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『現代思想』2014年1月号「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」

2014/06/02

野生の科学研究所、中沢所長の目指すところがわかりやすくまとまっているとご好評いただいた「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」。「野生の科学」を大きく掲げた『現代思想(2014年1月号)』掲載のこの対談では、中沢所長の思想的足跡と展望に人類学者で野生の科学研究員でもある石倉敏明さんがせまりました。今回青土社さんのご好意で、対談に新たに加筆し掲載いたします。

 

「野生の科学、あるいは新構造主義の時代」

中沢新一/石倉敏明(聞き手

構造主義の「構造」とは何か

石倉 哲学の分野だけでなく人類学のなかでも、自然と人間の”great divide”と呼ばれている分割を超えていこうという新たな動きが根づき始めています。こうしたいくつかの動きの共通性が見えてくると同時に、彼らが目指しているところが自然と人間の分割を超えていくという、中沢さんが1980年代から一貫して続けられてきたお仕事と通底しているのではないかとも見えてきます。

中沢 自分が思想で目指しているものをはっきりと意識し始めたのは、『雪片曲線論』という仕事からです。収録されているものは83、84年に書いた作品が多いのですが、当時ニュー・アカデミズムと呼ばれた一種の言語構築主義に対する反発が、その作品の背景にあります。例えばソシュール言語学などにある言語の恣意性という側面だけを強調し、自然と人間の言語の乖離を前提にあらゆる文化現象を記号論的に捉えていく視点などがそうで、私はひどくそういうものに反発していました。何より嫌だったのは、そうなると思想自体が記号や概念を使ったゲームのように見なされ、そのゲームに勝つための不毛な競争がもてはやされることです。ドゥルーズの理解に関しても、その概念を単純化してまるで道具のように扱う知的なゲームが始まっていました。「構造主義」と一括りにされて「ポスト構造主義」による批判にさらされたと言われている思想は矮小化されて、外界の自然過程と脳内の記号過程とを分けた上で、人間側に囲い込まれて記号化されたシステムを対象とする、近代的なシステム論の変種のようなものとして誤解されました。私はその理解は、完全に間違っていると思ったのです。

その感を特に強くしたのは、レヴィ=ストロースの『神話論理』第四巻を精読しているときでした。彼は自分の構造主義が現代の言語学だけではなく、ダーシー・トムソンが生物学の分野で明らかにした生物の形態が進化のなかで相互変形していく過程や、ゲーテの自然論、デューラーの人相学などに基づいているということを強調します。私はことにゲーテと関係しているということにピンと来るものがありました。ゲーテの色彩論にしても植物学にしても、人間の脳内過程と外界の自然過程を一つの連続として据えていこうとする考え方です。ニュートンの色彩論は自然過程と記号過程を分離してしまいますが、ゲーテはそれを拒否します。神話は植物が「変態」していくように自己変形を行い、そのなかの内在論理が無数のヴァリエーションを生み出していく。レヴィ=ストロースは人間の精神活動を、そういうふうに自然過程そのものから生み出されるものとして読み込んでいきます。

 私は学生の頃からジャック・ラカンという人物にも関心を持ってきました。私にとっての構造主義は、レヴィ=ストロースとジャック・ラカンの二人に集約されると言ってもよいかもしれません。ラカンの基本的な考え方は、フロイトが初期の草稿の中で描いている心のモデルから出発しています。そのモデルでは、無意識の過程というものが生命的な自然過程に繋がっていて、それが反自然的な象徴過程と分離しないで、一つの連続した多様体をつくっています。ただし連続と言ってもそのなかには弁証法が含まれていますから、自然過程はそのまま人間の象徴過程に入ってこない。そこである種の弁証法的な断絶と飛躍が起こって、自然過程が切り捨てられつつ保存されるというかたちで心的多様体がつくられている。その様子を表現するために、ラカンはボロメオの輪やクラインの壺や、いろいろなトポロジーの「モデル」を駆使しました。

 現在の脳科学よりもラカンの進んでいるところは、弁証法を取り入れているところです。『ヘーゲルの未来――可塑性・時間性・弁証法』を書いたカトリーヌ・マラブーなどが強調していることですが、今の脳科学では脳プロセスのなかに弁証法が入っていないのです。まあこれは読み方次第ですが、ヘーゲルの『エンチクロペディー』などを読んでみると、ラカンがそこから多くを学んでいることがわかります。自然過程と人間の象徴過程を一連のプロセスとして捉えながらそこに弁証法を入れていく。私はそれが「構造主義」と言われるものの「構造」だと理解したのです。例えばレヴィ=ストロースの神話なども二項対立のシステムとして描いているのでありません。背後には必ず神話公式という弁証法的メカニズムが働いていて、それによって内側のものが外側に反転して出てきます。そのときのメカニズムが、構造が神話のなかでどう動いているかを観察するための基礎にすえられています。神話公式は捻じれた空間をつくっていくのですが、この捻じれた空間の上で二項対立がどう配列を変えていくかをしめすことが構造分析なのです。そういうことを踏まえて『雪片曲線論』の仕事に取りかかったのですが、そこで私は自然過程と象徴過程の連続性を強調したかったのです。

 当時そのことを理解してくれた人はほとんどいませんでした。理解してくれたのは吉本隆明さんだけでしたね。吉本さん自身が記号過程を記号として分離することを機能主義として批判していました。そこで、三木成夫が言うような胎児の生命体のなかで起こる記号活動だとか、無意識のなかで起こる前言語的な記号活動と、人間の意識的な言語活動とをつながりをもった多様体として、吉本さんは考えようとしていたのです。

