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明治大学リバティアカデミー講座「生死観をつくりなおす-日本文化基層の生と死を探る」 第1回レポート

2014/06/26

2014年度、明治大学リバティアカデミー講座「生死観をつくりなおす-日本文化基層の生と死を探る」連続2回講座の第一回が、5月24日(土)に行われました。今回は明治大学野生の科学研究所と明治大学死生学・基層文化研究所の共同主催です。その模様をレポートします。

近代社会が発達してくる過程で、ここ100年ほどの間に、死に関わる儀式の意味は大きく揺らぎ始めています。日本でも葬式や墓地といった形式に疑問を持つ人々が増えてきました。「生きている時には物語が必要、死の時には形式が重要」とは臨床心理学者だった河合隼雄さんの言葉です。形式はリアリティがなくなればいずれは滅びていくものですが、形式がない死は人間に不安を与えます。人間の生死については、近代に至るまで、社会が意味づけして支えるという時代が長く続きました。現代では、家族、近隣、民族、国家はいたるところで空洞化、解体の傾向にあり、個人と社会の関係はぐらつきだしています。一人の個となってしまった近代人は、生や死の意味や形式を、果たして個人の力だけで支えられるのかどうか危うい状況です。日本人は今「生死観をつくりなおす」必要に迫られているのです。すべていずれは死にゆく、人という生き物である私達とともに、死の管理者であった宗教者たちも、生死の枠組みを問い直さなければならない時代にきています。

生死観の来るべき姿を考える時、まず参考になるのは過去の蓄積です。私達がその上に立っている膨大な文化遺産をもう一度掘り返し、再検討してみなければなりません。今回の連続講座では、この列島に人間が住んだ数万年の間に、生死についてどういう物語や形式を作り出してきたのかという観点から、4つのトピックに分けて考えます。アイヌ、縄文、弥生・古墳、南島(沖縄)にポイントを絞り、仏教が入る前の生死観を考えます。仏教が何を日本人に与えたか、本来持っていた何を壊したかを探索するのはその後です。そして「その先にもっと原型的なものが、日本人の中から出てこなければならない。」と中沢所長は今回の講座の持つ意味を示しました。

 

第一部「アイヌの生と死」 明治大学理工学部、濱口稔先生講演

かつては北海道、樺太、千島列島、さらにさかのぼれば東北地方の北部一帯で話されていたアイヌ語の起源ははっきりわかっていません。アイヌは独自の文字を持たず記録を避けてきました。縄文文化を弥生文化を通さず、オホーツク文化や擦文文化を経て受け継いだとみられるアイヌ文化の真髄は、口承で伝えられてきたのです。現在ではアイヌ語の話し手は、北海道を中心に日常生活では日本語を使って生活しています。過酷な歴史闘争を乗り越え民族の復権を果たす一方で、彼らは記憶を掘り起こし、言語や文化の伝統を継承する努力を続けています。

濱口教授は英米言語思想がご専門ですが、学部生向けにアイヌと琉球の基層文化授業も担当されています。ご両親の故郷がそれぞれ積丹半島、久米島(沖縄)ということで、アイヌと沖縄の両文化に親しんでこられました。今回はアイヌの生死観を中心にした講演です。

 

アイヌの生活文化概観

アイヌは狩猟採集生活を主としてコタン(村)に暮し、イオロ(イオル)という資源調達の場を持っていました。入会地でありまた伝統的生活空間でもあるイオロは、山や川、海の天然資源の恵みを得る場所です。今も残るアイヌの土地の名前には、それら資源のありかや土地の特徴が、耳で聞けばすぐ分かるように意味が重ねられています。自然の中にある人間の力が及ばないもの、恵みを授けてくれるもの、さらには生活に関わる多くのもの、それらすべては、カムイ(神)の国から使命を帯びてやってくる存在と考えられていました。

