公開講座 「社会と暮らしのインティマシー:いまなぜ民藝か」 第1回「prologue & sympathy」レポート
2014/11/19
2014年10月18日(土)、野生の科学研究所にて、公開講座「社会と暮らしのインティマシー:いまなぜ民藝か」(全三回)が開催されました。講師となる、明治大学理工学部・鞍田崇准教授は、昨今の「民藝」ブームをもとに、「いまなぜ民藝か」を考え、「民藝」の思想的、社会的な意味を問い続けています。第1回目となる「prologue & sympathy〜民藝再評価をもたらした近年の社会状況と共感のひろがり〜」について、レポートします。
「美」だけでは言い尽くせない、インティマシー=愛おしさ
思想家・柳宗悦らが提唱した「民藝」という思想とは、日常のなかの新しい美の概念として生まれました。無名の職人によって手仕事でつくられた、民衆の日々の生活道具のなかに「用の美」を見出だした柳宗悦は、それを「民藝」と言い表し、民藝運動という社会運動へと発展していきました。それは、単なる「美しさ」の問題を越えて、もっと大きな社会や暮らしのあり方を問うものでもありました。今回の講座は、柳宗悦が「民藝」という思想で伝えたかったことをいまの時代にもう一度読み解くことで、その現代性や、将来性までをも感じとろうという試みです。
鞍田さんは、この研究会のタイトルにもなっている「インティマシー」という言葉の意味を、「愛おしさ」と説明しました。「民藝」を深く知れば知るほど、「これは美しさの問題なのだろうか」と疑問が湧いてきたという鞍田さん。モノが持つ美しさは、どんなモノでさえ持っています。いわゆる絵画や彫刻といったファインアートとは違う、「民藝」と呼ばれる生活工芸品のなかにも独特の美の世界があるとして、それは果たして、美の問題だけなのだろうか? そこに、美しさでは組み尽くせない、別の感性、価値観として、「愛おしい」という言葉をひとまず提示してみようというのが鞍田さんの考えです。
「美しさ」が、愛でる、鑑賞の世界とすれば、「愛おしい」というのは、もっと直接的で、ある種本能的、体感的なもの。ただ飾って終わるものになりかねない美しさではなく、日常の暮らしのなかに溶け込み、人と距離が近いモノに対して「愛おしい」という親密さを表したといいます。現代社会のなかで、よりリアルに、生活や社会を自分たちの手に取り戻すための糸口として、この「愛おしさ」という感性が、いままでとは別の民藝論になると鞍田さんは考えています。
「民藝」から、これからのデザインを考える
東京・目黒にある「日本民藝館」は、1936年、柳宗悦らによって創立されました。
庶民の生活道具のなかから、類いまれな美しいものを選び出し、国内外から蒐集した民藝品を保存し、社会に向けたメッセージを発信する場としての役割もありました。初代館長には柳宗悦が、3代目には息子である柳宗理が就任した館長5代目として、2012年、プロダクトデザイナーである深澤直人氏が選ばれ、大きな話題を呼びました。手仕事にこだわる民藝の世界に、無印良品などの工業デザインのディレクションも行う深澤氏が選ばれたということで、賛否両論がわき起ったのです。
深澤氏は、著書『デザインの輪郭』のなかで、「ふつう」ということを強調しています。個性的で、これまで誰も見たことのないようなデザインではなく「ふつう」でいい。その「ふつう」は強く、むずかしいものであるということも語っており、「その思想は「『民藝』に通じるのではないか?」と鞍田さんは考えています。
「すべての美は周囲の環境との調和の中にある。それはちょうどパズル全体と個々のピースの関係のようなものである。デザインとはパズルの最後の1ピースを探しだす作業にほかならない。『いま』探さなければいけないのは、パズルそのもののあり方であり、そのために『民藝』は重要な参考軸となる」
深澤氏は、日本民藝館就任時の講演でこのように話したといいます。どういうシチュエーションで使われるのか、誰が使うのか、どういう空間に置かれるのかなどをふまえ、周囲との関係性のなかで、美というもの、デザインを追求すべきで、単独の美などないということ。そして、パズルの最後の1ピースがはまったなら、それが一体どこだったかわからなくなるくらいに馴染んでしまうもの。それこそがデザインであると考えている深澤氏ですが、そもそも、パズルが美しいのか? 歪んではいないのか? いままでのように、パズルに合うものをつくるのではなく、パズルそのものを考え直す作業が必要な時代になったのではないか? そのためにも、いまこそ「民藝」が重要なのではないかと、深澤氏は語ります。
