公開研究会:「可食性の人類学」 第一回「世界の始まりから隠されてきたこと」レポート
2014/07/14
2014年6月21日(土)、野生の科学研究所にて、石倉敏明研究員による公開研究会「ホモ・エデンス 可食性の人類学」(全三回)が開催されました。第一回目となる今回は「世界の始まりから隠されてきたこと」と題し、「食」という観点に着目して世界中のさまざまな神話を読むことで私たちと食べものの間の関係を問い直し、新たな「食の存在論」ともいうべき問題を提起していきます。石倉さんによる研究発表を、その後行われた中沢所長との対談とあわせてレポートします。
いま、食を問い直す
私たちは日常的に食べものを口にし、消化し、排泄していますが、「食べる」という行為が私たちの意識にのぼることは、普段あまりないのではないでしょうか。先日、「クマが人を食べてしまった」という事件が世間をゆるがせましたが、この事件が私たちにとってショッキングであるのは、私たちが他者に「食べられる」存在であるかもしれないということを普段忘れてしまっているからです。食は、性と並んで神話における二大テーマの一翼を担っています。食と性とは、人間にとって強力なタブーにふれうるものです。人間に鮮烈な快楽を与えるものであると同時に、強力な忘却の力を働かせるものでもあるのです。
このような状況のなかで、「今、新たに食というものを考えなおす必要があるのではないだろうか」と石倉さんは問いかけます。「我、考える、ゆえに我あり」と言ったのはデカルトですが、考える私というのは一体どこからくるのでしょうか。考える私自体がまず、肉を食べて生きているのではないでしょうか。そうすると、考える私に先立つものとしての肉というのは一体どこからくるのでしょうか。こうした問いを石倉さんは「食の存在論」として提起し、食を通して「存在の問い」を立ち上げ直そうと試みます。
ヒトと食べものの関係
そもそも人間と食べものの間の関係については、人類学の研究によれば、五つの段階があったと言われています。五つの段階とはすなわち、①直立二足歩行、②肉食増加、③火の制御、④道具の発明と改良、⑤農耕・牧畜による食料生産です。
1500万年前の中新世後期に寒冷・乾燥の気候が到来したとき、人類の祖先は森から草原へ出たのだと考えられています。彼らは長い時間をかけて、両手を自由に使えるように直立二足歩行を実現しました。直立二足歩行によって人間のエネルギー効率は上がり、食物を効果的に獲得できるようになりました。原人や初期の旧人が身につけていた火を制御する技術は、食物を加工し消化率を高めること、脳に大きなエネルギーを送ることに役立ち、そのために人類の食においては、肉食の占める割合が大きくなっていきました。旧石器時代になると、新人が発明した道具と技術は、人類を大型肉食獣並みの力をもったものに押し上げ、他の頂点捕食者の地位を持つ獣(マンモスなど)を危機に追いやっていきます。そして新石器時代には、人類は定住化を進め、農耕・牧畜による食料の生産、貯蓄を始めていくこととなります。
このようなヒトの進化の過程の一方で、もうひとつ重要な革命が人類に起こっていました。スティーブン・ミズンによって「認知的ビッグバン」と呼ばれた人間の脳における革命です。この脳内革命により、現生人類はさまざまな領域の知を横断させ、メタファーを用いて思考することができるようになりました。「最古の哲学」としての神話はこうして現れることとなります。神話は、「食の起源」をめぐるさまざまな物語のなかで人間と食の関係を明らかにしています。ヒトと食べものの関係に関する思考は、神話によって深められてきたのです。
神話は、人間と動物との連続性についてさまざまなことを語っています。人間も動物も食べる存在であると同時に、食べられる存在でもあるということ。私たちが生きている世界が、ひとつの全体的な秩序を持っており、そのなかに人間も動物も「食べる主体」として参与しているのだということ。食べる対象を必要としているということ。口と肛門を持ち、摂食と排泄を恒常的におこなっているのだということ。これらのことから動物を人間と同じように「人格を持つもの」と考えたとき、それを食べる人間には、「なぜ私ではなくそれが食べられるのか」という可食性の問いが突きつけられています。
人類学における可食性の問い
どのような文化も、こうした可食性の問いを抱えています。人類学の分野では1960年代から、可食性の問いにたいするさまざまな研究が進められてきました。
例えば、イギリスのエドマンド・リーチによる「可食カテゴリー」の研究です。リーチによれば、食は食べることを許されているかいないかという区別に従って、三つに分けられるのだといいます。つまり、食物として食べることを正常に認められているもの、食物になると認められてはいるけれども、ある限定的な状況でしか口にしてはならないもの、食べることを許されていないもの、の三つです。リーチは、イギリスにおけるこのような可食、限定的可食、不可食の区分けが、性のタブー、結婚制度にまつわるタブーに重なるのではないかと論じます。同じくイギリスの人類学者メアリー・ダグラスは同じころ、レレ族の通過儀礼の事例を通し、食べるということがカオスとの接触でもあるのだと述べています。上記のような食のカテゴリーに分類できない混沌を孕んだものを身体に取り入れることで、自らに新たな秩序を生み出す創造的な力を授けようとするのです。
