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「贈与の哲学 ジャン=リュック・マリオンの思想」第一回:贈与の現象学レポート

2013/08/17

明治大学 野生の科学研究所 公開講義
岩野卓司教授「贈与の哲学 ジャン=リュック・マリオンの思想」

第一回 贈与の現象学

7月31日、野生の科学研究所にて、岩野卓司教授による「贈与の哲学 ジャン=リュック・マリオンの思想」連続講義がスタートしました(全三回)。第一回目となる今回は、マリオンのカトリック的な背景や、彼に影響を与えた哲学者たちの思想を参照しながら、現象学の観点からマリオン贈与哲学の真髄に迫ります。

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1.ハイデッガーとフッサールから出発して

マリオンは1946年にパリで生まれ、サルトルやメルロ・ポンティを輩出した高等師範学校を卒業しました。初期はデカルト哲学の研究者でしたが、やがてハイデッガー、フッサールの現象学の研究を精力的に行うようになります。それぞれが超難解な哲学と多数の著作を持つ2人の哲学者ですが、特にマリオンに影響を与えた思想を講義では紹介します。

まずはフッサールの「還元」という思想。簡単に言えば「事物が存在するということは、ひとまず置いておいて(判断停止(エポケー))、自分の意識の流れの中に事象を見ていく」、つまり万物の存在を意識に還元する、ということです。
もうひとつは「直観」で、神など外部から感覚や概念が与えられることをさします。マリオンはその考えを独自に発展させ、直観の根底には「与え(Donation)」がある、と提唱しました。

次に紹介されるのは、ハイデッガーの『ヒューマニズム書簡』から「Es gibt sein(存在が有る=存在が与えられる)」という一節です。突き詰めれば難解な論ですが、存在と贈与の関係性をシンプルな言語解釈から導くハイデッガーが、マリオン現象学の出発点として大きな役割を果たしたことは想像に難くありません。ただしドイツ語の言語体系に依り過ぎた論であることも事実で、岩野氏はそのナショナリズム的な危険性を指摘します。

ハイデッガーの贈与存在論、フッサールの「還元」を批判的に進めながら、マリオンは「還元があればある程、与えがある」という究極の原理に辿り着きます。主体・客体・対象性・存在者性をいったん括弧にくくってしまえば「与え」としての現象が見えてくる、というこのラディカルな原理では、様々な宗教や哲学が万物の根源と見なしてきた「死」「無」「無意識」さえも、既に与えられているものとなります。それではこの掴みどころのない「与え」の現象は、具体的にはどのように考えていけばいいのでしょうか。

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2.現象学としての贈与―受贈者・贈与者・対象の還元

贈与が起こる場合の最低条件として、贈与者、受贈者、贈与されるものの存在を、私たちはごく自然に想定します。しかし以下のケースはどうでしょう。受贈者が特定できない場合や敵に贈与を行う場合、また贈与を受けたことすら忘れてしまう場合。この時、贈与は相手の同意なく行われる一方的なものと考えることができ、受贈者は副次的なものとなります。また、死や不在が贈与条件となる遺産相続、匿名の寄付、無意識のうちに行われる贈与のケースに見るように、贈与者の存在も必ずしも必要とは言えません。贈与の対象物でさえも同じです。例えば婚約指輪は、その価格よりも愛の誓いの象徴として価値を持つものです。このように具体的な事例を通してみると、贈与とは意識との関係でのみ可能になるものであり、現象として捉えるべきだということが改めてわかります。3つの還元を通してマリオンは「与え」そのものを、計算可能性・因果関係・等価関係などから解放しようとしたのでした。

3.飽和した現象―キリストの顕現

それでは贈与の経験とは、どのようなものだと考えられていたのでしょう。
マリオンは、カントの言葉を借りながら、悟性を超えて直感が過剰になる経験こそがそれであると論じています。つまり与え・贈与とは、「私」には制御できない過剰な現象=飽和した現象であり、神秘体験なのです。飽和した現象の最たる例としてマリオンが挙げているのが「キリストの顕現」です。これに対し岩野氏は「神学的で個人的にはあまり好きな例ではありません」と念押ししつつ、「崇高概念のような、自分が埋没してしまうような普遍的事例を挙げた方が良かったのでは?」と、キリスト教に馴染みのない人にも想像しやすい例を出してくれました。

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4.捧げるもの l’adonné、呼びかけと応答

自己が埋没してしまうような神秘体験こそが「与え」であるならば、そもそも自己とはどのように捉えるべきでしょうか。従来的には主格であるべき「自己」を、マリオンは「与え」を受け取る与格へと逆転し、論を進めます。これは「我思う故に我あり」のデカルト的思想の真逆です。マリオンは、私・自己に先立つものとしてまず、与えられた「呼びかけ」があり、それに「応答」することによって自己同一性が与えられると考えました。この絶え間ない贈与に対する応答(réponse)こそがわれわれの責任(responsabilité)である、とマリオンは続けるのですが、ここで父(呼びかけ)と子(応答)というキリスト教的関係がまたも介入してくるのです。このような哲学と神学の野心的な横断を評価しながらも、岩野氏は「現象学としての中立性を保って、純粋贈与を語る上では少々疑問です」と率直に指摘します。

5.総論―いま考えるべき贈与論

近代哲学・カトリック神学を発展させ、独自の贈与論を導き出したジャン=リュック・マリオン。哲学史上における彼の功績は数あれど、ドイツ語の特権を中立化しようとしたこと、自明のものとされていた「存在」の根本に贈与を考えたこと、そして現象学における神秘神学的な側面を論じようとしたことが主に挙げられると、岩野氏は語ります。一方、形而的な神が現象学の土俵で語られていることや、贈与の危険性・両義性への論証が不十分であることなど、疑問点や課題も残ります。

岩野氏は、「パラダイム・チェンジとの連関として自分の枠内でとらえることができれば、マリオンの贈与論は今、非常に豊かな示唆を与えてくれるのではないか」と、現代におけるマリオンの考え方を提案し、第一回講義をしめくくりました。

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