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公開研究会:「可食性の人類学」第三回「人と食を結び直す鍵」レポート

2014/10/10

2014年9月6日(土)、野生の科学研究所にて、石倉敏明研究員による公開研究会「ホモ・エデンス  可食性の人類学」(全三回)の第三回が開催されました。今回は「人と食を結び直す鍵」と題された最終回です。今回はゲスト・コメンテーターとして、桜美林大学の奥野克己さん、山伏の坂本大三郎さんをお呼びしました。石倉さんによる研究発表を、奥野さん、坂本さん、そして中沢所長によるコメントとあわせてレポートします。

 

石倉さん研究発表

「食の起原」の起原を探る

前回までの講義では、「カニバリズム」というテーマを手がかりに人と食との関係を深堀りしてきました。最終回の今回はカニバリズムを超え、さらなる食の起原へと分け入っていきます。

前回の講義でもみたように、レヴィ=ストロースはカニバリズムという現象を野蛮なものとしてではなく、他者との同一化を求めようとする人間のコミュニケーションの欲求を基盤としたものだと考えていました。石倉さんはさらに、レヴィ=ストロースはこうした他者との同一化を求める人間の欲求の起原というものが、実は外界の自然過程のなかにも見出せると考えていたのではないかといいます。

 

生物学における食と性

生物学においては、ある生物が同類のものを食べるという現象、つまり共食いのことをカニバリズムと呼びます。最近の生物学の研究では、食と性の深いつながりを表す進化過程モデルとして「共生創生」という仮説が提唱されています。「共生創生」とは、異なる種の生物が物理的に連合することによって、新たな細胞、器官、個体を創生することをいいます。異なる種どうしが生存を脅かされたとき、共食い的に融合することで新たな個体となるという仮説です。こうして作り出される不可逆的な融合状態を、提唱者のリン・マーギュリスは「ハイパーセックス(超性)」と名付けました。

粘菌もまた、マーギュリスが着目した生物のひとつでした。南方熊楠も自身の思想の根幹としていた粘菌は、ふだんは単細胞アメーバの状態でさまざまな細菌を食べながら分裂増殖をしています。しかし、食べ物が乏しくなるなど生存環境が脅かされるようになると、「移動体」を形成し、適当な場所に移った後「子実体」と呼ばれるキノコのようなかたちに姿を変え、胞子を飛ばして子孫を残します。こうした粘菌もまた、食と性という二つの領域を交わらせている生物であるということができます。

以上にみてきたように、生物史のレベルでは、飢餓など自身の生存を脅かすさまざまなストレスへの対応策として、共食いは決して珍しいものではありませんでした。最近の研究では、細胞が自分自身を食べるという「オートファジー(自食作用)」の働きにも注目が集まっています。単細胞から多細胞にいたるまで、生物には「オートファジー」の原理がセットされています。それは「食べるもの・食べられるもの」という二項対立が曖昧になる、生命の特徴を表すものでもあると石倉さんは指摘します。このようなかたちで、生物には他者との連続性を求める「対称性過程」と自己保存を求める「非対称性過程」とが同時に作動しているということができます。

 

「非対称性」を超えて

それにも関わらず、人間の思考は、しばしばわれわれを取り巻いている「対称性」というものを無視してきたのではないだろうかと石倉さんは疑問を投げかけます。現代の食を取り巻く、圧倒的に「非対称」な状態もその表れです。政治人類学者のティモシー・パチラトや哲学者のハイデッガーも、同じような問いかけを私たちに投げかけています。現代の食環境は、食べ物が生み出されてくる過程や飢えというものを組織的な飽食状態で覆い隠し、目に見えないものとしています。そのような状態にあっては、人間の心というのも「対称性」を失い、貧窮化していく一方なのではないかと石倉さんは危惧します。

冒頭でみたように、様々な生物において食と性の過程というのは、ある時には切り離され、ある時には互いに支え合ながら個体の存続と種の存続の両方を維持してきました。わたしたち人間にとってもそれは同じです。他の生物とは異なり、人間は自らが食べられるという状況におかれることが少ないですが、それでも現生人類の「食べる心」というのは、言葉や知性を働かせることで人間と人間以外の生物をつないできました。あらゆる神話や各地域に伝わる料理の技法というのは、そうした「食べる心」を獲得した人間による、「非対称性」を克服するための「食の思想」であるということができます。

 