以上のような食のカテゴリーに関する研究が主であったイギリスにたいして、フランスではクロード・レヴィ=ストロースらによって一歩進んだ研究がなされていました。彼らはさまざまな神話や料理法、食卓作法の分析を通して、料理という行為が混沌と秩序とを媒介しているのだという「料理民俗学」の試みを提唱します。レヴィ=ストロースは、焼かれた世界と腐った世界とを媒介する火を使った料理というものを、口と肛門とを媒介する消化管と重ね合わせ論理的に神話を分析することで、イギリスにおいてカテゴリー論として論じられてきた可食性の問いを拡張し、食の根幹をなしている無意識の構造といったものを明るみに出します。食べるという行為は、ひとつの宇宙に開かれた人間と宇宙とをつなぐ手段であると考えるのです。
ドイツでは、イェンゼンらによって「歴史民俗学」と呼ばれる研究が戦前から続けられてきました。歴史民俗学とは、歴史のなかで人間の文化がどのような層を持っているのかということを探る研究です。歴史民俗学は、「旧大陸と新大陸に分布している文化には、ひとつの統一をなす文化層があるのではないか」という問いを立てるのですが、イェンゼンは『殺された女神』という研究のなかで、それが「古栽培民」による焼畑の文化であるのではないかと考えます。彼は、イモ類や果樹類を原始的な焼畑農法によって栽培していた地域を「古栽培民」の文化層として考え、それらの文化すべてに共通する「至高神」の不在という特徴を神話から明らかにします。イェンゼンによれば「古栽培民」の文化層は、人間の食べものが発生したのは「至高神」みずからが食べものとなったからだと考えていました。
ハイヌウェレ神話
イェンゼンは、東インドネシアのヴェマーレ族がもつ「ハイヌウェレ神話」というものを特権視します。ハイヌウェレ神話とは、以下のようなものです。
あるとき、最初の人間のひとりであるアメタが、夢のお告げに従ってココヤシの実を地中に埋めました。すると大きなヤシの樹が生え、花が咲きました。アメタがその花からお酒を作ろうとすると、誤って自分の手を切ってしまい、そこからハイヌウェレという少女が生まれました。ハイヌウェレという少女は、さまざまな珍しい宝物を大便として自分の体から出すことができました。アメタはそのおかげで、たちまちのうちに大変裕福になりました。そのころマロ踊りが行われました。マロ踊りは九晩続き、真ん中で女が、その周りを男が踊ります。ハイヌウェレは毎晩その踊りの中心で、自分の体から取り出したさまざまな宝物を村人に分け与えました。ところがこのようにして毎夜さまざまな宝物をもらっているうちに、人々はだんだんハイヌウェレを気味悪がって妬ましく思うようになり、最後の晩に彼女を生き埋めにして殺してしまいました。ハイヌウェレが殺されたことを知ったアメタは、彼女の死体をいくつもに切り刻んであちこちに埋めました。すると、彼女の死体はさまざまな種類のイモとなり、それ以来、これらのイモが人間の主食となったのです。
こうした型の神話は、環太平洋のさまざまな地域に見られます。いずれも排泄物、血や乳、屍体などから食物が発生するといった神話です。記紀神話のオオゲツヒメや保食神にも、この「ハイヌウェレ型神話」の変型をみることができます。広大な分布域のなかでひとつのテーマが反復されているといったことを明らかにしたイェンゼンの研究は、イギリスやフランスにおける研究とは異なった角度から可食性の問いを進めていると言うことができます。
可食性の問いの根源にある起源的暴力
これらの可食性の問いにたいする人類学の先行研究を踏まえたうえで、石倉さんは「カニバリズム」という主題を提示します。人間が人間を食べてはいけないというのは根本的なタブーであるにもかかわらず、神話のなかにはこうしたタブーを犯したり、むしろ推奨したりする事例が多く見受けられます。石倉さんは、人間が人肉あるいはそれに代わる肉を殺して食べるという意味で用いられてきた「カニバリズム」という語の定義に、ハイヌウェレ型神話にみられるような人間の排泄物や屍体からの食物の発生という次元を加えることで、カニバリズムという現象をより広い意味でとらえることができるのではないかと言います。前者のカニバリズムを「強いカニバリズム」と呼び、後者を「弱いカニバリズム」と呼ぶとすれば、「弱いカニバリズム」は、カニバリズムをかつて存在した野蛮な行為としてではなく、食べるということの起源を伝承するものとして位置づけ、考えさせてくれます。