自然の樹木や花、自然現象の風や火、洪水や地震など、また、熊や狼、梟、魚などの生きもの、さらには資材から作った船、臼、お椀や器にも、アイヌは神をみたのです。人間の感謝や願いを神に伝える媒介には、イナウ(木幣)という、ミズキ、ヤナギなどの木々の枝を小刀で薄く削って作った木幣を使います。人間が住むには適さないが、豊富な資源のある神の縄張りカムイコタンに入るには、イナウを供え神の許しをもらわねばなりません。そこで獲った大人のヒグマはその場で解体して魂を丁寧に神の国に送り届け、子グマは連れ帰って1~2年ほどコタン総出で大事に育てます。その後、肉と皮をお土産にいただき、魂を神の国に送り出すのです。この儀式がイヨマンテと呼ばれるもので、数日にわたって酒宴を繰り広げユーカラ(叙事詩)を演じ伝統舞踊などを催し、手厚くもてなします。守猟は殺すという観念ではなく、出迎えに行く受け取りに行く行為と考えられていました。オオカミやフクロウなど他の動物たちにも同じように感謝して、毛皮や肉をいただいては、魂を神の国に送り返す儀式を繰り返すのです。資源の再来を願う一種の豊穣祈願ともいえるでしょう。

この魂送りが古びたり壊れたりした「もの」に行われるところにも、アイヌ文化の特色が見られます。カムイ(神)はアイヌ民族にとって、資源の安定確保のために分たちの生活がどうあるべきかを律する、一種のモラルコントロールのような存在なのです。カムイがいるからアイヌは命をつなげるので、祭祀では食、酒、イナウなどをお土産に、カムイを精一杯もてなします。カムイの方も自分たちを崇めるアイヌをかけがえのない存在として、豊かな自然の恵みをもたらすのです。自分たちを生かしてくれる神々を常に意識し、両者が相互扶助にあることを確認することで、アイヌの世界観は穏やかに調和していたのです。

 

アイヌの生死観

以上のようなカムイとともにある生活の背後に、アイヌはこの世とあの世の存在を意識していました。コタンに近いどこかに、あの世への入り口の穴があると考えていたのです。葬儀の時に方角にこだわるのは、コタンと穴の配置に深い関係があるからです。地域によって差はあるものの、生と死の世界を巡るルートが、アイヌ共同体ではイメージされていました。葬儀で送られた霊は、トンネルを通って生死の境界のような場所にいったん落着き、そこからあの世に向かいます。あの世では、死者は現世と同じようにのどかに暮らしていますが、季節は現世とは逆になり、夜と昼も逆になるあべこべ世界と考えられています。あの世でしばらく暮らした魂は別のアイヌとして再生します。生と死をつないで循環するものがあって、死は別の空間への移動と考えられ、アイヌは死を恐れず、魂の不滅を信じていたといわれます。アイヌの死生の風景は沖縄と似ている印象がある、と濱口教授は話されました。最後に、アイヌの儀礼や踊りの映像紹介がありました。

 

 

第二部「縄文の生と死」 諏訪考古学研究所、田中基さん講演

近年、縄文時代が原始的であるという、かつてのイメージを塗り替えるような発見や研究結果が数多く発表され、豊かで多彩な縄文文化の姿が浮かび上がってきています。世界各地で展開した新石器文化とは無縁とみられていた日本列島でも、様々な特徴ある文化が花開いていたことが、進展する遺跡研究から明らかになってきました。

富士眉月弧文化圏と呼ばれる辺りに出土する土器の表面には、他の地域にはない特徴のある図像が見られます。それらについて、スワニミズムともいわれる独特の視点から、田中さんは長年研究を積み重ねてきました。今回は古代の神話に重なる生死観についての分析を紹介されました。

 

「女神ランプ」と原古事記を重ね合わせる

「人面付香炉形土器(曽利遺跡、御殿場遺跡出土)」は、前面は子宮から火を生んだ神、後ろは蛇がのた打ち回るような神のようにみえます。生み出す者と死者の顔を一つの土器に表現して、前と後ろの強大な転換を表現したのではないかと田中さんはいいます。イザナミが火の神を生み、ホト(女陰)が焼けただれて死ぬ神話がそこには重なります。さらに、5,000年ほど前からの原神話の存在の可能性が考えられます。「穴場遺跡」出土の土器は、形態からトグロとなったイザナミとして、出土時の配置から、ヴァギナ(石皿)を狙っているファロス(石棒)にトグロとなったイザナミが取りついているとみます。一日に千人殺す、では千五百人生む、と生死の応酬をしたイザナミ、イザナギの神話を、生と死の両面を持った女神に重ね、縄文時代に繋がる生死観を表す原神話があったと推定するのです。

