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公開講座:南方熊楠の新次元 第三回「明恵と熊楠」レポート

2014/04/21

明治大学野生の科学研究所 公開講座
南方熊楠の新次元 第三回「明恵と熊楠」

「南方熊楠の新次元」第三回目では、熊楠学の真骨頂ともいうべき「夢」と「瞑想」による東洋学問に焦点をあて、熊楠と明恵それぞれの世界の認識方法に迫ります。西洋自然科学が流入してきた熊楠の時代、そして浄土真宗が席巻した明恵の時代、古い学問が押し流されようとする中で二人の偉人は何を考えたのか?中沢新一所長による講演の後は、「夢を生きること」をテーマに河合俊雄先生との対談が開催されました。

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「明恵と熊楠」 講演:中沢新一

熊楠は、西洋の学問が入り込み、反動的に様々な思考のルネサンス(復興)がおこった創造的な時代の日本に生きていました。彼は、西洋自然哲学に拮抗する東洋独自の知性形態の構造を明らかにしようとしていましたが、それは鎌倉時代を生きた僧・明恵上人の思想にも通じるものでした。

対話の西洋学問、体得の東洋学問

西洋的学問と東洋的学問を比較すると、とても対照的なことがわかります。今現在私たちが西洋的な学問だと認識しているものは、ソクラテスやプラトンなど「ソフィスト(哲学者・思想家)」の時代の問答形式の講義が基礎になっています。これは言葉の論理を用いて対話形式で真理を突き止めようとするものです。一方、東洋の学問の構造には身体的な実践が伴います。身体を回路にする事で言葉を超えて真理に近づき、認識を深める実践哲学で、ヨガや瞑想がその代表格です。そんな東洋学問の中でもっとも完成されたものが仏教、それも3世紀から5世紀の間に作られた「華厳経」と呼ばれる、古い形のものでした。

熊楠と明恵をつなぐもの−土宜法龍と華厳経

myoue華厳経は日本で「華厳学」として奈良の東大寺を中心に教えられていましたが、平安・鎌倉時代、天台宗の台頭により次第に衰退していきました。そんな時代に華厳経中興の祖として活躍したのが明恵上人(1173-1232)です。彼は高山寺で修行を積み、住職を長い間つとめていましたが、明治時代にその職についたのが後に熊楠の友人となる真言密教の僧・土宜法龍でした。熊楠は若い頃に膨大な華厳経を読破し、その内容に深い理解を持っていたので、土宜法龍との往復書簡の中でも、華厳経と密教を融合させた独自の仏教観を披露しています。

このように熊楠と明恵は、土宜法龍を介した間接的な繋がり、そして華厳経という思想的な繋がりで結ばれていました。華厳経は、この世の諸行無常を説き人々の苦しみを解決する対機説法とも、厳しい戒律を記したものでもなく、言語では到達できないとされていた「法界」(仏がいる真理の世界)を言葉ではじめて表したものです。そこに潜む「仏の世界にふさわしい論理構造」こそが、東洋哲学の基礎を成すと熊楠は考えました。

華厳経の大系では、世界は無数の浄土で構成されていると言われます。この幾重にもなった悟りの空間に入り込み体験する方法の一つが「瞑想」です。瞑想では覚醒時の認識の枠組みが解かれ再構成されるために、複雑な世界を認識することができると考えられています。華厳経の理論と密教的実践の融合をはかった明恵は、瞑想ももちろん行っていましたが、同時に三十年余にわたって見た夢を記録し続けるということも行っていました。一方熊楠も、那智の森に籠ってひたすら粘菌や植物の研究に没頭し、「科学的瞑想」を行いました。また自身の見た夢についても克明に記しています。熊楠、明恵はそれぞれの瞑想や夢の記録を通し、そこで得たものを更なる修行・研究に生かそうとしました。