ハイヌウェレ神話では、ハイヌウェレは殺されることで食物になりました。すると、「食べる私が存在する」という最初に提示された「食の存在論」の問いは、「私が食べられるゆえに世界は存在する」といったものに置き換えられていきます。食べるという行為は、「もしかしたら自分が食べられていたかもしれない」という可死性を隠すことで成り立っています。実は私自身が、食べられるかもしれない「肉」としてこの世界を支えているのです。石倉さんは、圧倒的な非対称性のもとで成り立っている食というものの根源に、こうした起源的な暴力が存在するのだということを明らかにして、今回の講義を締めくくりました。
対談:中沢所長×石倉敏明さん
講義終了後には、中沢所長と石倉さんによる対談が行われました。長年師弟関係を結んできたお二人だからこそ飛び出るコメントや逸話など、盛りだくさんの内容を凝縮してお伝えします。
神話に残る「生の体験」
中沢所長は、自らが育った甲州の情景などを重ね合わせたとき、腐敗とそこから生まれ出る新たな生命というハイヌウェレの神話のモチーフというのは、実際にそこで生きた人びとの生々しい体験がベースになったものであり、自然感覚で感じた人々の言葉であると思うといいます。そして、「神話学というのは、ただ単に知的な操作で学説を組み立て上げるのではなく、人間のやってきた具体的な生の体験が元となって神話に作り替えられているのだということを前提にしなければならない」と今回の講義を振り返ります。実際に神話学を専門にする石倉さんも、それは強く感じるそうです。比較対象としていろいろな神話を本で読むと、似たようなモチーフがあちらこちらに出てくるので、「神話の作者は他の神話を知っていて真似しているのではないだろうか」と変に疑ったりしてしまうこともあるのだそうですが、実際にはそうではなく、それぞれの神話を語った人々の思考がどれも同じような具体的な体験に根ざしたものだったからなのだといいます。
吉本隆明の都市論
中沢所長はいま、吉本隆明さんの経済論をまとめているのですが、その中に「現代都市というのがどのような方向に発展しているのか」について述べた都市論があります。吉本さんによれば、都市というのは視線で四系列に分類できるそうです。比較的低い位置で開けた視線を維持する低層の第一系列、ビルの谷間に立って上を見上げるような垂直軸の視線を持つ第二系列、高層ビルから眺めるときのような上空の視線が交錯する第四系列とあって、第三系列が一番おもしろいのだといいます。第三系列とはなにかといえば、第一系列にも第四系列にも属さない異化領域だとか中間領域と呼ばれる空間がある都市です。具体的には浅草のアサヒビールのビルや大阪のあべのハルカスの高層ビルなどが挙げられます。都市というのは、第一次系列のようなものを否定して垂直に成長していくものですが、第三系列の都市は逆に、ビルのてっぺんのようなところに第一次系列的なものを入れ込んでしまうのです。
人類学で食の問題が出てくるのも、このような吉本さんの都市論と重なる所があるのではないかと中沢所長はいいます。中沢所長が学生だったころは、確かに人類学の学問の主題は「何を食べるか、食べないか」といったカテゴリー論でした。それから現代になって人類学の主題も変わってきています。石倉さんのやっているような「食べる・食べられる」という視点をもった人類学というのは、吉本さんの第三系列の都市像のようなねじれの構造をもつ非常におもしろいものとなるのではないかと所長はいいます。
ウパニシャッドの哲学
講義の最後に、石倉さんからウパニシャッドからの引用が紹介されました。しかし、それは今回のテーマのような「食べる・食べられる」が不確定で曖昧となるような思考のかたちとは異なるのではないかと中沢所長は指摘します。所長によれば、ウパニシャッドというのは、食べる・食べられるといった循環の世界の外に立った視点から語られた神話であり、いわゆる国家発生以降の神話と呼ばれるものです。石倉さんが講義のなかで紹介してきたような、循環して矛盾や動揺を抱えている神話の世界を、ウパニシャッドはすべて包摂したその上に立っています。ウパニシャッドがおもしろいのは、前国家的な思考の方法を全部知った上で、さらにそれを超えた思考というものを見せてくれるからです。同じような思考のかたちが、古事記や日本書記にも見られます。石倉さんは仏教のなかにもそれがみられるのではないかと答え、話は釈迦の人生にまで及びました。
美に消化する技術
石倉さんは、メアリー・ダグラスの解説として書かれた中沢所長の文章のなかにある、「汚物を堆肥につくりかえる技術」というものを身につけるのが、とても大変だが重要なことだといいます。これは「毒を薬に変える技術」とも言い換えることができますが、薬というのは毒を含んでもいるし、毒というのは薬にもなりえる。このような毒と薬が一体となったものというのを実践として行ったとき、どのような像が生まれてくるのかといったことが重要であると所長は述べ、今回の対談は幕を閉じました。
第2回研究会は、7月19日(土)14:00より
野生の科学研究所にて開催されます。
どうぞ、みなさまお誘い合わせのうえご参加ください!