石倉 当時はニューアカ・ブームの真っ只中だったと思いますが、吉本さんは「中沢新一を真芯で受け止める」という表現をされていましたね。そして三木さんと吉本さんの考え方には共通点があるだろうと思います。例えば自己表出と指示表出、内臓系と体壁系というように、一種の「バイロジック(複論理)」というか、二つの項で分けながらもそれらを多元的に統合していく方向性を探っていた。当時吉本さんはそういう視点から中沢さんが何を目指しているかを理解されていたということでしょうか。

中沢 そうだと思います。吉本さんはニューアカに対しては大変批判的だったのですが、私に対しては強い関心を持ち続けてくれました。自分の考えていることと近いのではないかと直感的に感じ取られていたのでしょう。吉本さんは『言語にとって美とは何か』で、意味や美が生成してくるときのプロセスを取り出すのに、言語学がやっている機能主義や、自然から切り離したうえでの恣意的な言語ゲームとして捉えることを拒否するために、「自己表出」という軸を入れています。「自己」や「表出」という言葉がよいのか、当時の私はやや疑問は持ちましたが、吉本さんのめざしていることはよくわかっていましたし、それが目指している方向が自分と同じであることも、うすうすわかっていました。

石倉 「言語論的転回」が構造主義の根幹にあるのだという通俗的な構造主義への理解に対して抵抗するところが吉本さんにはあったと思います。

中沢 吉本さんは言語をもっと内臓的なプロセスに繋げたかったのですね。

私が大学院の修士論文で扱ったのも、言語と内蔵的過程の問題でした。特に注目したのは、ハンガリーで言語学と精神分析学のあいだのような研究をやっていたイヴァン・フォナジーという人で、彼の「発声の欲動過程」の研究に大変共感しました。それからドナルド・ウィニコットやメラニー・クラインの言語以前の幼児の記号作用の研究にも大変興味を持ちました。フォナジーは音韻の獲得と幼児の身体過程を詳しく観察しました。例えば、子どもが排便のときに声を出すプロセスや、言語を喉で分節するときの音節の繋がりや分離という問題を、心理発達と結びつけながら、連続と分離を含む一連の動態的過程として研究していて、それに私は大変インパクトを受けましたね。

 今「バイロジック」という言葉が出ましたが、自然過程のロジックと言語過程のロジックがあると言う風に単純化して言いますと、このバイロジックの差異と繋がりと弁証法が終始私の関心の的でした。それを引き延ばしていくと、自然と文化と言われているものの関係の問い直しに繋がっていくというのは、その時点ではっきりわかっていました。

石倉 もう少し後の話になりますが、バイロジックという言葉で中沢さんがご自身の理論を体系化されたとき、シニフィアンとシニフィエの関係について、独自の捉え方をしていたように思います。通常はシニフィアンというとレヴィ=ストロースの「浮遊するシニフィアン」がベースになっているという理解があり、シニフィエのほうは自然と同義だと捉えるのが通俗的な構造主義だと思います。そこでは「一つの自然的対象」に対してシニフィアンが多数で自由であるということになります。そしてそこに恣意性の結びつきが出てくるわけです。しかし、例えば『対称性人類学』に出てくる理解ですと、浮遊するシニフィアンが無意識を抑圧したときに生まれてくるのがシニフィエだということになります。つまり、意味というものは事後的につくり出されるものなのだ、と。人間と外界の自然が触れあったとき、脳内過程と自然過程の交渉によってその都度に無数の「新しい自然」が生まれてくる、という多自然論に置き換えられるかもしれません。こういった理解は80年代から一貫していたということですか。

中沢 私は若いときからマルクスとフロイトを熱心に読みました。そういう考えは彼らからもらった認識ですね。フロイトはそのことを抑圧の問題として捉えるのです。シニフィアンが抑圧したとき初めてシニフィエが対応して出てくるというわけです。マルクスも生産様式が生産力を抑圧するとき、そこから表現形態として派生してくるものが政治闘争であり社会闘争であり権力抗争であると考えました。彼の考え方では自然、つまり生産力は、あらかじめ文化である生産関係によって抑圧されている。そしてこの抑圧があるから解放によって新たな歴史的現実が生まれるという神話も生まれるわけです。フロイトは人間の解放に関してはもっとペシミスティックな考えでした。むしろ抑圧が人間を成り立たせていると理解していた。このペシミズムをさらに推し進めていったところにレヴィ=ストロースが出てくると私は思っています。レヴィ=ストロースには三回会っていますが、そのたびに筋金入りのペシミズムにうちのめされましたね。ちょっとやそっとのものではないのですよ(笑)。

石倉 レヴィ=ストロースのペシミズムには、人間中心主義への痛烈な批判が伴っていましたね。構造とは自然界と人間精神の両方に内在する原理で、感性と理性の交点に現れる。自分は繊細な手仕事のような手法によって、その共通原理を探り出すのだ、と。彼自身、「マジノ戦線で花を見たときに構造を直観した」とか、「直接、石や花や蝶や鳥を見ることによって構造主義者になった」と書いています。そのあたりは中沢さんの目指すところと大分通じたのではないでしょうか。