社会、暮らしのなかの、あたらしい民藝
なぜ、いま民藝ブームなのか。それを探るためのいくつかのデータを、鞍田さんは提示しました。まず、ひとつめは、内閣府が2008年に発表した「国民生活白書」から。「自分の利益と国民(他者)の利益、どちらを優先しますか?」という社会意識調査の結果、21世紀に入り、自分の利益よりも人の利益を優先すると答えた人が急に増加し、2008年には51.8%と約半数という結果に。また、ソーシャルビジネスや、コミュニティビジネスという言葉で、経済活動のなかでも、社会貢献や協働という考え方が徐々に浸透してくるのもこの頃、消費のあり方も、私有から共有へと変化し、ソーシャルネットワークの普及も相まって、広い意味での“社会性”が、特徴となって現れてきました。そうした社会意識の変化とともに、生活に関する関心への高まりも、メディアの変遷や客層の変化など、徐々にあらわになってくるのも同時期でした。暮らしをテーマにした雑誌が2003年前後に相次で発刊、モノと人の関わりを考えるお店やギャラリーも増えはじめました。木工作家の三谷龍二さんも、2000年以降、ギャラリーを訪れるお客さんの質が急激に変わったといいます。
それらデータに加えて、2014年の東京都知事選の投票率が過去3番目の低さであったことに触れ、「利他的なふるまいと合わせ鏡のように、生活、社会への関心が利己的なのではないか」と鞍田さんは指摘。社会のため、人のために役に立ちたいという意識の高まり。そして、これまでの生活を見直しつつ、ていねいに生活道具をセレクトし、自分の生活を大事したいという意識変化。社会意識、生活意識の高まりと、社会変革に足を踏み出さないという現状は、それぞれ無縁ではないのではないか。そうしたなか、次の現実的なステップとして「民藝」を位置づけてはどうか?と鞍田氏は考えています。いわゆる生活工芸としての「民藝」からさらに、「手仕事」「ブロカント」「アノニマス」「ロングライフデザイン」……などさまざまな言葉で表されてきた、従来の「民藝」が指し示すよりも、もっと大きなうねり。それは、モノと人の関わりが、単なる「美」を越えて、いまの暮らし、いまの社会のあり方を問い直していこうとするベクトルが、あたらしい「民藝」にあるのではないかと鞍田さんは考えています。
アーツ・アンド・クラフツ運動と、民藝運動
柳宗悦が考えた「民藝」の背景には、19世紀、イギリスのウィリアム・モリスらが提唱した「アーツ・アンド・クラフツ運動」がありました。社会の近代化にともない、産業化、機械化され、大量生産されるプロダクトにより、手仕事の美しさが失われ、生活の劣悪化が進むのを憂えたモリスは、デザインと建築の社会的役割に重きを置きました。近代生活へのアンチテーゼとして手仕事を据えたモリスと、柳宗悦が手仕事にこだわるのも、そこにはつくる喜びが伴うというモリスの影響があると鞍田さんは指摘します。そうした社会運動としての「アーツ・アンド・クラフツ」に、近代主義の「モダニズム」の思想や社会性を加えたものこそ、「民藝」なのではないか。
ここであらためて、柳宗悦が提唱した「民藝」というものを振り返ると、オルタナティブでわかりやすく、力強い2分法のロジックで説明できるということがわかります。ものづくり、造形活動の価値あるものを「美」とした場合、美を実現、追求し、なにものにも従属しないものが「美術」であり、なにかに従属される美しいものが「工芸」。その「工芸」をより安く、より多くの人に届ける「機械生産」が主流になり、時代から取り残されようとしていたのが「手仕事」。さらに、職人たちの手による、技巧をこらした職人技の粋を極める「鑑賞工芸」と、作家がつくる「個人工芸」は、手の届かない高価なもの。それとは異なる生活のなかの廉価な民衆の工芸こそ「民藝」であると定義づけました。
朝鮮の一番安く、誰でもつくれて、誰でも変える飯茶碗を見た柳宗悦の言葉に、「いゝ茶碗だ―—だが何と云う平凡極まるものだ」とあります。いまの私たちにとっての「平凡」と、柳宗悦の考える「平凡」。冒頭で紹介した深澤氏の発した「ふつう」という言葉も、柳宗悦のこの「平凡」を引き継ぐものかもしれません。その平凡のなかに潜む真理とは何なのか? それは次回以降の講座で展開されます。