 

「ミヅチ文深鉢」と大地生成の神話

旧石器時代にあったのではないかと思われる、天地生成の神話伝承と重ねられる図像もあります。籐内遺跡出土のものを見ると、大型の水樽だったと思われる土器に地平線を示す線がはっきりと表現され、下部はできたてほやほやの水だらけの大地、海洋にはミズチ(水生動物)と思われる姿が描かれています。狢沢、神谷原Ⅱ遺跡出土の土器は、拓本をとってみると、ミズチがぐるぐる回転しています。2匹の魚が大地を支えていて、月や太陽が上部に彫られて、雷が落ちたような図像もあります。天地創造の図として迫力がある表現です。複数の太陽が存在し、英雄が射落としてひとつは月になったなどという、中国、台湾、東南アジア全域に多く伝えられている、類似の神話と重なります。イザナミ、イザナギの神話もこの中にあったのではないかと考えられます。

 

性交、懐胎、出産を表す「女神像深鉢」

榎垣外遺跡、下原遺跡出土土器表面には、ファロスとしての蛇、受精のヴァギナを表すような図像がみられます。御所前、酒呑場遺跡出土土器では女神の顔が鉢の縁にあり、鉢の中央(女神の陰部)から女神と同じ顔の赤ちゃんを出産しています。形態から、子宮ともカエルの背中とも見えます。また下原遺跡出土土器の縁の装飾を横にしてみると龍の形になり、死と再生にかかわる強烈な女神に関連付けた表現と考えられます。これらの土器は、おそらく冬至の頃に鉢を子宮に見立て、鉢の中で煮炊きした食物を人々に与える神事(祭り)に用いられたのだろうと推測されます。女神の顔は、90%以上が首をはねられた状態で出土しています。口から物を出して与えたオオゲツヒメがスサノオに殺された神話と重なります。ウケモチがツクヨミに殺されたのも同じような神話です。

 

「四方神面像土器」の二重性

一の沢、井戸尻遺跡出土土器には女神の身体と宇宙像を混交したような表現があります。天動説でいうような、四方に宇宙山があるとよめます。釈迦堂遺跡出土土器の縁にあるのは月球、太陽を飲み込み口から出す蛇体像(怪獣)で、口は子宮と重なり、女性と宇宙を二重にしてだぶらせているようです。女神像深鉢を合わせて考えて、洞穴から生命が再生する様子と推定します。口(子宮=洞窟)から朝の太陽が生まれる、生まれて死ぬ、死んでも生むという、宇宙的な自然神話が浮かびます。

 

妣(はは)ヶ国の位置と生命の道

以上のような土器図像分析から田中さんは、折口信夫の「妣ヶ国」という他界観は、古代日本の三層宇宙構造と大地の穴の概念構造と関係があると考えています。古事記や日本書紀に書かれた生死二元論より以前に、循環する三重の宇宙概念があり、折口はエジプトと同じような新石器時代の思考を直観しているのではないかというのです。他界は子宮であるとする考えが、土器の性的表現を生み出したと推測され、その三層構造は汎太平洋的概念につながります。それはコロンビアのデサナの生死観の構造と似ているそうです。デサナの宇宙構造概念図のアフビコン=ディアー(地下の楽園=女の子宮=墓)のように、死の国であるとともに生命の国であるという考え方が縄文の土器図像にはあり、転換する空間を想定していると考えられるのです。それは新石器時代から繋がる発想で、日本ではおそらく8世紀ぐらいまで続きました。時代を遡行して探索すればここまで原型的なものが出てきて、大雑把にくくれば、旧石器時代にも三層構造の死生観があったと想定できると田中さんは締めくくりました。