 ところで、愛知万博のためにまとめられた『くくのち』という雑誌(1999~2000年刊)では、レヴィ=ストロースやセール、ラトゥールなどにご自身でインタビューをされていますね。そして愛知万博における「森のなかにパビリオンをつくらない」という画期的なビジョンが出てきた。二〇世紀末になされた日本とフランスの間に架け橋をつくるお仕事だったと思いますが、一体どのような経緯でこのような方々に会うことになったのでしょうか。

中沢 90年代の後半に愛知万博の計画が持ち上がったとき、瀬戸市にある「海上の森」を潰して万博後には公団住宅にするという計画を、愛知県がひそかに進めようとしていました。それを通産省のじつに変わった役人たちが阻止したかったのですね。たった二人の役人ですが。それで阻止するためにはどうしたらいいかと私に相談してきました。そこで、敢えてパビリオンを建てないことを一つの積極的な思想として打ち出して、森を切り拓くという計画自体を止めるために万博を利用する方向がよいのではないかと提案しました。ではコンセプトは何がよいかと聞かれたので、「自然の叡智(wisdom of nature)」としました。wisdomやintellectを人間のみならず自然全体の中で働いている知性作用に据えなければならないし、21世紀の文化はそういう拡張された知性をベースにしなければならないという考えに則ってつくったコンセプトです。

 当然そうなると『くくのち』をつくるときに会う人は決まってきます。レヴィ=ストロースやセール、ラトゥールなどです。レヴィ=ストロースは私たちを大変歓迎してくれて、シャンパーニュ地方の森にある自邸で長時間にわたって話をすることができました。彼の愛好する日本の文化や芸術について、世界的な人口問題や近代エコロジー以前の倫理、神話研究と最新の脳科学に共通する二項対立の問題、ファン・エイクやアニタ・アルプスの絵画と自然の関係についてなど、幅広い主題について対話を行いました。セールとは、彼が毎年夏に訪れるアルプスの小さなホテルでお会いしました。そこで当時『自然契約』としてまとめられた思想の背景や、インターネット技術がもたらす社会変化などについても話し合いました。もちろんラトゥールとも、近代化という大きな問題を深い次元で方向転換していくにはどうしたらよいのか、新しい万博の構想からめながら話すことができました。その後実際の万博では、「パビリオンをつくらない」という方針は残念ながら撤回されて、私たちの「自然の叡智チーム」は突然粛清されてしまうのですが(笑)、このときに語り合った内容の多くは『カイエ・ソバージュ』に到る仕事のなかで生かされたのではないか、と自分では思っています。

 それよりも少し前のことになりますが、フェリックス・ガタリとはこれらの問題について、ゆっくり話をしています。ガタリの『分裂分析的地図作成法』はこうした問題を考えるのに、じつに豊かなヒントを与えてくれます。ガタリとドゥルーズは、フラクタルやカオス理論を持ちこんでくるのですが、私はそれをラカンの現代数学的な読み替えだと感じました。次元と次元のあいだというものをつくるボロメオの輪の構造を、ラカンによって読み解いていくと、フラクタルやカオス理論にぐんぐん近づいていきます。ラカンはそれをトポロジーの図形のなかに押し込めてしまうのですが、ガタリはそれを開放系にして自然過程に結びつけていく。ガタリはドゥルーズとの『アンチ・オイディプス』ではラカンのことを強く批判していますが、実はボロメオの輪がカオス理論のトポロジーによるモデル化だということもうすうすわかっていたのではないでしょうか。まあ、フランスの知的世界の伝統として、先行者を否定するというのが決まりなのでしょうが。しかし『分裂分析的地図作成法』を読んだとき、『雪片曲線論』で私がやろうとしていたことと非常に深い繋がりがあることを感じました。

 ガタリは神道に強い関心を持っていましたね。日本列島に展開した自然思想の問題です。アニミズム的な神道が自然を入れ子にしたカオス構造としてできあがっているらしいことを、彼はよく理解していました。そのうえで神道と天皇制がどのような構造をかたちづくっているのかに強い関心を抱いていて、何度も質問をしてきました。

 

石倉 2000年にお書きになった論文「モノの深さ」――後に「モノとの同盟」と改題されていますが――は、まさにそのテーマですよね。折口信夫が掴んだ「タマ」や「モノ」という概念を通じて、神道の背景にある機械状の無意識と自然との繋がりを捉えられていました。しかもこのテーマは、同時期にヴィヴェイロス・デ・カストロが行っていた多元的な先住民哲学とも明瞭に呼応しています。

中沢 あの論文の背後には、やはりガタリたちのやっていた仕事がありました。それを日本的な文脈のなかで展開するとどうなるかと考えたのです。ガタリたちが問題としていたことを日本に置き換えるならば、「モノ」は自然と人間の通路となります。ベンヤミンが言っていた「パサージュ」ですね。ベンヤミンもまた、自然と文化の通路を問題にしていましたからね。もっと言えば、彼の思想の元になったルイ・アラゴンの『パリの農夫』という本があるでしょう。パリのなかにゴール人の農夫の精神がつくり上げる奇妙奇天烈な世界がパサージュなのだということが、シュールレアリスト時代のアラゴンの本の主題になっていて、その概念をベンヤミンが拡大し、深めたわけです。

 それが別の言い方をすれば、自然と文化の「インターフェイス」という私の好きな概念であって、それはベンヤミンの「パサージュ」、「中間性」、アンリ・コルバンの「天使性」といったものと関連していくのです。私は、レヴィ=ストロースの「構造」もそのなかに含めてしまおうと考えました。『神話論理』を一貫して理解するためには、そう考えるしかないのです。また『構造人類学』のなかの多くの論文も、そうでなければ理解できないはずです。

