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公開講座:南方熊楠の新次元 第二回「南方熊楠と生命誌」レポート

2014/02/14

明治大学野生の科学研究所 公開講座
南方熊楠の新次元 第二回「南方熊楠と生命誌」

「南方熊楠の新次元」第二回目は、生物学者でJT生命館館長の中村桂子さんの講演です。熊楠は自然と人間を切り離して扱う近代科学に違和感を覚えていました。西欧発祥の近代科学とは違う科学、例えばトーテミズムを組み込んだ科学や、粘菌の生命現象に合致するような科学システムが存在するはずだと考えていたのです。このような熊楠の考えに、中村さんは、「生命誌」の視点から、光を当てました。

 

「南方熊楠の夢と生命誌」 講演:中村桂子さん

「生きる」を探る「生命誌」
中村さんの取り組む「生命誌」とは、人間も含めたさまざまな生きものたちの「生きている」様子を見つめ、そこから「どう生きるか」を探す新しい科学の知です。

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1970年代に遺伝子工学が登場してから、生命科学は次第に科学技術と経済に吸収されていきます。当時DNAを研究していた中村さんは「このまま数値や分析による機械論的世界観で全部操作するようになると、DNA研究は生きものを対象にする日常の『生きている』から離れてしまう」と悩みました。丁度その頃、米の癌遺伝子研究をきっかけにして、ゲノムプロジェクトが始まったのです(1990年)。細胞の中に必ずある各自のゲノムを解析してATGC(塩基)を全部調べれば、その生物についてはそれ以外のゲノムはありません。科学史上初めて対象全体がつかまった、画期的な出来事でした。DNAの基本単位は遺伝子(gene)です。しかしそれを個別に見るのは実験室の中だけです。自然界にDNAが存在するのは、geneが集まって一つの塊になったゲノム(genome)という形以外なく、それがそれぞれの生物の細胞の中で生きている現象を支えています。「ゲノムが対象全体を見るというのなら、DNAを研究していても、そこを切り口として生きものを考えられるのではないか」と、中村さんは生命をゲノムの側から見ていくことにしたのです。

「祖先細胞」から分化した仲間
中村さんが示す、扇形をした「生命誌絵巻」の要(かなめ)は、38億年前の地球の海に存在した祖先細胞です。地球上の生きものはそこから始まり分化して、長い時間をかけて多様化してきました。

原案:中村桂子/協力:団まりな/イラスト:橋本律子 生命誌研究館ホームページより

原案:中村桂子/協力:団まりな/イラスト:橋本律子 生命誌研究館ホームページより

ひとりひとりの細胞の中にある、ほかの誰とも違うその人だけのゲノムは両親から受け継いだものであり、両親それぞれのゲノムはまたその両親から……と辿っていけば、生命の起源に遡ります。それぞれの生物の歴史がそれぞれのゲノムに書かれているので、ゲノムを調べれば進化過程でお互いがどのような関係であったかが分かるのです。あらゆる生命の共通性が見えてきて、生きものは皆仲間ということがはっきりしました。文明、文化を持ったヒトとして科学操作をする人間は、自分が特別だと思いがちですが、ヒトもこの生命の絵巻の中にいるのです。地球上のすべての生物が同じDNAを共有するという事実を知ることは、21世紀の自然観、世界観、人間観を形成するための知の基礎となります。熊楠の科学思想を見ると、ゲノムの示すこれら生命の有様を知ってはいないのだが、こういう世界を思い描きながら、彼はその中でものを考えていた人だなと中村さんは感じるそうです。