 

 

対談:田中基さん+中沢所長

21世紀のパラダイムへ

対談は冒頭、アカマタ、クロマタから始まり、国家の発生に深く関わっている仮面の登場、根源は縄文まで到達するというミシャグチ神に話が及び、旧石器と新石器の時代認識について展開しました。旧石器文化はほぼ完成した構造を持ち、後はその様式変化のバリエーションとみることができます。現代では旧石器文化の残響を感じとることができるのはオーストラリア原住民文化ですが、そこをよく再研究してみる必要があるのではないでしょうか。

見渡してみると、日本の縄文文化、中国黒龍省の文化、古アジア文化、米インディアンの文化、インドシナ文化などは、発展は少しずつ違ってはいますが、ほとんど一つの大きい人類の歴史を作っていたと考えられます。すこし飛躍した話をすれば、エジプト初期の段階、出雲の新石器段階、メソポタミアも同列に比較して考えられ、日本の神話体系がその中にあっても不思議はないような構造の類似性が認められるといいます。インド文明は、人類がアフリカから移動するときに長い滞在をした場所として重要な意味を持っています。それはインドシナにも伝わり東アジアの原型を作ったといわれています。後にその文化が一斉に日本に入ってきたこと、石器時代における世界の中の日本という捉え方について、田中さんと所長の話は続いて行きます。

明治以来、日本の考古学は実証科学を積み重ねて大変素晴らしい体系を作ってきましたが、21世紀には別の視点を組み込んだパラダイムが求められています。DNAで精緻にわかってきた人類の移動経路を考慮にいれて、次の時代に転換する必要があります。「認知考古学がキーポイントになり、そこでは旧石器と新石器の峻別は消えていく」と中沢所長はいいます。

 

日本文化の根底

縄文時代は洞窟から壺にメタファーが変わり、村の中で身近に煮炊きなどに使うことによって、神話が大変発達しました。「現存している神話は中石器から新石器に発生したらしいものがあり、構造は旧石器からほとんど変わっていないだろう。」と田中さんも考えています。壺の内側から見えないものが外に現れた時に、壺の口で何かが次元変換しているのですが、その変換を神話では空間がねじれると表現します。それが大規模に現れたのはボロブドゥールやアンコールワットで、壺の中にあった仏たちが外にめくれて曼荼羅となりました。インドの密教から変容した思考法と考えられ、根源の法界は壺だということです。この思考法はチベットでも展開しました(中沢)。

後に日本では前方後円墳がこの思考の独自のかたちとして現れます。新石器や縄文をその中に抱えている日本の天皇王権は、特異な構造をしています。大陸の思考方法とはタイプが異なる、混沌を孕んだ構図が、無意識の中に連綿と生き続けているのです。国家は作ったものの、そこに非国家的思考が組み込まれています。一方は森で一方は芸能(スポーツ、エンターテインメント)という構造を持つ明治神宮の内苑と外苑はそのいい例でしょう。どんな田舎の神社の祭りにもその痕跡が発見できるのは驚きで、「私達の文化の根底に新石器文化が根強く生き残っている証だ。」と中沢所長は示唆しました。

 

根源に遡る

ヨーロッパから始まった近代文明のプログラムは、すでに終りに近くなっています。人類はもう一度新石器の根源から何かを汲み出してこなければなりません。そういう視点から諏訪考古学の登場は意味があるのです。諏訪大社と中世、縄文をつなげる発想。それは明治神宮の思想にも繋がっています。人間の脳は最大限飛躍すると旧石器や新石器文化のようなものが作れ、宇宙のメタファーをどこまでも拡大できます。例えば、イザナミ、イザナギの神話も、国家形成時に権力に取り込まれ兄妹の近親相姦のような原型の構図を消されなければ、もっと大胆で面白いものになっていたはずです。形と言葉を重ね比喩を生み、創造を広げる力を人間は持っています。だから、「過去に学び、次の何かを切り開く可能性を探るのです」と中沢所長は結びました。

 

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