 

「対称性」のほうへ

石倉 『野生の科学』には、「新構造主義」宣言とも受け取れるような印象的な一節があります。すなわち、構造主義は人間中心主義からの脱却をかたちづくった。新構造主義があるとすれば、この世界が人間だけのものではなく、「不思議な環(strange loop)」を通じて動物・植物・鉱物へと繋がっていくインターフェイスをつくっていくものになるだろう、と。レヴィ=ストロースが探究した構造主義の根幹にあるものは、そうした「不思議な環」なのだということでしょうか。

 中沢 レヴィ=ストロースは自分では言葉にせずにそういうことをやっていたのだと思います。彼が「構造」という概念で言い表そうとしていたのはコミュニケーション概念でも、機能主義でも、言語構築主義でもありません。インターフェイス上で活動している実体の動きそのものを構造と呼んでいるのです。彼はそれを正確に『神話論理』のなかに表現しています。ところが、それを言語構築主義的に理解していくと矛盾だらけになってしまいます。なぜなら、いたるところに弁証法が組み込んであるからです。

石倉 構造を観念として理解するだけではなく、存在論的に把握する必要がありそうですね。最近、哲学者の檜垣立哉さんがドゥルーズの時間論とレヴィ=ストロースの神話学を繋いでいくようなお仕事をされています。『時間の人類学』という論集に収載された論文「生命のリズム/儀礼のリズム」で檜垣さんは、レヴィ=ストロースが『野生の思考』の「ふたたび見出された時」の章で展開しているチュリンガ論において、連接と離接という二つの概念を使って、一つの創造的矛盾をつくり出していると指摘されています。過去の神話的な起源の時間と今の時間とが繋がっているという面と、現在と過去とが切断されているという矛盾を、チュリンガを用いた反復儀礼によって乗り越えていく。これをバイロジックと言えると思うのですが。

中沢 そこをもっと追い込んでいくと、なぜ人間がチュリンガのようなものを求めるのかとか、神話のような言説をつくり出すのかといったことに繋がるのではないでしょうか。山口昌男は「原初」という言葉をよく使いましたが、少しロマンチックすぎてしまって、事の本質を取り逃してしまうきらいがあります。しかし実は自然科学も自分では気づかずに同じようなことをやっているのですよ。つまり、時間過程というのは、自然科学においても手つかずのまま放置され残されているのです。時間を記号tとして取り込んではいますが、tは動きそのものですから、時間を含んでいて、記号化ができません。科学的な記号は空間概念の変種ですからね。

 例えば極限概念というものがあります。N→∞といった表記法をしますが、Nが無限大へと向かっているという矢印を付けます。この向かっているというのは、空間概念ではなく時間概念であり、どこまでも接近していくということです。近代の数学はε-δ論法を使って、ここから時間を取り除こうと必死だったのです。つまり、すべてを空間概念で取り押さえなければ数学には矛盾が入ってしまい、ゼノンの矢が飛ばなくなってしまうのです。もちろん実際には矢は飛びますが、そのためには時間概念を入れなければならず、そうすると数学に矛盾が入ってきてしまう。

 アインシュタインがやったのは、時間を空間化することでした。空間三次元と時間が対称形になって、置き換え可能になるとしたわけですが、世界はそうできてはいません。時間は空間の構造と違うからです。そしてこの時間の構造が数学の理論全体には必ず入り込んでくる。ですから、数学者たちも今までは手を付けてこなかったのですが、最近になって問題化するようになりました。大森英樹さんなどはかなり早い時期からこのことを取り上げられていますし、森田真生さんが問題にされている数学の身体性や自然性といったことも、これに関係しています。

 時間の問題が入ってくると、時間過程のなかで物事が発展・展開してしまいます。そのために世界には非対称精の過程が進行します。現実の世界はすべてが非対称的で複雑な構造を持っています。この世界に起こることのすべてを単純な論理や公式で表現することはできない。これから先もできません。だから文学が必要なのですが。ところが自然科学は、自然現象を単純で原始的な状態へ、つまり対称性を持っている状態へと引き戻していきます。そうすると、陽子と中性子のような、どう見ても非対称に見えるものが、同じ状態の異なる表現形態であるということになります。陽子と中性子が対称性を持っている空間に入っていって、それを数学で表現しようとするわけです。つまり、物事が分岐や分離をして複雑な構造を取るという非対称性過程の進行には時間が関係しているのですが、その時間を逆行させるということを、科学の理論はやっています。それによって、いろいろなことが未分化で対称性を保っていた原始的な状態へと引き戻されていく。初期化が起こり、そこに対称性があらわれてきます。

 物理では対称性が実現されていると、エネルギーや運動量が保存され、消耗が起こらないとされています。物理学における法則の発見とはそのような仕組みになっていて、つまりは対称性を持った表現を数学などを使ってつくろうとしてきました。できるだけ対称性を持った数式をつくれば、真理に近づくのです。アインシュタインは一般相対性理論において見事に対称的な式をつくりましたが、そこでも「宇宙項」という非対称な項が一つ残ってしまっています。アインシュタインはそのことに苛立っていましたが、それはおそらく時間の本質に関わっている。つまり、宇宙が生成すると、その項ができてしまうということです。我々の知っている現実の世界はそうした時間的進行性のなかにあり、過程は複雑に分化し、非対称に壊れていきます。しかし自然科学は理論では対称性に引き戻すことをやっている。