「宇宙的食物網」のなかの人間

そのように考えてみると、食とは人間の身体と地域の生態宇宙とをつなぐ手段でもあります。風土を構成する自然から切り離され、その地域独自の料理文化を経由して人間の身体に統合されていく「地域食」には、その文化にとって最も大きな価値が与えられることになると石倉さんはいいます。地域食を支えているのは、人間と食材がもたらされる地域生態系や食物連鎖全体との宇宙的なつながりです。こうしたかたちで人間も宇宙的な食物網に参加しており、「食の対称性」を求める配慮や責任というのは、人間のなかに必然的に生まれるのであると石倉さんは食を基盤とした人間の倫理について述べます。

ここで石倉さんは、個々人の人間と宇宙との媒介者として働く「外蔵」という概念を提示します。以上にみたように、ある地域の食材・料理法・食事法というのは、その土地の生態宇宙と連続性を保ちながら他の秩序とも隣接し、互いに影響を与えあっています。つまり、地域の食文化というのは、その土地に暮らす人間が自然と関わる最も生々しい回路として、人間の内蔵的な過程を外部の自然に開き、同じ時間と空間の秩序に人間と自然を接続させているということができるのです。そのような意味で、自らを取り囲む食環境というのは、自らの内蔵の裏返された姿でもあり、自らの身体そのものの延長といっていいほどのものでもあるということができます。このような「外蔵」の働きによって、私たちは自分と宇宙とを一体化させ、「対称性」のなかにはじめて自らの位置を占めることができるようになるのです。

石倉さんは、「対称性」とは私たちのすぐ目の前にあるものだといいます。そして、これまでにみたような「対称性」というものを基軸にした新たな食物網のモデルを、これから私たちは構築していかなければならないと述べ、三回にわたった「可食性の人類学」の講義をしめくくりました。

 

 

奥野克己先生コメント

三木成夫の生命形態学

奥野先生はまず、石倉さんの「ホモ・エデンス」という講義全体について、「人類学における食研究を解体し、今まで人類学の視野に入ってこなかったような視点を取り入れながら新たに食の人類学を構築しようと試みる、非常に壮大な研究であるように感じる」と評価します。

奥野先生は以前、石倉さんも執筆者として参加している『人と動物の人類学』という本を編集した際に、人類学の基調となっている研究として、解剖学者三木成夫さんが提唱した生命形態学というものがあるのではないかと考えたといいます。

三木成夫さんは、ゲーテの形態学というものにを手がかりとしながら自らの思想ともいうべきものを編み出した解剖学者です。アリストテレスは、「受け取って出す」ということが生物の本質であると述べています。栄養を受け取るということによって子孫を残す、つまり、食と性とが生物の本質であるというわけです。このことをふまえて、三木さんは生物を植物と動物とに大きく分け、それぞれの栄養摂取の根本的な違いを導き出します。それによると、植物というのは水や二酸化炭素、無機物を自力で合成して生命の源をつくり出しています。植物においては、自力で栄養をつくり出して宇宙と調律、一体化しているといえるのです。それに対して動物は、全く異なることを行っています。動物は合成能力というものに欠けており、栄養源というものを外部に求めなくてはなりません。エネルギーのもとを得るためには食べなくてはならず、動物においては食べ物の獲得ということが最重要課題になるということができます。

あらゆる動物は、自分の体の外にある食べ物を直接に飲み込んだり摂取したりすることで栄養を得ています。奥野さんは自身のフィールドワークの経験を鑑みたとき、狩猟民の暮らしのなかには、まさにそのようなダイレクトなかたちで口から食べ物を取り入れる食の構造があるといいます。それに対して、食べ物を貯蔵して加工する農耕牧畜民や、資本主義社会においてお金という象徴交換体系を通して食べ物を獲得している私たちは、もっと間接的なかたちで食べ物と関係を持っているということができます。

 

プナンの狩猟民の生活

奥野さんは、90年代にはインドネシアの農耕民のシャーマニズムについて研究していました。2006年からは、プナンという狩猟民についての調査研究をしています。プナンの人びとは、熱帯雨林のなかでノマディックな生活をしています。プナンの人びとの暮らしにおいては、朝起きると食べ物は何もないというのが普通なので、食べ物を探しにいくことが生活の中心となります。しかし食べ物(イノシシ)は獲れるときもあれば獲れないときもあります。獲れない日々が何日も続くと、彼らは必然的に飢えていきます。奥野さんは、この「飢え」というものがプナンの狩猟民にとって非常に重要であるといいます。彼らは「飢え」という言葉を互いに発することで食べ物を求める気持ちを高め、獲物にありつこうとするのです。これは石倉さんの発表に通ずる事例であるといえます。