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熊楠と明恵の学問観

このような熊楠と明恵の共通点のベースにあったのは、学問への考え方でした。明恵は、平安時代末から鎌倉時代にかけて流行した念仏宗に対しとても懐疑的で、運動の中心となった浄土真宗・法然の思想を「摧邪輪」において厳しく批判しました。彼をこのような激しい批判に向かわせたもの、それは冒頭に論じられた古代の学問と宗教の関係に繋がってきます。もともと華厳経など古代の学問は、全方向に広がる宇宙構造の全体を扱うものでした。宇宙には無数のシステムがあり、それに対応するように私たちの心の中にも無数の宇宙(浄土)があると考えられていたのです。古代の学問では、この宇宙システム全体を認識するために、人間は言語ではなく身体という通路を使わなければいけません。この直接回路を開発していくことが学問の重要な要素だと考えられました。明恵にとって、全宇宙から「阿弥陀如来の極楽浄土」だけを取り上げて重要視する法然は、仏教やいにしえの学問の根本構造を破壊してしまう脅威だったのです。同様に熊楠は、もし仏教が東洋の学問として現代に復活を遂げるのであれば、それは近代的な浄土宗の考え方からではなく、華厳経など、身体を浄土への通路とする古い仏教からしか生まれてこないと認識していました。熊楠と明恵の類似した学問観は、東洋の学問が瞑想と夢、華厳経のような哲学の三つから成り立っていることを示唆します。

 

科学的瞑想から見る真実

先に触れた通り、熊楠と明恵は瞑想という事においてほとんど同じ事をしています。熊楠は密教的瞑想こそしなかったものの、光学顕微鏡を通して無数の微細な宇宙を垣間見るという「科学的瞑想」を行いました。光に照らされ様々な倍率の世界が浮かび上がるという知覚体験は、どんなに微細なものですら宇宙生命圏と繋がっていることを熊楠に実感させました。完全で美しい世界を見せるこの「瞑想法」によって、てんかん持ちだった熊楠の心は静まったとも言われます。

nenkinkumakusuそして熊楠は、粘菌という生物の観察を通し、「個体」が無数の微細生物の働きによってなりたっており、生と死はいわば表面上のものにすぎない事を証明しようとしました。完全に「生きている」とも「死んでいる」とも言えないフラクタル生物。これは仏教で言う空性の理解と同じです。一方明恵は密教の瞑想で、意識の中で無限大から無限小を行き来し、限りなく美しい完全な世界、「空」を垣間みています。ここからも科学的瞑想と宗教的瞑想は同じ物を捉えようとしている事がわかります。世界はフラクタルでありカオスを本質とするという真実ーこれこそが次世代の科学的認識の基礎になると熊楠は考えたのでした。

明治35年3月25日付け書簡より

夢を生きる

瞑想同様「夢」も、新しい科学的発見を行う時の媒介として熊楠が重要視したものでした。熊楠が夢の光景に導かれ、那智の森で新種のランを発見したエピソードは有名です。彼は夢を、様々な次元で階層的に成り立つ宇宙を行き来するための、いわば「高次元への通路」として捉えていました。私たちは普段、空間を三次元として肉眼で認識しています。しかしそれは目や脳によって物理的に切り出された空間であり、宇宙のほんの一部にすぎないというのが東洋の思想です。夢は独特で非合理な語法を持っていますが、それを通じて意識を高次元に開く事で隠れている物を顕在化させることができると熊楠は考えました。隠れているもの、とはそこにはあるけれども、私たちの目の構造、情報処理能力、言語能力の限界によって見えなくなっているもののことです。つまり、夢は不可視のバーチャル空間を顕在化した空間にひっぱってくる力があるのです。そして熊楠は「夢を生き」た人でした。科学的な研究において、夢と顕微鏡瞑想でみた体験を認識の中に組み込み、その時浮かび上がる真理を描き出したのです。そして明恵も、「法界」(真理の世界)への通路を夢、瞑想に見いだし、そこで得たイメージを人生に組み込んで菩薩行(高次元認識を取り込む事)を行いました。

 