 これと同じことを人類学もするのです。いやそれどころか、人類学とは人間の本性を理解するために、人間的現象を対称性の状態に引き戻して初期化して考えようとする学問であると、私は理解しています。レヴィ=ストロースの構造という概念がまさにそれで、人類学がなぜ未開社会を研究しなければならなかったのかを説明する有力な理由となっています。彼はアマゾンの先住民のなかに基本構造を見出していたわけですが、それは対称性のことです。『親族の基本構造』において選ばれた基本構造を持った領域は、じっさいにはとても狭いのです。人類の移動経過で言えば、スンダランドやシベリアに渡っていったルート、つまりインド・東南アジア・オーストラリア・古代中国・北東アジア•アメリカ先住民だけを扱っている。基本構造とは親族構造のなかに対称性があるということですが、ヨーロッパなどではそれが早い時期に崩れて非対称になってしまうからです。              

 ですから基本構造という概念は、それをうまく使えば人間の複雑な世界や現代の結婚制度も理解できるといったものではまったくありません。なぜかと言えば、現代は非対称性のなかに展開しており、それゆえに複雑だからです。しかし彼が基本構造として取り出そうとした世界は、限定されてはいますが、対称性を持っている。オーストラリア先住民の世界などは完全に対称性の世界であって、親族構造や神話構造に留まらず、人間と自然の間にすら対称性ができてくるようシンプルさを持っている。それが旧石器時代から新石器時代への移行期に当たる「中石器時代(Mesolithic)」文化の特徴だったのでしょうね。

 こうしたことが、構造ということの理解に繋がっていきます。ですから、構造と対称性とは一緒なのです。レヴィ=ストロースは人間科学のなかに、自然科学と同じような対称性を目指す逆行的運動を求めていたのですが、それがゆえに「反歴史主義」という誤解を受けることにもなりました。歴史主義とは、都市と国家が形成され、歴史が発生するところから始まります。ギリシャが歴史の始まりだというのは、そこで前ギリシャ的世界を抑圧してポリスが成立したからですが、そこで根源的な非対称性を抱えることになりました。ところが、ギリシャにはその非対称性の出現を支え、没落させられていった母体があります。それがマルタ島をはじめとする地中海文化のなかで発達したミノア文明ですが、それは歴史の外にあります。そこでは文化全体が対称性の要素をたくさん保っているのです。ギリシャはその対称性を壊して、都市国家を形成し始めた。

 ハイデガーの仕事を見ていますと、彼がある種の対称性を求めていたことがわかります。彼はギリシャのポリスの向こう側を見たがっていました。エンペドクレス、アナクシマンドロス、ヘラクレイトス等に対するハイデガーの関心は、彼らがプラトン以前の世界のことをよく知っていて、そこから受け継いだ知識を元にしていたことに起因します。ハイデガーは彼らの方向へ入りこんでいき、存在を性起として理解する考え方はそこから生まれました。ハイデガーの後期哲学、つまり『存在と時間』ではなくそこから「時間」を抜いた哲学は、存在と対称性を目指していたのだと思います。彼がやっていたことは、チュリンガを求めるオーストラリア先住民と同じ衝動に突き動かされた哲学的探求だったのではないでしょうか。

石倉 中沢さんは國分功一郎さんとの対談本(『哲学の自然』)のなかで、イオニア学派の自然哲学について頁を割いて語られています。そこでは人間と自然との関係を、神話ではなく哲学として語り始めた必然性についてもかなり突っ込んでいます。國分さんの本でも、いかに神話の時間から自然を取り出すかということに哲学の基礎を置き、それは実はハイデガーが目指したところでありかつドゥルーズが批判的に乗り越えようとしたところだとして、一つの起源を見出そうとしているような気がします。しかし、哲学として取り出さなければいけないという理由は、神話はそのままだと人間にとって抑圧的だという理解が西洋哲学のなかにあるからでしょう。中沢さんはそのことについてどう考えられますか。

中沢 それはレヴィ=ストロースが打ち破った考え方ではないでしょうか。そこで問題になっている神話とは、マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』で書いたようなフランス革命の神話であったり、封建制を基礎づける神話ですね。日本においても、たしかに国家を支える神話は存在します。しかしそれらはレヴィ=ストロースが言っている神話とは違うのです。神話にも対称性の神話と非対称性の神話とがあって、扱っている時間の深度が違っています。ここははっきりと腑分けをしなければなりません。つまり、アメリカ先住民が猥談をしながら語っている神話と、為政者の権威を捏造するための荘重な国家神話とは一緒に論じられないのです。とはいえ、どのような国家神話であっても、根底には下ネタだらけの原住民神話と同じ構造が生きているのが面白いところです。『古事記』や『日本書紀』のすばらしさは、そこにあります。政治的意図を持った神話の背後に、原住民の神話が顔を覗かせています。

石倉 ドゥルーズ自身にも、ガタリと仕事をしたときには、ドゴン族の宇宙卵の神話だとか、大地という概念で取り出された哲学の外に広がっている広大な想像力があったと思います。国家というものがいかにそれを捕獲し、資本制というものが想像力や欲望をいかに変形していくかという共通の関心が彼らにはありました。この関心は、中沢さんの『カイエ・ソバージュ』にも色濃く引き継がれていますね。