合理的とはいえないヒトゲノム
ヒトゲノムの32億個ATGC(塩基)解析は完了したものの、中身はまだ全然解けてはいません。私たちが50年前に遺伝子と呼んでいたタンパク質のコード領域は、この中のわずか1.5%です。残りはさまざまな繰り返し配列や、ガラクタ遺伝子といわれていたもの、昔感染したウイルスの痕跡など、とても合理的とはいえない、多様なわけのわからないものも抱えこんでいます。しかしどれも全く無駄ということではなさそうです。最近の研究からは、一個の遺伝子が独立して働くのではなく、ゲノム全体のバランスの中でその働きが決まることがわかってきました。数理で分析的に解いていくだけの科学では生命は掴めず、時間の流れの中で全体の働きを見ることが欠かせないのです。

日常に科学を「重ね描き」
哲学者の大森荘蔵は、「科学は物質について記述するが心を描写することはできない。科学は自然を死物化してしまう」といい、それを認識したうえで、「日常の世界観を持って、重ね描きの操作をして科学する」ことを提案しました。中村さんは、先の大震災の際に漁師さんが「海はすごい、海を憎んでもしょうがない」といい、また水俣病の患者さんが、生地の美しい海を誉め、そこで生きる決意を述べるのを聞き、深く感動したといいます。自然の中に生きる日常感覚の力強さに胸を打たれたのです。科学の可能性と限界を見極めたうえで日常に科学を重ねて考えるやり方を、熊楠や宮沢賢治はごく当たり前に実践していました。二人は科学が大好きで、しかも生活の中に仏教がありその考え方にとても影響をうけ、自分の感覚を信じて目の前の自然に入っています。熊楠が描いた独創的な曼荼羅には、心と物が重なる部分に「事(こと)不思議」があります。心と物を切り離さず重ねる。中村さんは「生きている」という複雑さに向き合うには「事」が大事なのだと考えているのです。

1893 年 12 月 21~24 日 付土宜法龍宛書(『全集 7』 p.145)左の楕円に「心」、 右の楕円に「物」、二つの 楕円が交わるところに 「事」と描かれている、い わゆる「事の学」の図

 

 

 

1893 年 12 月 21~24 日 付土宜法龍宛書(『全集 7』 p.145)左の楕円に「心」、 右の楕円に「物」、二つの 楕円が交わるところに 「事」と描かれている、いわゆる「事の学」の図

 

ゲノムが語る「粘菌」
熊楠は、生と死が連続的で不可分であるという、根源的な生命の構造を感じ取っていました。粘菌は熊楠の思想を反映するように、多細胞と単細胞の状態を行き来する独特な生活環を持ち、進化的にも興味深い生物です。ゲノムの比較によって細胞性粘菌の進化的位置がはっきりしました。細胞性粘菌は真核細胞の系統で、植物が分化した後、菌類と動物が分岐する前に分岐をしています。20年前の生態系分類では植物の隣にあった菌は実は動物の親類で、粘菌はそのちょっと横にいると判明したのです。
熊野の山中にて人間の遺伝子(タンパク質合成セット数)は約2万数千個に対し、粘菌は約1万2500個で、多細胞生物が生きていくのに必要なものは持っています。細胞性粘菌(熊楠が研究した「真正粘菌」は未分析)の研究では単細胞の時と多細胞の時で、働く遺伝子を切り替えていることを示す研究データーも出ました。真核細胞が多細胞化する、生命のエポックメイキングに何が起こったか、粘菌はシンプルに語ってくれます。熊楠が直観し追究した、生と死が連続する生命の驚くべき変遷が、進化と発生の分野から、ゲノムによっても徐々に覗き込めるようになってきたのです。