法界の様々な形

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このように東洋の学問、華厳経は、夢や瞑想体験を体系化しようとしてきました。そこでは、私たちの世界も阿修羅の世界も地獄の意識世界も一体です。いずれも「法界」を、それぞれの意識状態、認識構造で捉えたときに見える様相にすぎないからです。華厳経では、法界は「事法界」、「理法界」、「理事無礙法界」、「事々無礙法界」という構造でできているとされます。事法界とは、それぞれの事物が個体性を持って分離自立している認識世界です。理法界では、物事の本質の同等性が認識できるようになります。私たちはこの二つを普段うまく使い分けています。更に心が自由な状態になってくると理事無礙法界という状態にたどり着きます。無礙とは障害物が無い、という意味で、この段階では、ものごとの個別性と同一性を同時に認識できるようになります(「人間でありながら仏」など)。更に事々無礙法界になると、個をわける障害物すら取り除かれてコミュニケーションが不要になる次元になります。この法界のことを華厳経では不思議(思慮を超えたもの)と呼び表しました。熊楠はこれを使って東洋の学問の基礎付けをしようとしたのです。
土宜法龍宛書簡(1903年8月8日付け)より(『エコロジーの先駆者南方熊楠の世界』展図録より) 

熊楠の「不思議」概念

華厳経の認識構造、そして近代自然科学の認識構造を組み合わせ、熊楠は「事不思議」「物不思議」「心不思議」「理不思議」「大不思議」5つの「不思議」概念を立てました。物不思議は自然科学があらかた整理した学問の範疇ですが、それは原理というより並べ立てただけだと熊楠は批判します。心不思議は心理学と言えそうですが、脳などの感覚器官を元にしているだけの学問では「心」のことは到底わかりません。これを解く手がかりは、やはり東洋の学問(華厳経)にあると熊楠は考えていたのです。遠い昔に衰退していったこの学問大系を、近代自然科学をベースにして組み立て直そうとした熊楠。世界の構成が大きく変わった現在、これは私たちが考えなければいけない問題です。情報や言語の枠を越え、拡張された新しい主体性を持って、潜在世界と現実世界を同時に生きること—それが華厳経の無礙法界であれ、「夢を生きる」(河合隼雄)ことであれ、こうした熊楠の思想に近づくことが研究所の目標です。

 

 

対談:河合俊雄さん×中沢新一所長

対談ゲストには、心理学者の河合俊雄先生をお迎えします。河合さんは「明恵ー夢を生きる」の著者・河合隼雄先生のご長男で、ユング心理学研究者でもあります。

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諸宗教を超える心の構造

中沢所長は、河合隼雄さんの開催する「華厳研究会」に呼ばれた事がありました。その時に、「明恵」の存在と華厳経がいかに河合隼雄先生にとって大きい物だったかを実感して、以来本気で華厳経に取り組もうと考えたのだそうです。一方、河合俊雄さんが隼雄先生の明恵の話を聞いたのは、「身体とイメージ」をテーマとしたエラノス会議の時の講演だったそうです。エラノス会議は1930年代にユングの思想を中心として設立された学際的な会議ですが、これは万国宗教会議の延長であると中沢所長は分析します。万国宗教会議とは、19世紀末から20世紀初頭の宗教的対立が高まる時代、諸宗教の殻を破り、人類の普遍的な「宗教性」を探求することを目的とした国際会議です。1893年、シカゴで開かれた第一回万国宗教会議には真言宗代表として土宜法龍が出席していました。エラノス会議も、万国宗教会議も「宗教を生み出す人類の心の構造とは何か」という広い主題を扱っていました。

これを受け河合さんは、「明恵はまだ宗教の象徴形式が生きていた幸せな時代に生まれたのでは」と論じます。一方熊楠の時代は、「人類の宗教性と社会に生起している事をつなげるのは相当難しくなっていた」(中沢)と考えられます。

 

ユングは密教、行動療法は浄土宗?

taidan3講義で念仏の簡略化の話題が出た折、河合さんは京都大学での鎌田東二さんの興味深いエピソードを思い出したそうです。様々な心理学の学派を紹介する授業だったのですが、鎌田さんは「精神分析は禅や空性に、ユング派心理学は密教に通じ、行動療法・認知行動療法は一つの真理を取り出すというシンプルさゆえに浄土宗である」というコメントを残したそうです。日本の心理学の主流も複雑なユング派から認知行動療法へ傾いてきているとの事。ますます仏教との重なりを感じます。