中沢 『カイエ・ソバージュ』は神話論・国家論・贈与論・宗教論・存在論という五部で構成された仕事ですが、当然ドゥルーズ=ガタリの多様体哲学から大きなインスピレーションを得ています。やはりドゥルーズにとっては、フェリックス・ガタリという人の存在は大きかったように思います。ガタリはほんとうに面白い人でした。まさに熱狂的に語るのですが、その話題の展開の仕方がまことにスキゾ的なのです。普通の左翼知識人は一つの論点にしたがって集中していくし、ひとたび現実を概念で言語化してしまうと、それに執着してそれの展開にこだわってしまう。ところが、ガタリは絶対にそうしない。

 よく考えてみると、神話はスキゾフレニー的に語られるものです。実際に神話の語りを見てみると、「どうしてそっちへ行くの?」というように、話題が不条理な方向へどんどん展開していきます。それが神話の一つの力で、アニミズム的な増殖力に関わっていると言えるかもしれません。ガタリが晩年エコロジーの概念を刷新することができたのも、主観性の強度や増殖力によるものでしょう。ガタリという人の能力はそうやってドゥルーズを甦らせたのだと思います。私からすればドゥルーズはとてつもなく優秀な「哲学の先生」ですが、しかし、彼の中にはもう一人のドゥルーズがいて、それはガタリによって無意識を呼び戻されるドゥルーズです。

自然と人間のパサージュ

石倉 「もう一人のドゥルーズ」、あるいはまだ発見されていないドゥルーズや構造主義がもしかしたらあるかもしれない、というムードが生まれてきていますね。そのなかで中沢さんの一貫した探究がある新鮮さを持って受け止められてきているような気がします。「新構造主義」という命名の背景にも、決して閉じた相関主義に固着しない、非西洋的な文脈への読み替えや、新しい科学との連携を予感させます。

中沢 新構造主義という名称は、ポスト構造主義を否定してもう一段螺旋階段を昇って下を見たら構造主義がいた、という感じを表現するために付けました。「『不思議な環』を組み込んだ人間科学」(『野生の科学』)のなかでそう言ってみただけで、二度と使うまいと思っていたのですが(笑)。これでまた使わざるをえなくなりました。

 そもそも構造主義とは何かと言えば、人間の外部から人間を捉える知性のことです。フーコーが『言葉と物』の最後に書き込んだ「人間の死」というのは、人間を理解するために人間の外部へと拡張された知性のことです。そこから「自然=知性」という考えもでてきます。

石倉 「自然=知性」と言ったとき、ポスト・ポスト構造主義のなかで一定の共通理解になりつつあるのは、初めから自然が大きな風呂敷のようにしてあって、そこで何をやっても自然に包摂されるのだ、という意味でのア・プリオリな全体性(ホーリズム)を立てないことだと思います。中沢さんの「対称性人類学」から「野生の科学」に至る流れのなかでも、シニフィアンによって新たに生み出される自然、人間が歴史を通じて生きていくなかで新たにつくり出されていく自然が強調されているように思います。

しかしそのあたりに関しては中沢学に対する誤解があって、「縄文=自然」図式や「全体的な自然に帰れ」というロマン主義と同一視してきた人もいたのではないかと思います。

中沢 そういうつもりはまったくなかったのですけれどね。自然に対するロマンティシズムもほとんどありませんし。しかしその点では、自分の書き方やしゃべり方が微妙すぎたのだと反省しています。

 ただし、ここにはそうそう簡単には解けない問題系があります。ヨーロッパの哲学では自然と文化が出発点から分離されています。都市空間からつくられた哲学ですから、都市的な空間と哲学は深く関係しています。かつそれは脳のなかの言語の位置とよく似ています。ある意味で言うと、最初から切断があるのです。ヨーロッパ文明の展開を見てみても、分離が基礎になっています。そのなかで分離されたものを結合するという思考形態こそ、自分たちの文明と親和性をもって理解できる世界なのです。

ところが日本哲学はそういう基礎に立っていない。これについて特に若い世代の哲学をやる方々に認識しておいてもらいたいことは、日本語を使うとき、人間と自然とのパサージュ構造がすでに言語のなかに入っていることを無視してやると、明治時代の多くの知識人と同じことをやってしまうということです。明治時代にはそのことを無視してヨーロッパ流を持ち込んだのですが、そうしたら変な自然主義やロマンティシズムが出てきて、とうとう戦争まで行ってしまったりもした。

 日本の場合、都市がヨーロッパとは違う発展を遂げてきました。言ってしまえば、日本では西洋で言うような哲学が生まれなかったのです。それは都市が明瞭な構造を持って形成されなかったからです。都市はいつも自然とのパサージュ、中間状態として形成されています。それは都市を拓いたのが海民系の倭人だったということと関係があると私は睨んでいます。海洋性の人々がつくる都市構造は底が海になっていて、つまり自然とのパサージュが開けていて、境界線がないのです。どの時代の日本の都市を見てもそうなのです。

ヨーロッパの都市の原型はトルコのチャタルヒュユクなどに典型ですが、城壁をつくります。そして城壁の内部で行う言語活動として哲学が生まれる。ところがハイデガーは哲学とは「野の道」だと言ったでしょう。森や農村に繋がっていくパサージュ上で私は哲学をしてきました、と言いたいのですね。後ろに森林があるところの前にベンチがあって、そこに座ってdenken(思索)の場とした。彼の前提は他のヨーロッパの哲学者とは違います。しかし、ヨーロッパの思想の構造のなかでは離接構造は最初からあるのです。