プナンの人びとは、基本的には個人消費を認めません。ある時にみんなで食べるという食のスタイルをもっており、とれた獲物は全て消費し尽くされます。しばらくして満腹になり食べ物が消化されていくと、彼らは森の中へ入っていき糞便をします。奥野さんは、彼らが他の人に見られてもいいようなところに糞便をすることに注目します。プナンにおいては、口から食べ物を取り入れて肛門から出すという消化のプロセスが、非常にダイレクトなかたちで生活の傍らにあるのです。

こうしたプナンの生活については、民俗音楽学者卜田隆嗣さんの『声の力』という本の中で詳述されています。この本には「ボルネオ島プナンのうたと出すことの美学」というサブタイトルがつけられていますが、プナンでは、出すこと、つまり糞便・歌・おならなどは全て神が出してくれるのだと考えるのだそうです。人類学というのは、こうした具体的な民俗史的事実に着目していくことが重要であり、こうした態度は、石倉さんの取り組んでいる問題系にも非常に大切なことだろうと奥野さんは述べます。

 

「対称性」の食の人類学

石倉さんの研究発表の最後に出てきた「対称性」というテーマについても、奥野さんは次のようにいいます。自身のプナンや内蒙古でのフィールドワークの経験から考えたとき、先住民の人びとたちの生活には、人間の「非対称性」というものを「対称性」へと戻していくようなさまざまな知恵が確かにあります。奥野さんは、石倉さんが取り組んでいる食べるということを中核とした人類学というのは、食べられるものと食べられないものを象徴論的に切り分けるという既存の研究とは一線を画す、潜在的な力をはらんだ研究の見通しであるだろうと今後の研究を展望し、コメントをしめくくりました。

 

 

坂本大三郎さんコメント

坂本さんは山形の月山で山伏をしています。坂本さんによると、山伏というのも食べる、食べられるというようなことに非常に関係があるように思うそうです。山伏は、死んで山に入ると考えます。修行中よく洞窟のなかに入っていくことがあるのですが、岩のなかに入っていくとき、坂本さんは山に食べられていく感覚がするといいます。山伏は死んで山に入っていき、また新たに生きかえるという修行をしているわけですが、修行が終わった後、「差串」というものを食べるそうです。「差串」とは大日如来をかたどった食べ物ですが、自然に食べられた山伏が生きかえったときに食べる「差串」は、石倉さんのいう「外蔵」のようなものなのではないかと坂本さんは考えます。山伏は、「差串」を食べることで自然と再び一体化しようとするのです。坂本さんは、山伏に限らず、このような「外蔵」感覚を身近なところで見つけていくことが大切なのではないかとコメントしました。

 

 

中沢所長コメント

「食べる、食べられる」というのはこれまで見てきたように人類にとって非常に大きな問題ですが、人間が自分の存在とは何かということを考えたときに、ことさら顕著になる問題だといえます。中沢所長は、若いころ仏教の修行をしていた時にはすでに、この問題を直観していたのだといいます。

仏教にはブッダの前生譚というものがたくさんありますが、実はそのほとんどでブッダは食べられています。これらのお話というのは、食べるということが人間の実存の条件となっていることを明らかにしています。仏教徒とは、ものを考える人びと、自分たちが無意識に行っていることを反省的に考えるタイプの知識人と似た存在であるだろうと中沢所長はいいます。仏教徒は、人間の実存とは何かと考えます。そうすると「対称性」というものが主題となって浮かび上がってくるので、それを実践しようとします。あらゆる仏教の修行者は、「対称性」を実現しようと生を送っています。中沢所長も、ある時山の中のお寺で、そのように修行するゴムチェン(ヨガ行者)に出会ったことがあるといいます。

ものを考える人間は、長い間、自分が食べられる存在ではなく食べる存在であるという非対称状態、人間の実存条件に直面してきました。そうした時、思考の条件として「対称性」というものが浮かび上がってきます。しかしいざ「対称性」を実現しようとすると、実は大変な「非対称」を行わないといけません。人間が存在する限り、完璧な「対称性」というものを実現するのはほとんど不可能に近いですが、この世界において「対称性」が無意味であるというわけではありません。「対称性」というのは、人間がものを考えるということの本質に関わっているからです。私たちは、ものを考えるという態度をもう一度、生きているということの条件にすえなければならないと所長は述べます。

今の食事情は、ものを考えなくていいようになっています。しかし、人間は考える生き物です。人間がこの「非対称性」から逃れられたことは、いまだかつてありません。こうして石倉さんの問いは、「人間とはなにか」というような重要な主題にぶつかることとなります。「がんばってください」と所長は石倉さんを激励し、三回にわたる研究会は幕を閉じました。

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