発生のきっかけは「縁」
「生命誌曼荼羅」では、個体の始まりの受精卵細胞を中核とした同心円状の、細胞、臓器、個体、種といった発生の階層性が示されます。ゲノムは自らを解読し細胞は分化して臓器や組織を作り、生きものの形を生み出していきます。その際に遺伝子の特定の働きに注目しても発生の特徴は見えません。ゲノムの解読と外部からの物理的心理的刺激の組み合わせにより、発生は予測不可能な現実の中に実践されていくのです。生きものは誰かが設計図を書いて作ったものではなく、常に自分で時間を紡いで生きています。受精卵は体を作る細胞のいずれにもなれる潜在能力があります。発生生物学者の岡田節人氏は「最も大切なのは物質ではなく『縁』だ」といいました。受精卵からいろんなものができてくる時ちょっとゆらぐ、ゆらいでいる内に分かれていく、場所に馴染みのあるものがくっついて生成していくといったように、発生途中の細胞分化では、偶然性と相互補完で役割を決めていくのです。このような予見不可能な「縁」や「関係」に重点を置いて、中村さんは次の時代を考えられるのではないかといいます。

「愛づる」が中心
mushi生きものについて研究しそこから分かったことを「表現」する、言葉で「物語る」ことも、「生命誌」の挑戦のひとつです。中でも「生きる」に関わる「動詞」に注目して、その中心に「愛(め)づる」を置きます。平安時代の「虫愛づる姫君」は「本地たづねたるこそ、こころばえおかしけれ」といいました。本地とは仏教の言葉です。花や蝶のように物事の結果だけ見るのではなく、本質を見極めることが大切なのだという意味です。そのうえで時を刻んで生きる対象と「共にある」という気持ちが、「愛づる」心を生むのです。ここには日本人独特の、心を対象につなげ自然の中に生きものを見る思想が表れています。それを生かす科学の可能性があるのではないか、と中村さんはいいます。「古くより日本にある自然観、これは熊楠の見ていた自然にもつながる。この豊かな自然の中にいる幸せを生かすScienceを発信することが、日本人にはできるのではないか」と中村さんは結びました。

 

 

対談:中村桂子さん×中沢新一所長

中沢所長が、学生時代の最初に生物学科に所属していた頃、ゲノムはまだ登場していませんでした。実験など機械的操作に嫌気がさして、面白いニッチを求めて宗教学科に移ったそうです。現代でもゲノム研究の99.9%は機械操作に入っています。「生命誌」はその潮流に抗し、生命を「生きている」こと全体から捉えようとしています。

日本人、女性であるということ
熊楠は権力やお金にはそっぽを向いて、別のところに行ってしまう自由人だったそうです。中村さんも、権力やお金に関心を持たない、女性だということが「生命誌」の方向へ自分を進みやすくしたかもしれないと振り返ります。レヴィ=ストロースは、手芸をやっているような、目立たないが忍耐強く世界を編み上げている人たちに目を向けることが大切だと、いいましたが、生物学にもそうした感覚が必要です。「誰もやっていない細い隙間、そこにこそ面白さがあるので、若い人たちもそういうことを探してやってほしい」と中村さんはいいます。

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また、中村さんがゲノムを「生命誌」の方へ展開した大きな要因として、日本人の日常の生活に知らぬ間にしみ込んでいる仏教の考え方感じる、と中沢所長はいいます。「日本には言葉にもしていない体系もない宗教、人間と自然が交流している空間がもとからあり、後からやって来た仏教とはよく似ている者同士で、喧嘩もせず最初から両者は結合した」そうです。日本列島は渡って来たいろんなものを柔らかくたわめます。日本の祭りの神様の表現もとてもチャーミングです。獅子舞など動物の表現法がかわいいのも、人間と動物が行き来する(前回の唐澤さんのいった)通路、インターフェイスの造形法の見事さで、そこからいろんな思考を紡ぎ出してくるのです。日本の自然が本当に好きで、地球儀を見てもいい場所にいい形であるなあと、中村さんはよく思うそうです。女性であり日本人であり科学者であることを大事にして、「生命誌」を作り上げてきた中村さんは、熊楠や賢治と同じように、自分も世界の中にいるという感覚を忘れません。中村さんの発想法には自然に対する日本の思想が典型的に表れている、と中沢所長は感じるそうです。