ところが、日本の場合はそれがない。ないにもかかわらずそこで思索するという困難を抱えてきたのです。だから哲学がなかなかできなかった。そのかわり何ができたかというと、芸能や文学です。芸能や文学はパサージュ上でやるものですから。西田幾多郎・田邊元が出現するまでは日本で行われた哲学的思索はヨーロッパで行われているような形態ではなく、エッセイとして営まれてきました。しかも西洋のように建築物のような立派なモデルは構築されないで、人間と動植物が共存している里山のようなハイブリッドの言語領域を生み出してきたのです。私は『フィロソフィア・ヤポニカ』を書いたとき、日本哲学の根拠について考える上で、やはりこの問題を避けて通るわけにはいきませんでした。明治時代の日本哲学者は、いわば最初からハイブリッドの氾濫というラトゥール的な主題と向き合い、その中で「モノとの愛」「モノとの同盟」という課題を抱え込んできたと言えるのではないかと思います。

 私が思索を始めた当初から大きい主題だと感じていたのは、日本人の自然感覚とそこでつくられてきた文化、そしてそうした文化環境のなかで行われる思索の本質についてです。これは私が哲学と同時に柳田國男や折口信夫、南方熊楠の学問にもものすごい関心があったということと繋がっていて、ある意味で言うと私にとって民俗学の研究は、日本人のシニフィアンス(意味表現)がどういう構造地盤の上で行われているかに対する研究だったような気がします。それがパサージュの構造でできているということを、ある時期からはっきり理解しました。私はヨーロッパ人の思想的ベースを知りつつ、レヴィ=ストロースの言う「日本列島の原住民」が行うdenkenの条件と可能性と限界を探究しているのだと思います。それが今、フランス人などがやっている仕事と共鳴しあっているというところがとても面白いことですね。

 

「野生の科学」の世界性

石倉 中沢さんの一貫した思索について明らかにしていただきましたが、中沢学に対するもう一つの誤解として、日本語で思索するということが特殊主義にあたるのではないか、というものがあると思います。だからこそガラパゴス化し、世界と共通の土壌がつくれないのではないか、と。ただ、『精霊の王』などを細かく読んでいくと、「環太平洋的仮説」や「ユーラシア的精霊」など、閉じている島が同時に群島状に開いていってネットワーク的に繋がっていくというもう一つの思想が込められています。

中沢 「世界性」というものをどう理解するかということでしょうね。私自身は日本主義者でもないし日本語主義者でもないのですが、世界性ということを対称性のレベルまで掘り下げていって考えなければならないと考えています。英語やインド・ヨーロッパ系の思考構造など、今日世界性やグローバルと呼ばれているものは、実はその時々の覇権と関係している事柄です。世界史を見れば、かつてペルシャ語が世界語だった時代もあるのです。今も実のところ中国語を喋っている人が世界最大で、ヒンディー語やスペイン語話者の人口も膨大です。彼らは彼らの世界を同じ言語のなかでつくり出している。しかしグローバリズムと言うときは英語が基本ですし、アングロサクソンの経済システムがベースになっています。もっと言うと、エマニュエル・トッドが明らかにしたように、アングロサクソンの家族構造がグローバル資本主義の一つのベースになっている。そういうふうに十分に分化を遂げてしまったものを世界性としているけれど、これは権力と関係していることなのです。もちろん権力に擦り寄りたい人たちは、英語圏で思索をしている人たちの仲間となることが世界性の獲得と言うかもしれませんが、私にとって世界性とは対称性の領域の話なのです。人間が本当に世界性を獲得するとしたら、チュリンガの方向に向かって時間を遡行していかなければならないと確信しています。私にとっても世界性とは、そういう意味しかありません。ガラパゴスがどうのというレベルの話ではありません。

石倉 最近言語学のなかでも、日本語を数万年単位のグローバルな歴史と世界的な見取り図のなかに位置づけ直そう、という研究が生まれてきました。例えば松本克己さんの『世界言語のなかの日本語』によれば、流音に「l」と「r」の区別を持たない言語は、実は日本語やアイヌ語だけでなく、ユーラシアの沿岸地域からニューギニア、ポリネシア、南北アメリカ大陸の先住民諸語というように、あたかも太平洋を取り囲むような形で分布している。その他にも、用言型形容詞、名詞の数カテゴリーの欠如、数詞類別など、同じ環太平洋地域の言語にたくさんの共通規則が見られることが、指摘されています。

 こうした見解は、およそ五万年前にアフリカ大陸を離れ世界中に拡散したホモ・サピエンスの移動の歴史の中で、数多くの小集団が互いに影響を与え合いながら日本語圏を含む「環太平洋言語圏」を形成した、というグローバルな言語史のモデルを背景にしています。日本語は、日本列島に暮らしていた環太平洋人(旧石器時代人や縄文人)のことばの特徴をたくさん背負っている、というわけです。この理論は、『カイエ・ソバージュ』のなかで印象的だった「環太平洋の神話学」の思想圏とも合致していますね。