中沢所長との対談 〜日本の文化・思想の中核となる「民藝」〜
思想家・柳宗悦による民藝運動は、「日本の文化の中核的なものを持っている」という中沢所長は、以前、鞍田さんの著作『〈民藝〉のレッスン つたなさの技法』のなかでも対談をしており、柳宗悦の思想や民藝運動に昔から高い関心を持ってきました。いま日本人というものが「民藝」に深く関心を持ち始めたなか、「民藝」の思想や社会的なインパクトや意味づけについてテーマを掲げた鞍田さんの出現に、中沢所長も大きな期待を寄せています。
この第1回目の講座での「民藝」の現在、過去、未来を解き明かそうという鞍田さんの試みを受けて、中沢所長との対談が行われました。
バルトークの音楽と「民藝」
19世紀に民俗音楽研究家のハンガリーのバルトークが大好きという中沢所長は、彼のつくる音楽は、「民藝」に通じるものがあると紹介しました。バルトークは、柳田國男や宮本常一と同じように東ヨーロッパの地方へと通い、その土地に残る民謡を採集し、フォークミュージックを作り上げました。それはまさに同時代のウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ」と「モダニズム」を掛け合わせた、「音楽のコルビュジエ」だと評します。フォークミュージックにモダニズムという先鋭的なものを取り込むことで、新しい音楽を生み出しつつも、その土台となるのは、数万年前にわたって、ヨーロッパの風土で形成されてきた民謡で、そのベースがなく、モダニズムの抽象原理だけでつくられた音楽は不毛だという言葉を残しています。そして、その音楽には、民衆も貴族の階層もありません。鞍田さんの考える「アーツ・アンド・クラフツ」+「モダニズム」=「民藝」もまさに、同じ構造を持っているのではないかと中沢所長も賛同しました。
「俳句」と「民藝」の共通性
また、「民衆」という言葉にも中沢所長の独自の解釈がありました。戦前、柳宗悦がいう民衆と、戦後、吉本隆明が考えた民衆、大衆は、どちらも同じ。しかし、中沢所長は、労働者=プロレタリアと、「民藝」の民衆は違うのではないかと指摘します。それは何万年もの間、この日本列島で生きてきた、名もなき民たちのことなのではないか。それこそが柳宗悦がいう民衆であり、吉本隆明がいう大衆であり、「一生かけて考え抜かないといけない主題である」と語ります。
和歌と違って、平凡極まりない、民衆の暮らしのなかで生まれた俳句。それを美として昇華していく、そのあり方も「民藝」そのものだといいます。たとえば、与謝野蕪村の句。「葱買うて枯木の中を帰りけり」。葱を買って、風がヒューヒューと吹くなか帰ってきたってだけの句だけれど、これこそ、「民藝」だと中沢所長。伝統的な和歌のなかに「葱」なんて絶対に出てくることはなく、葱を持った百姓が冬枯れの木立のなか、家路を行くというポエジーを一瞬の絵に捉える、その単純さ、平凡さ。その精神こそ、「民藝」なのではないかという中沢所長の考えに、鞍田さんも「民藝の、生活に向かうまなざしが見えてきますね」と賛同しました。
朝鮮半島では、李朝風の白磁のきれいな焼き物が珍重されていたにもかかわらず、貧しい百姓の飯茶碗にこそ「美」を発見したのが「日本文化の不思議」であり、「哲学思想的大発見である」と中沢所長はいいます。蕪村の俳句にも、その精神を受け継いでいるのも、立派な「民藝」なのではないでしょうか。
これからの「民藝」
柳宗悦が掲げた民藝運動は、政治的、美意識、思想的、あらゆる問題にかかわりながら展開してきました。「日本人は一体なにを大事にしてきた民族なのか」ということを考える時、日本語や、神という概念までも包括した、近代日本のなかで、最も先鋭的に見せようとしたのが「民藝」なのではないか。消費社会が成熟したいまこそ、それ以前の世界で生まれた「民藝」が脚光を浴び、「柳宗悦の理想が実現できる社会的条件が整いはじめている」と中沢所長。消費社会を迎え、「民藝」の生産現場であり、それを支えていた農村の解体を経て、「これからの『民藝』はどうなっていくのか。それを鞍田さんに考えてもらいたいと思っています」と対談を締めくくりました。
第2回講座は、11月22日(土)14:00より野生の科学研究所にて開催されます。
どうぞ、みなさまお誘い合わせのうえご参加ください!
(文/薮下佳代)