科学と仏教は対立しない
熊楠と賢治は、近代日本に出現した最も見事な精神性を体現しています。「賢治が素晴らしいのはなんといっても、動物の側から人間を見ることができること」(中沢)。「科学は客観、外の視線だが、仏教の視線は中にある。動物も人間も本性は同じ、それぞれの生命体の条件づけに従って、それぞれの生物にふさわしく見えるということであって、仏教はこれをとことん追究する。六道輪廻図も見方を変えれば、仏性を通すと人間と動物の間には繋がりがあることを示す」のです。中村さんは「ゲノムからの切り口でも、事事無碍(むげ)で全てが繋がっている有様が見えます」と強調しました。科学も、あるがままの自然、無碍という状態の構造を探っています。科学と仏教は対立しておらず同じものを見ようとしているのです。しかし物理学をベースにした統一や統合に向かうやり方では、いつまでたってもあるがままの自然には辿りつけません。仏教が示唆するように、そうではない別の方法があるはずなのです。

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時間と言葉と物語
熊楠は夢を「理不思議」の領域、何ものにも捉われない無碍と考えました。人間の意識に適応する原型的なものとして人間の心の底で動いている、いわゆる無意識です。そこを知っていたおかげで彼は自分の精神を破壊せずに済みました。「現実世界では人間は言葉で、転変している世界の運動を殺して空間化してしまう。数学も論理から時間を取ってしまっている」(中沢)ので、無意識はおさまりがつきません。生きものは時間が作ったものです。それなのに時間を無いものとした方法で科学をやっているので、面白くはあるものの本当に生きものを研究しているのかという悩みが出てきます。だから熊楠のように不思議に惹かれるのです。なぜ科学は300年もの間、時間を消して学問をしたのでしょうか。実は時間は記号と記号の論理空間パッケージの中に詰め込まれており、量子力学の登場でその破綻が分かるようになったそうです。だから「生物学で中村さんが(時間の扱いについて)異議を唱えているのは相当画期的なこと。根源は言葉のトリックで、人間の作る言葉の不思議さではないか」と中沢所長はいいます。生命科学を数理のみで考えると、時間の扱いの矛盾にひっかかってしまいます。ではどうするかと考えて、「物語る」を中村さんは答えにしました。「物語は変化する時間が必ず入っている。物語ることは、心を探るために人間ができうる最高の形」(中沢)なのです。仏様は欠けたものがないから動かず物語らないのですが、生物(人間)は欠けているから物語るのです。何か欠けているものを取り戻そうと主人公は旅に出ます。物語は生物の欲望と同じ構造をしています。

自然の近くで考える

人間以外の動物は自然界にあって全部完結しているところが人間と違います。「虫愛づる姫君」は人間の世界の女の不自由、不幸から、完璧な動物界に抜け出しているともいえ、当時の貴族社会ではラジカルな女性です。「生命誌の祖先ですね」と中村さん。全うなものを変だといい、社会制度で抑えようとするのは不完全な人間界の常です。制度が窮屈になりさらに生き辛い現代と比べると、「熊楠は明治だから生きられた。当時の奇人伝に入る有名人だが、変人奇人として放っておいてくれた」(中沢)そうです。生命の複雑さに向き合うには間を許す寛容さが必要です。熊楠も、賢治も懐深い森の近くにいました。新しいことが多く生まれた明治時代のように「今もう一度、人間全体が何か新しいことをやろうとしているのではないか。森林率の高い和歌山、岩手、長野、山梨……など、わりあい中央から離れ、じっくり物を考えるのにいい場所ではないか」と中村さんはいいます。『徒然草』や天皇にも話は及び、「古典に伝わる動植物の扱いを見ると、日本における自然(特に植物)と人間のかかわりには脈々としたものを感じる」と中沢所長は締めくくりました。「生命誌」の視点に日本の自然観が重なり、熊楠の「生命」世界が現代に示す意味や可能性が、さらにくっきり浮かび上がってきました。

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