中沢 レヴィ=ストロースが東南アジアや日本に向ける眼差しについて、昔から気になっていたことがあります。それは人類の移動のことです。彼は歴史的な記述についてはいつも慎重さを手放さないのですが、それでも時々我慢しきれずに表に出てくることがあるのです。レヴィ=ストロースの『構造主義人類学』のなかでとくに感銘を受けた論文は、「双分組織は実在するか」というものでした。これはヨセリン・デ・ヨングというオランダのインドネシア学者の研究に触発されて書かれたものなのですが、レヴィ=ストロース自身も南米のボロロ族集落などに立ち寄って比較研究をしています。南米にある村の構造が二元論をもとにした空間区分でできていて、そこの住民もあらゆる場面で二つの原理に分けられている。そして、インドネシアやトロブリアンド諸島、北米のウィンネバゴ族や南米のボロロ族などでも同じ構造が出てくる、というのです。そこでレヴィ=ストロースは、いわゆる双分組織は二元的構造で自律していないで、実は隠された項を伴った三元的構造との緊張関係によって存在する、と説明します。

 別の論文では、やはり環太平洋にあたる東南アジアとアメリカ大陸の芸術表現で、「分割表現」という二元性の技法が登場するか、という問題を追っています(「アジアとアメリカの芸術における図像表現の分割性」)。彼は単純な伝播論による説明を退けていますが、かといってホモ・サピエンスがアメリカ大陸に入った移動経路という問題を、結局片時も忘れたことはなかったのだと思います。実際、『神話論理』ではベーリング海峡を渡って新大陸へ移住したインディアンと、ユーラシア大陸の極東地域に留まった日本人とのあいだの共通性にまで言及して、両方の地域に「泣き虫の赤ん坊」という旧石器時代以来の神話モチーフが残っていることをわざわざ書いているくらいです。個々の神話分析でも、北米から南米に入ってアンデス山脈の脇へ入っていった人たちと、ギニア湾のほうへ向かっていった人たちの大きい流れと、それが逆流してまたアマゾンに分布していく神話構造の違いなど、明らかに緩やかな移動経路と重ねているように思えます。

 文化は空間的伝播によって伝わり、同質的に進化するという伝播主義の理論を、レヴィ=ストロースは厳密に退けていました。それでも彼は、異質性をもった無数の文化が、歴史のなかで互いに要素を逆転したり、変形したり、別の次元に置き換えたりしながら、神話や工芸作品や社会組織のヴァリエーションを保っていることにずっと関心を持ち続けてきたと言えると思います。『構造人類学』の頃は遺伝子解析学がまだそれほど発達していなかったので、人類経路についてちゃんとしたことは言えなかったのですが、今はDNA解析によってかなりの精度で言えるようになりました。そうすると、インディオがどうしてこの社会構造を持っていて、しかもそのなかのある要素がインドネシアや日本のそれと同じなのかということの理由が見えてきます。

 ジョルジュ・デュメジルがなぜ、主権・戦闘・生産という三機能を使って、神々の体系を分類しようとしたか。インド・ヨーロッパ語族に関する仕事において摘出された三元構造は、私の考えでは、より拡大された三元構造としてインドからスンダランドを経由していく環太平洋民族全体のなかにも存在しています。表面上に現われるのは二元論ですが、実際にそれを動かしているのは三元論だというわけです。インドからスンダランドへ渡った人たちは後に農業を発展させた生産民族ですが、その三元論の基本構造がインド・ヨーロッパ語族的に――つまり戦争民族的に――変形されると、『マハーバーラタ』のようなさまざまな叙事詩や武勲神話が生まれる。根源で動いているホモ・サピエンスの脳の構造は、二元論プラス一元論、すなわち三元論で動いているのです。

 晩年に英語で発表された建築論(「砂時計型形象 Hourglass Configurations」)などを見れば、レヴィ=ストロース自身、そうしたより踏み込んだ構造の比較研究に入っていったことがわかります。『カイエ・ソバージュ』のなかで私がやろうとしていたのも、実はこの問題なのです。つまり、人類の思考構造自体を、数万年規模の変化や移動経路と重ねていくことによって、より深い射程で比較し、歴史化していく試みです。これこそが「世界性」ではないのでしょうか。

石倉 そこにはやはり、中沢さんの科学に対するこだわりがあるように思います。人間の心や大脳の構造、神話や宗教や国家や芸術も含めて、それらがどういう経緯で自然のなかで生み出されたのか。すなわち人類の歩みの総体を、唯物論的な歴史のなかに位置づけ直す志向がある。「野生の科学」というプロジェクトは、「世界性」のなかに人間を位置づける新しい科学である、と理解してよろしいですか。

中沢 この地球上に人類が出現し、現生のホモ・サピエンス・サピエンスになって以降の全歴史が、人類学者としての私の主題です。一人の人間の一生でできる仕事ではないのですが、それでも、全人類がこれまでに継承してきた膨大な知恵というものをおろそかにすることはできないと思うのです。それにしても、世界的な射程を個という単位に還流させることが、これからは大事になってくるような気がしています。「世界性を還流する個」を立脚点とする思想が、これからあらゆる分野から出てくるような気がします。そう考えると、「野生の科学」としてこれから行うさまざまな実践は、ポスト多元主義の人類学や哲学が新たに見出そうとしている自然概念などとも連関していくでしょう。こういう思考は、いろいろなところへ散っていって、その人なりの表現に拡散・分散していったときに初めて豊かなものをつくり出していくのだと思います。

初出:『現代思想(2014年1月号)』

掲載のご了解をいただきました青土社さん、ご担当いただいた栗原さんにこの場を借りてお礼申し上げます。どうもありがとうございました。

6月21日(土)には、公開研究会:ホモ・エデンス 可食性の人類学(全3回)
第1回:世界の始まりから隠されてきたこと が開催されます。
今回のインタビュアーである石倉敏明さんによる発表です。どうぞお誘い合わせの上ご来場くださいませ!

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