それを受け中沢所長は、どんなものでも易行道(簡略化)に流れる傾向があるけども、仏教はその単純化を食い止める努力を長くしてきた、と説明します。仏教の根本哲学は「中観哲学」、ある命題からその否定の命題を導きだすという複雑さにこそあるからです。

 

再び、夢を生きるとは何か

taidan2熊楠は、夢の科学的分析を徹底的に行っていましたが、それを通してもわからない部分、つまり夢が発見のインターフェースとして働いていることや、そこにしばしば死者が登場することに、河合さんは興味を示します。中沢所長は、河合隼雄さんによる明恵の夢解釈(「明恵—夢を生きる」)に関する研究を引き合いに出し、「夢の中に入り込み、その夢の特殊な構造を普通の意識の中に組み込んで生きる新しい主体の構造」こそが、隼雄先生の解明しようとしていたテーマではないかと推測します。これを受け河合俊雄さんは、明恵の「馬は意識なり」と言う発言に着目し、西洋的な自我意識による主体と、おのずから湧き出る自然(じねん)の主体構造の違いに触れました。あるがままの心の状態を取り出す「自然」、これに一番近いものが華厳経の無礙法界であり、あらゆるものが記号を通さないで繋がる=「相即相入」であると語る中沢所長に対し、河合さんは現在の操作的な心理療法(認知行動療法など)は「自然」の真逆であると感じている、と語りました。

熊楠は、有り余るニューロンの活動を話し言葉(パロール)ではなく、多元的に動く脳のてんかん状態を造形化できる文章(エクリチュール)に落とし込んでいたと考えられます。「熊楠の手紙の中の唐突な話題転換、縦横無尽の走り書き、マンダラのような渦構造は、人間の心の奥底は分裂症的なものではないでしょうか」(中沢)。

 

癒す力としての物語論

話題は書く事、ということから「物語」のテーマに移ります。河合隼雄先生の物語論が売れだしたのは1980年代で、その頃は物語論・民話の構造研究が花盛りでした。物語は大抵何かの「欠損」からはじまり、旅を経て何かを得る(変化する)過程を描いています。中沢所長は、この形式は夢の構造と一致していると分析します。フロイトの夢論では、夢の語法はイメージの圧縮、置き換えなどダイナミックな動きを見せますが、そこでは現実のイメージが無意識(ES)へ潜り込み、そこで別のイメージになるということが起こっているからです。しかし、この無意識(ES)をブラックボックスに入れてしまう夢の構造、そしてそれに類似した80年代の物語論に河合隼雄先生は満足していなかったのでは、と中沢所長は踏み込みます。今まで見て来たように仏教(華厳経)は「法界」のメカニズムを解き明かそうとする一方、西洋の学問は「エス」の意識の運動を不問にしていたからです。河合隼雄先生の言葉を借りれば「西洋には意識と無意識があるが、東洋には無意識がない。全部意識である」ということになります。今足りないのは、東洋の学問のような複雑性を組み込んだ言語論、意味論、心理論である、と中沢所長は語ります。

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臨終の熊楠(中瀬喜陽、長谷川興蔵 編『南方熊楠アルバム』より)

現代の錬金術師

ユング研究者でもある河合さんから見て面白いのは、熊楠の研究対象であった粘菌が、錬金術と性質的に合致していることだそうです。どちらも次第に様態を変えていって、アイデンティティを掴めなくさせるところがよく似ています。熊楠が興味を持っていた両性具有者というのも錬金術では重要なキーワードとなります。錬金術は西洋の生み出した最も東洋的で人間の心理にかなった学問であると中沢所長は指摘します。それが絶滅させられて以後も現代に錬金術的なものを取り戻そうとした偉人が幾人もいました。ヴェルナー・ハイゼンベルグやヴォルフガング・パウリ、ユング、そして熊楠もその一人です。「彼らの目指していた学問の大系が人類の希望となるでしょう」、という中沢所長の言葉で今回の対談は幕を閉じました。

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