしまえば、その空隙を埋めるピースは誰にでも作ることができるのだということでした。デザインとは、何か独自の全く新しいものを作り出すということではなく、すでに存在している社会を共有し、その上で社会に不足している何かを補完する作業に他ならないのだと深澤さんは考えます。デザインには皆が共有するグラウンドがあるのだということが、昨今あまり踏まえられていないのではないかと深澤さんは疑念を挟んだのでした。

 

「かわいい」、「愛おしい」とは何か

ある物を「愛おしい」だとか「いい!」と思う感覚というのは、哲学、芸術、宗教含め、全ての人間に高いレベルで共有する感受性なのではないかという深澤さん。鞍田さんが「愛おしさ」についての思考を始めたのも、実は環境問題をめぐってでした。環境問題を考える上で、「わたしが一体何を感じているのか」という感覚をまず大事にしなければならないと思い至った鞍田さんは、何かを「愛おしい」と思う感覚こそ、人間の最も大事な感覚のひとつなのではないかと考えるようになりました。

なつめ鉄瓶

「かわいい」や「愛おしい」という感情には、身体的な感覚から生まれる感嘆と同時に、あるものの有限性やそこから生じる喪失感をもはらみ込むものなのではないかと考えている鞍田さん。「いつかは物も壊れてしまうし、わたしの身体も失われてしまう。そうした否応無い現実が平和な日常の裏側にあるということを自然に示しているのが、「かわいい」や「愛おしい」といった言葉なのではないだろうか」。

 

柳宗悦は、『民藝とは何か』の底本となった『工藝美論』と『美と工藝』に、巻頭辞として以下のような一文を掲げています。

私はこの書をあふるる情愛をもって、この世の無数の名も無き職人達の亡き霊に贈る

(『柳宗悦全集 第八巻』、282ページ)

ここには、柳の失われていったものに対する共感を読み取ることができます。「かわいい」や「愛おしい」も、そのような射程をもった感情なのではないかと鞍田さんは考えるのです。

CHAのコピー

 

深澤さんは、「かわいい」や「愛らしい」という表現が一番強く求める感覚とは、触覚だと考えています。事実、民藝館に所蔵されているコレクションには、触れられることで良くなってきているものが多い。しかし、決して触れてはならないところにある美の感覚が存在するというのも確かなことです。これらの2つの美は、共存しえないものなのだろうか。そのように問う深澤さんに、鞍田さんは日常の美と崇高な美とは共存しえるのではないかと答えます。それは、日常の物に敬意を払うという行為にこそ表れる。深澤さんも、そうした感覚は忘れてはならないものだと同意し、対談は盛況のうちに幕を閉じました。

 

 

今年10月には金沢にて、深澤直人さんと中沢所長による講演・対談も予定されています。
詳細は決まり次第、また改めてお伝えいたします。

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